ハイパー・ルネッサンス

2007年05月05日

「ダヴィンチコード」のメッセージ2

ヘルマプロディートスの無垢(ハイパー・ルネッサンス)

下向きの三角で象徴される聖杯と、上向きの三角で象徴される聖剣。この二つの三角を合わせた星型(六芒星)が両者の結合を示すとした上で、聖杯はマグダラのマリアを、聖剣はイエス・キリストを暗喩しており最終的に両者の結婚を表すとする「ダヴィンチコード」―いかにも苦しい展開です。下向きの三角が聖杯を意味した前例はなく(作中でも認めている)、聖杯とマグダラのマリアを結びつけたのも最近の一例(「レンヌ・ル・シャトーの謎」)だけです。六芒星はイスラエル王国あるいはそれ以前から存在する図像と考えられており(イスラエルとの関係は近年とも)、これをイエス・キリストの秘密と結びつけたのはかなり強引と言わざるを得ません。

前回の記事で、特定の女系家が時の権力者との婚姻により古代の血統(王権)を現代にまで保持しているとの説を紹介しました。実はダン・ブラウンの主張はキリスト教とは直接関わりを持たないこの説を下敷きにしていると考えた方が無理がありません。下向きの三角は古来「女性」を意味する図像、上向きは「男性」です。両者を合一してできる図像は「聖婚(聖なる婚姻)」を象徴します。キリスト教的な概念を外せば主張は至ってシンプルになります。
(参考)「ダヴィンチコード」のメッセージ1

イシュタル、イナンナ、アシュタロテ、アフロディーテ等々と土地毎に異称で呼ばれる同一神「愛と戦争の女神」「暗黒(叡智)の女神」崇拝がメソポタミアから地中海世界に至る地域に広がっていました。こうした地域では、智慧を保持するのは女性であり、男性はそのような女性との結合により初めて智慧に与れると考えられていました。このような思想が「聖婚」の背景に流れています。

同じ根から、一時的な結合を実現するものとして「神殿娼婦」の伝統も生じました。女性は女神の神殿に出向き、そこで出会った男性に処女を捧げなければなりません。このような奇異な風習が信仰地では継承されていました。マグダラはイエス・キリストの時代まで女神信仰が生き残った地として有名だったようです。マグダラのマリアが初期教会から白眼視されたはそのためだったと思われます(意図的にか偏見の影響かは別にして)。

では、もしマグダラのマリアが実際に女神崇拝者だったならどうなるでしょう。彼女によってイエス・キリストは智慧へのイニシエイトを許され権威を得たこととなり、二人が六芒星で示される「聖婚」を成就したとなって、「ダヴィンチコード」の主張は太い線で塗り直されます。彼らはマグダラのマリアとイエス・キリストとの間に特別な関係がないことを知っています。その上でどうしても両者を結び付けたいようです。

さて、もう少し先へ進みましょう。ギリシャには男性原理を担うヘルメスと女性原理を担うアフロディーテが結ばれて(聖婚)、さらに新しい神を産み出すとの思想がありました。この児童神は二柱の神の名を取って「ヘルマプロディートス」と名付けられました。性的には必然として「両性具有」となります。以前の記事で取り上げた数秘術ではまさに六芒星がこの神の象徴とされています。
<参照>Cケレーニイ・CGユング共著「神話学入門」(前掲)
数秘術(英文) (下方の6の項)

ヘルメスはロバート・グレイヴズが現代の拝金主義の起源と見た神、アフロディーテは彼が理想と仰いだ智慧の神(暗黒の女神イシュタル)です。興味深いことに、グレイヴズの思想内の対立がヘルマプロディートスで見事に止揚されています。現代のマモン(国際金融資本を頂点とする金権社会)勢力の雄ロックフェラー家にはこれ以上望むべくもない好個の婚姻だったに違いありません。
(参考)「暗黒の女神」のメッセージ

ヘルマプロディートスは「無垢」を特徴とします。映画「レディインザウォーター」を観られた方は、管理人クリーブランドが韓国人母の前で子供として振舞ったシーンを覚えておいでかと思います。なぜあのような情景が加えられる必要があったかは、これで説明がつきます。また映画「ヴィレッジ」では、創立者の一人が振り返って「我々は無垢の世界を築いた」と表白します。ガイア理論の命名者ウィリアム・ゴールディングのライフテーマ「無垢の喪失」とも一致します。

ところが、映画「ダヴィンチコード」では主人公ソフィー(姓のヌヴ―と合わせ「新しい知恵」の意)が性の儀式を目撃したエピソードからも分かるように、合一や婚姻そのものが重視されており、どちらかと言うと肉体レベルでの理解が中心です。ヘルマプロディートスの思想のように未来を志向するより、過去(の叡智)に視線が向けられています。どうやら出発点の女神は同じでも、目指す方向は異なる二つの思潮が存在するようです。

中世に至ると、ヘルマプロディートスは錬金術の中で「賢者の石」へと姿を変えます。「対立の統合(接合)」を核とする思想を奉じ、女性原理と男性原理を止揚して新しい価値や社会を生み出そうとするグループ、これが私たちが追跡しているロックフェラー一派であり、シャマランやスピルバーグの作品は彼らの手になるものです。これに対して、対立を意識しながらも古代の女神信仰復活を目指すグループは、フランスからイギリスに活動基盤があるようです。彼らは基本的には協力し合っていますが、互いに牽制し合う関係でもあります。
(参考)映画「コンスタンティン」のメッセージコメント (12,13に当初の仮説)
<参照>マンフリート・ルルカー著「鷲と蛇」

今後場面によっては、二つのグループを区別する必要が出るかもしれません。そこで、前者をタイタングループ、後者をオベロングループと命名しておくことにします(シェイクスピア「夏の夜の夢」から。タイタンはティタニアの語源、伝記作家ロン・チャーナウが付けたロックフェラーの代名詞)。

鷲と蛇―シンボルとしての動物

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2007年04月29日

「ダヴィンチコード」のメッセージ1

古代女神の聖杯(ハイパー・ルネッサンス)

どうして欧米の人々はキリスト教を否定するのにレオナルド・ダ・ヴィンチを持ち出すのだろう?―前々から私が不思議に感じていたことです。キリストの遺体を包んだとされる聖骸布。これが偽物であるとの主張は世に山ほどあるのですが、聖骸布をダヴィンチが製造したとするイギリス発の説(1994年)ほど信ぴょう性がないものもありませんでした。立場がどちらであっても、まずまともな議論の対象にならないはずの説が、案外いまだに有力だったりするのです。不思議は極まります。
<参照>wiki"Shroud of Turin(トリノの聖骸布)" (ダヴィンチ説

西洋人にとってレオナルド・ダ・ヴィンチは「神なき時代の神」なのでしょうか。この人物の名を持ち出せば、どんな奇説でも信頼に価するとでも考えているようです。このコンテクストの中から小説「ダヴィンチコード」は登場します。レオナルド・ダ・ヴィンチが「マグダラのマリアはイエス・キリストの妻だった」と知っていて、そのメッセージを絵画に託したと作品は主張します。仮にそれが真実だったとしても、このことはダヴィンチの認識以上の何事をも意味しないのにも拘わらず、世間はキリスト教の土台を揺るがしたかのような大騒ぎです。(ましてダ・ヴィンチの研究者たちからはダン・ブラウンの主張を支持しない論説が数多く出されています)

そんな次第で、私は小説にしろ映画にしろ、この作品を採り上げる気になれないでいたのですが、映画「コンスタンティン」が円と十字の図像で「男性原理と女性原理の合一」を象徴させていたことに気が付き、「ダヴィンチコード」が全く同じ意味の別の図像を作品の核に据えていると分かれば放っておく訳にも行きません。作品を読まれた(観られた)方には印象深いはずの、上向きの三角と下向きの三角を合せて描いた六角形の星型のことです。

ダヴィデの星、ソロモンの紋章と呼ばれるこの図像の、まず下向き三角だけに焦点を当てて今回は考察したいと思います。古来「女性、地、水」をシンボライズするこの形に、ダン・ブラウンは12世紀に現れた「聖杯伝説」を重ね、さらにマグダラのマリアにまで何としても結び付けようと苦労しています。尤も後半部分で苦労したのは「レンヌ・ル・シャトー」の著者たちですが。彼らはイエスキリストの血を受けたとされる聖杯が実はマグダラのマリアその人を指し示しており、イエス・キリストの血脈が彼女によってフランスのメロヴィング朝に引き継がれ、現代にまで保たれていると主張します。

一般的にはキリストの血を受けた聖杯伝説と血の肉体的継承とは結び付きません。「レンヌ・ル・シャトー」の著者たちはこの点で大きく飛躍しています。ところが調べているうちに、聖杯伝説と血の継承とを結ぶ線に関する興味深い考察と出会うことができました。王家の血脈を保持すべき任を負った女性たちの存在を伝える「妖精の少女(Elf-maiden)伝説」がケルト世界にあり、この伝説が聖杯伝説の原形となったというのです。
<参照>サイト"American Chronicle"の記事"Royal Blood, Holy Blood, Fairy Blood: the meaning and legacy of Sangreal!" 
ケムログ(ここから上記ページに導かれました。数回に分けて翻訳してくれています)

Dirk Vander Ploegは以下の趣旨で論を展開します。3,000年前に南進したスキタイ民族がメソポタミアの地にアヌ神信仰を広めた。このアヌ(Anu)の血筋をアントゥ(Antu)、キー(Ki)から始まって代々の妖精の女王が受け継いでいる。エジプトの歴代のファラオたちはすべてこの女王の子孫を妻に迎えることで正統性を得た。ダビデからイエス・キリストに至る血筋にも妖精の女王は関与している。マグダラのマリアはその一人で、イエス・キリストの血をさらにメロヴィング朝へと伝えた。これがケルトの「妖精の少女伝説」の源であり、「ダヴィンチ・コード」に描かれた聖杯伝説へとつながっている。

F・コントは「世界の神々・神話百科」で、地上の王権がアヌの王権(王冠と王杖)に由来するとの古代の神話に言及しています。この王権を時の権力者が移り替わっても後の世に伝える隠された仕組みが存在していると上の記事は主張します。ダヴィデ王朝は前後3代で実権を喪失しており、仮にそうした女系家があったとしても、イエス・キリストまで代々フォローしていたというのは到底ありそうにない話です。その一方で、王朝が変遷する中で血脈を守り続けるための「万世一系の女系血統」の概念は、それなりに筋が通っているとも思えます。

記事の解説に登場するアントゥ(アヌの妻にして姉妹)の子エンキ(Enki)の妻に当たるのがイシュタルで、この女神はアントゥと同一ともされます。シュメール神話ではアヌの妻はイナンナ(「アン(天=アヌ)の貴婦人」の意)とされますが、やはりイシュタルと同じ女神のことです。イシュタルと言えばグレイヴズが信仰していた暗黒の女神であり、そのときの記事で触れたようにイシュタル・イナンナ信仰は、西に移動してアシュタロト(カナン)信仰、アシュタルテ(フェニキア)信仰となり、キプロスを経由してギリシャに至りアフロディーテ信仰へと姿を変えます。外観を変えながら同じ女神がまっすぐに後世へと伝え続けられる様は、肉体レベルの女系血統のイメージと重なります。
(参考)書籍「暗黒の女神」のメッセージ

妖精伝説とメロヴィング朝を結びつける伝説は意外なところにも見出すことができます。シェイクスピアの戯曲「夏の夜の夢」で知られるオベロン伝説です。戯曲中のオベロンは魔法を操る妖精の王で、王妃ティタニア(Titan-ia)と養子争いを演じます。wikipediaによれば、オベロンはメロヴィング朝の歴史説話として伝えられた物語に登場する魔法使いAlberich(英語読みでアルベリック?)がモデルだそうです。Alberichは開祖クロヴィスの兄弟とされ、長子のためにコンスタンティノープルの姫から結婚の約束を取り付けた人物とされます。(13世紀「ニーベルンゲンの歌」にもニーベルンゲンの"宝"を守る人物として登場します)
<参照>wiki"Oberon"

このオベロン伝説を上の妖精少女伝説と重ね合わせてみると、一つの仮説が浮かび上がります。時々の権力者(王朝)との結婚を通して特定の女系の血脈を保持すべく努めている人々が存在する。実際に彼らはエジプト王朝で成果を挙げ、東ローマ帝国(コンスタンティノープル)においても成功していた。その後、開祖周辺からメロヴィング朝王室に入り込んだ彼らは、イエス・キリストとは何の関係もなかったが、クロヴィスをしてキリスト教に改宗せしめ自分たちの血統を時のメインストリームであるキリスト教に接ぎ木し直した。その後も脈々と血は受け継がれている。

現実の出来事としてこの仮説を捉えるとすれば、次の問いが続きます―一体、どこで?「ダヴィンチコード」はメロヴィング朝の子孫と守護者たちが暮らす地をフランスではなく、ロスリン礼拝堂のスコットランドに設定しました。戯曲「夏の夜の夢」で妖精の王と女王に正統な子を巡るさや当てを演じさせたシェイクスピアの国、イギリス王室へと古代女神の聖杯は渡されたのでしょうか。

シェイクスピア全集 (4) 夏の夜の夢・間違いの喜劇

ダ・ヴィンチ・コード〈上〉

収録時間:149分
レンタル開始日:2006-11-03

Story
ダン・ブラウンの世界的ベストセラー小説を、トム・ハンクスとオドレイ・トトゥ共演で映画化したサスペンス巨編。ルーヴル美術館長殺害の容疑を掛けられたラングドンは、館長の孫娘・ソフィーに助け出されるが…。(詳細こちら

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2007年04月22日

映画「呪い村」(マイケル・マックスウェル・マクラーレン監督)のメッセージ

436の数の秘密(ハイパー・ルネッサンス)

私たちに何かを伝えようとした映画"Population436"は、「呪い村」の邦題でラベルづけされたまま私の脳の奥深くにある薄暗い倉庫に追いやられていました。幸い、考察を進める中でこの作品の新たな価値に気づいた私は、慌てて忘却の淵から救い出そうとしています。映画「呪い村」は、思想的深みは感じられないものの、デイヴィッド・ロックフェラーを告発する数少ない作品の一つだったようです(カナダ産なのですね)。
(参考)映画「博士の異常な愛情」のメッセージ  (キューブリックは60年代からロックフェラー思想の危険性を鋭く告発し続けた映画人です)

この作品は恐らくほとんどの方が未見でしょうし、これからも鑑賞機会は訪れないかもしれません。そこで簡単にあらすじを紹介しておくことにします。主人公の人口統計官は、人口がここ100年ばかり全く変わらない片田舎のロックウェル・フォールズ(Rockwell-falls)村に興味を抱き現地入りします。そこは古き良き時代の雰囲気に包まれた平和な村なのですが、代々伝えられる呪い伝説を恐れた村人たちが意図して人口を一定に保っていることが明らかになります。やがてそのために殺人さえ行われ、この事実に疑問を感じる村民を精神病として隔離し、ロボトミー手術を始めとした洗脳手段を行使していたことまで判明します。危険を感じついに村から逃げ出した彼は、実現した呪いによって命を失います。

以前の記事で私は映画「ヴィレッジ」「マトリックス」が「逃げ出さない限り安全と生活が保障される閉鎖世界」を舞台にしていると書きました。この「閉鎖社会」は これまで何度も映画のテーマに取り上げられたディストピア(ルーカス初期作品「THX-1138」など)とは明らかに異なり、普通の社会であり、映画「呪い村」のようにむしろ温かい人間関係が生きていて居心地の良い社会であることがアピールされています。
(参照)映画「マトリックス」のメッセージ1

これら作品に共通するルールは、外の世界に出ることが禁止されていることです。映画「呪い村」が他の作品と異なるのは、この禁忌を批判する姿勢です。別のエンディングが用意されたことからも分かるように、作品は呪いが本当にあったとか、観客をホラーで楽しませるとかいった意図を持ちません。どんなに快適な環境であっても、自由がなければ無価値とのメッセージが明瞭に打ち出されます。(洗脳された家族が牢屋の中で幸せな生活を続けるシーンは秀逸です)

なぜこの村にこのような掟(ルール)が課されたのかは結局明かされません。しかしそのヒントとして村人たちが数秘術に支配されている状況が示されます。タイトル"436"は人口が436人に制限されていることだけでなく、実は数字の4と3と6が重要であることを含意します。役場にはピタゴラス数秘術の本が飾られ、小学校では奇妙な数え歌が合唱されます。その両方(本と歌詞)に登場するのが4と3と6です(きっとこの順番にも意味があるのでしょう)。

4:Solidarity and steadfatness
3:We are the Union of the divine
6:and We shall cherish equilibrium and peace

4:団結と不変の理念
3:我々は聖なる合一
6:均衡と平和を慈しむ

これらの言葉にはここまでロックフェラー作品を考察してきた私たちを刺激するものがあります。4は上で定義した村(閉鎖世界)を指し示しています。3では「コンスタンティン」で確認し、今後も確認することになる中心メッセージのキーワードが見られ(手段では?)、6では「レディインザウォーター」を始めとする複数の作品でメッセージされるロックフェラーの目的・理想が謳われています。

マクラーレン監督は、ロックフェラーに通じる名前の村を舞台に、管理社会とその落し子である洗脳や人口調整を告発し、同時に数秘術が彼らの行動を貫いていることを私たちに教えてくれています。彼らが抱く「均衡と平和」実現の希望は、彼らが映画で強調するような人類への深い愛に突き動かされた結果というより、数に関する神秘思想に冷徹に従った結果だというのですから何とも不気味ではありませんか。

収録時間:92分
レンタル開始日:2007-02-21

Story
『Xファイル』を手掛けたマイケル・マックスウェル監督によるサスペンスホラー。436人しか生きることを許されない地方のとある村。その村に新たな住人が来ると確実に誰かが死ぬ。そんな中、村の者たちは自分が生き残(詳細こちら

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2007年04月13日

映画「コンスタンティン」(フランシス・ローレンス監督)のメッセージ

槍と子宮の合一(ハイパー・ルネッサンス)

これまでの記事で、映画「マイノリティリポート」が、ヨハネ黙示録の結末入れ替えをメッセージしていると指摘してきました。先頃、同黙示録の対立軸を逆転させた構図をメッセージしている映画「レディインザウォーター」が見出され、私の解読が出鱈目や単なる思いつきでないことが証明されたところです。こうした記事を読んでくださったサトシさんが、作中そのことを明言している作品があるとの指摘を寄せてくださいました。映画「コンスタンティン」です。
(参考)映画「レディインザウォーター」のメッセージ4
映画「レディインザウォーター」のメッセージ10へのコメント

作品を再見したところ、確かに主人公ジョン・コンスタンティンが、こう解説しています。「地獄には別のヨハネ黙示録があり、(通常とは)異なる視点で(終りのときが)記されている」。ヨハネ黙示録は、イエス・キリスト対「神の敵(人間の誘惑者)である竜(悪魔、サタン、ルシファー)・海の獣・地の獣・淫婦連合勢力」の決定的な戦いを、イエス・キリスト側の視点で描いています。ですから「異なる視点」とは神の敵側の視点であり、結果「悪魔が勝利する」ことを意味します。

この作品には「水」へのこだわり、「全浸礼」など他のロックフェラー作品群との共通点が多く確認できるのですが、この際こうした点は措くことにします。この映画の本質を知るには、真っ直ぐにクライマックスシーンに向かうのが良いでしょう。「プールサイドの儀式」―映画「レディインザウォーター」と重なるこの儀式にメッセージが凝縮されているからです。

彼らにとって特別なその場所で、悪魔の子マモン一派が地獄のヨハネ黙示録に沿って、世界を新しくする(つまり「終りのとき」を迎える)ための儀式を執り行います。ガブリエルという名の執行者は天使と人間の中間存在(女性)。彼女の手にはキリストの身体を貫いたと言われるロンギヌスの槍の剣先が握られており、プールサイドの床にはお腹に悪魔の子を宿したアンジェラ(イザベルの双子の姉)が寝かされています。槍がアンジェラの子宮目がけて振り下ろされよう(帝王切開)とするまさにその瞬間、時は止まります。かくして私たちはこの静止画をじっくりと眺めることができます。

ガブリエルは神の子イエス・キリストの誕生をマリアに告知したと聖書に記述された天使(通常男性)です。その天使を今度は悪魔の子の誕生に立ち会わせるのですから、これだけでも制作者のキリスト教に対する態度は分かります。槍で貫かれようとするアンジェラ(Angela)の半身、イザベルIsabelの名は「バアルの娘」を語義とします(注1)。バアル神(旧約聖書における最大の敵)をイスラエルに持ち込んだ名高い悪女イゼベルJezebel(the daughter of Ethbaal)に由来する名と私は推測しています(Jezebelはイザベルとも発音されます(注2))。そのイザベルが半分天使(angel)にされてマリアの役を担わされます。(イゼベルの名は渦中のヨハネ黙示録にも登場)
<参照>Wikipedia「受胎告知
(注1)Wikitionary「Isabel」 (Isabelの語源"daughter of Baal"の個所)*信じられなければ"Isabel daughter of Baal"でgoogle.com検索を(ショックを受けられた方、ごめんなさい)
(注2)英語版Wikipedia「Jezebel

半田広宣氏のブログが指摘するとおり、ガブリエルが持つ槍は「男性原理」、アンジェラの子宮は「女性原理」を指し示すと見るのが正解でしょう。これを図像に置き換えたのが、作中に示されるマモンの印なるものです。円と十字で構成されたこの図像をよく見ると、十字はこの槍の剣先と釘のようなものと分かります。釘は作品に登場しませんが、恐らくは十字架のイエスを固定した特別な釘を示していると思われます。円は子宮です。この円と十字が重ね合わされていますので、件の図像は「男性原理と女性原理の合一」を示し、静止画は「合一の儀式」を示すことになります。
<参照>Cave Syndrome(半田広宣氏ブログ/ガブリエルについての指摘も)

mammon









(私が描いたイメージ図です)

この概念は既にギリシャ末期のグノーシス思想に軌跡が認められ、中世錬金術の「接合」へと連なります。長く人間を魅了し続けてきた概念です。時代により比重は揺れますが、身体より魂のテーマとして捉えられ、それゆえ特別な儀式が編み出されたりもします。この概念の本質は、「対立物の一致」にあります。従って先の記事で私が強調した「女系社会->男系社会->女系社会の再生」の図式には馴染まないと分かります。この概念を信仰にまで高めた者たちが描くポスト男系社会は両者を止揚した社会となるはずです。
<参照>書籍「神話学入門」(Cケレーニイ・CGユング共著P131)
書籍「暗黒の女神」のメッセージ

この先は今後の記事に委ねることにして、今は映画に戻ります。コンスタンティンが地獄でイザベルのネームバンドを掴むシーンがあります。やはり時間が停止したように見えるこのシーンは、もう一つの絵画となって私たちの記憶に刻まれます。この印象的な絵は私たちにドラクロワの「民衆を率いる"自由"」を想起させます。

constantineliberty







どうやらコンスタンティンは革命家として設定されているようです。この革命家はバアルで象徴される女系社会を復権させ(男系社会が追いやった地獄から救い出し)、男系社会(キリスト教社会)を揺るがします。彼の役割は新しい社会へと世界を導くことです。作品のラストシーン、コンスタンティンは取り戻した槍を本来の持ち主であるバチカンには返さず、天国と地獄の一致を体現する女性の手に預けます(サトシさん指摘)。しかしここに「一旦は」と付け加えておくべきでしょう。彼が阻止したはずの儀式の結実である合一を今度は正義の救世主として彼自身が完成させ社会に招来させるとき、槍は彼の手の中にあるはずです。絵画の女神の左手にしっかりと銃剣が握られたように。

最後に。ご承知のとおり、米国独立100周年に"フランスから贈られた"自由の女神像はドラクロワの絵の女性です。ここからは―サトシさん、出番です。
(参考)メッセージジャーナルから2のコメント
映画「トゥモローワールド」のメッセージ

*ロンギヌスの槍は単なる伝承に過ぎず、キリスト教の本質とは関係がありません。ここに書かれているのは彼らの思想(あるいは物語)についての考察であることにご注意ください。

神話学入門


収録時間:121分
レンタル開始日:2005-09-02

Story
「マトリックス」シリーズのキアヌ・リーブスが主演を務め、最新のVFXを駆使した大ヒットアクション。特殊な能力を使いこの世に蔓延る“異変”を取り払うエクソシスト、ジョン・コンスタンティンの孤独な戦いを描く(詳細こちら

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2007年04月03日

書籍「暗黒の女神」(ロバート・グレイヴズ著)のメッセージ

女神の復活と女系社会への再転換(ハイパー・ルネッサンス)

「神とマモンに兼ね仕えることはできない」と聖書に記述(マタイ6-24他)されながら正体が明らかでない「マモン」について知るため、ロバート・グレイヴズの講演集「暗黒の女神」を読みました。そこから意外にもデイヴィッド・ロックフェラー一派の思想の核心に迫る手がかりを得ることができたようです。
<参照>松岡正剛の千夜千冊『暗黒の女神』

グレイヴズはマネー(金)の源を求めて歴史を遡行し、純粋な「愛」から始まった行為が、次第に「私利私欲」へと堕し、現代の拝金主義へと連なる下方の系譜を見出します。
母の子に対するギフト > 無償のギフト > 義務のギフト > 物々交換 > マネー > 不義のマネー

彼によれば、マネー時代の聖書は、マネー全般を批判したのではなく、ギリシャ・ローマの神ヘルメス(盗賊と外交を職業とする人々の神)への信仰に基づくマネー観を「マモン」と表現して戒めたのだそうです。キリスト教によって抑圧されたこの神は、教会の権威が失墜した近世になって栄光を取り戻したと彼は解説します。現代は不義のマネーが横行するマモンの時代という訳です。

グレイヴズはさらにこの変遷を「男系社会」「女系社会」の概念を用いて俯瞰します。書籍「暗黒の女神」から両社会の特徴を拾い出します。
【男(父)系社会】 男神 遊牧 山岳 太陽 昼 交換 マネー
【女(母)系社会】 女神 農耕 平野 月  夜 愛  ギフト

愛から私利私欲への変遷は、女系社会が男系社会によって駆逐される過程に一致すると彼は見たのです。

ユダヤ・キリスト教は山岳の神「エル・シャダイ」を奉じる遊牧民(羊飼い)の宗教です。旧約でも新約でも父系血統が連綿と綴られます。キリスト教に母神はいません(その反動で人間マリアが母性原理を担う)。この遊牧民が平野カナンの地に移住し、その地を支配していた農耕民と彼らの奉じる母神を駆逐します。旧約聖書の最大の敵は地母神バアルでした(地母神については異説あり)。

以前の記事で、女神ガイアがデルフィ(デルフォイ、デルポイ)神託所の主宰神の地位を男神アポロンに譲り渡した歴史に触れました。ギリシャ神話でもガイアが男神ゼウスに全宇宙を統括する権力を奪われた経緯が物語られます。紀元前10世紀頃にギリシャで大きな転機、女系社会から男系社会への転換があったことが窺われます。ヘルメスはギリシャが男系社会に移行した後の神です。ですから、グレイヴズにとってはマネーがマモンに侵食された近代以降の状況より、古代に生じた女系社会から男系社会への転換こそが重大事でした(彼はマモンと崇拝者をさほど非難しません)。

「現代の混沌とした倫理観は、男性と女性の原理のバランスを崩した有史時代も初期における革命、すなわち母系から父系への交代から結果するものと信じて」いる彼は、マネーに留まらない「現代の病理」を治癒する方策として反革命、つまりキリスト教の後退と古代の女神復活を待望します。ガイアよりさらに古く、メソポタミア時代の支配神イシュタルを彼は「暗黒の女神」として仰ぎます(暗黒>闇・夜>知恵)。

グレイヴズの思想の輪郭が描けたところで、私たちの関心領域に引き寄せてみます。映画「レディインザウォーター」は二分された世界(ナーフ)をガイアが再統合するとのメッセージを発していました。この二分を「男系社会と女系社会」と見れば、メッセージをより理解できます。プロローグの語りを想起してください。女神ガイアからのメッセージが神託として届いていた(紀元前10世紀以前の)時代にあって世界は統合されていました。しかしその後男神支配(ギリシャ・ローマ〜キリスト社会)が確立し世界は好戦的・暴力的で愛のないものに変質します。そこから女系社会に世界を回帰させ、愛と平和を取り戻すべく(そして世界を再統合すべく)女神復活の物語が幕を開きます。
(参考)映画「レディインザウォーター」のメッセージ8

映画「レディインザウォーター」の登場人物クリーブランドは、暴力の犠牲となった者たち(家族)を思って慟哭しつつ、女神ガイア復活の儀式を執り行いました。グレイヴズもまた、自身第一次世界大戦に従軍し、人間の残虐さに衝撃を受け、古代の女神再生に希望を掛けたのです。グレイヴズがデイヴィッド・ロックフェラーの行動の思想基盤を提供しているとまで今は言うつもりはありません。しかし、少なくとも両者の思想と動機は一致します。

女系社会への再転換(復帰)を通して愛と平和の世界を実現する―デイヴィッド・ロックフェラーの構想は、想像以上に理性(エンライトメント)的です。ユダヤ民族問題を懐に抱きつつ、この大義名分を立てれば、共鳴する人間は決して少なくないでしょう。そして現に、民族の垣根を越えて多くの人間たちが彼に協力しているのです(金と権力目当ての人間も多く混じっているとは思いますが)。

断続的ながら、しばらくこのテーマを追うことにします。(記事集「ハイパー・ルネッサンス」に格納します)

【注記】以上はグレイヴズの思想に沿って記述しており、私の考えとは異なる個所が多々あります。例えば、キリスト教はアガペー(無償の愛)に貫かれており、ユダヤ教を含めギフトをその本質としていると私は理解しています。またキリスト教が男神崇拝であるとも考えません(カトリックの歪んだマリア崇拝のことではありません)。そもそも世界が暴力と戦争で満たされているのは、自分たちの大義名分を掲げて犠牲を厭わず邁進する者たちがいるからです。いくら表面だけ女系社会に移行してみても、以前より悪化した状況に彼らは戸惑うことになるでしょう。
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