原爆と核拡散

2007年10月14日

メッセージジャーナルから4

オッペンハイマーと核の国際管理

原爆の出現を誰よりも早く予測し、その威力ゆえに世界の在り方を変えなければ人類は滅びてしまうだろうとまで予言したのはイギリスのSF作家にして社会思想家HGウェルズでした。1933年物理学者シラードが信号待ちの間に原爆の原理を着想しウェルズ予測の正しさを認めたのは科学史上の印象的なエピソードです(その後、シラードはアインシュタインの名を借りてFDルーズベルトに原爆開発を提言)。一方、世界再編に関するウェルズ予言の正しさを認めたのは理論物理学の雄ニールス・ボーアでした。
<参照>キャサリン・コーフィールド著「被曝の世紀」
(参考)「宇宙戦争」のメッセージ

1944年初めまでにボーアは開発国が原子力を独占することなく、国際管理を実現しなければならないとの信念を固めていました。国際的な査察官による関連施設への完全な立ち入り調査の実施と科学的発見への完全なアクセスがその二つの柱でした。このような「開かれた世界」(重要な施設も知識も国家機密にされない)なくしては、人類の存続は危ういと彼は考えました。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」上P447

ボーアを尊敬し、同年に彼と徹底的に話し合った原爆の父ロバート・オッペンハイマーもこの考えに共鳴します。原爆を「人類の脅威」であると同時に「偉大なる希望」でもあると見たボーアの思想は、オッペンハイマーの開発意欲を刺激します。オッペンハイマーは1945年に浮上したデモンストレーション案(原爆の示威行為に止めるとする案)に反対し、実戦での軍事利用をこそ念願します。地球からすべての戦争を無くすための尋常ならざる犠牲を彼は必要としたのです。彼らはまさにHGウェルズの正統な継承者でした。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」上P487

原爆開発と世界政府は、オッペンハイマーにとっては不可分でした。前者の仕事を成し遂げた彼は、続いて世界政府立ち上げに着手します(「世界政府なしで永久の平和はあり得ない。平和がなければ原子力戦が起きるだろう」)。ただし、当時の世界情勢を熟知していた彼は「暫定的解決策」として原子力管理を任務とする国際組織立ち上げに目標を定め、各国の首脳部が勝手に見直しのできない権限を備えた超越的な「共同原子力委員会」の発足を唱えます。そしてそれが理解を得られにくいと見るや、さらに妥協してバーニバー・ブッシュやジェームズ・コナントも主張していた国連に目を転じ、各国の主権の一部を移譲させた国連原子力委員会による管理案、即ちアチソン・リリエンソール案の骨格を組み上げました。(この他にソ連との直接対話により国際管理の実現を目指したボーアやヘンリー・スティムソンらの動きもありました)
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」下P59,71
「世界を不幸にする原爆カード」P289

しかし、この案もトルーマンから国連主席代表に指名されたバーナード・バルークによって改悪され、ソ連の拒否権に遭って廃案となります。その後、世界政府はもちろん、積極的な世界管理の仕組みも真剣に討議されることなく、世界は正反対の方向(独占と秘密主義、対立と競争、そして拡散)へと突き進みます。同時に政府方針と鋭く対立したオッペンハイマーは反共ヒステリーの渦の中で権力中枢から排斥されます。ヒロシマ・ナガサキを犠牲にして恒久的な平和世界を築くはずだったオッペンハイマーの原爆は、結局何の成果も生むことなく、悲惨な傷痕だけを地上に残します。HGウェルズに源を有するアクロバティックな反戦思想はこのとき一旦葬られたのです。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」

さて、私はこう見ています―驚くべきことに、葬られたウェルズの夢が半世紀の時を経て現代に蘇えろうとしている、ウェルズの継承者たちがまたしても蠢き始めたと。それは当ブログで繰り返し取り上げている21世紀初頭のロックフェラー勢力の活動のことです。彼らは世界平和を大儀に、世界を自分たちの手で管理すべく新しい体制を構築しようとしています。そのために既に「戦争を終わらせる戦争」が再現されました。誰も戦争で苦しまない世界をつくるために、彼らは911事件を引き起こして数千名の犠牲者を生み、引き続いてアフガニスタン、イラクにおいて多くの犠牲者を積み上げました。

オッペンハイマーの師マックス・ボルンは「(私の生徒たちが)利口さを抑え、もっと叡智を発揮してくれたら良かった」と回想したそうです。この言葉はオッペンハイマーだけを指している訳ではありませんが、彼の本質を言い当てています。オッペンハイマーは課題の所在を探り当て、解決策を練り上げ、現実に柔軟に対処できる有能な人間でした。しかし彼の本当の悲劇(名誉が汚されたことではなく)、当初の目的と結果としての現実の乖離の原因は、まさに自分の能力、人間の知恵を過信した点にありました(彼は無神論者にして人間理性崇拝者)。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」下P389

ロックフェラー一派が狡知に長ければオッペンハイマーの失敗を超克できると考えている限り、乖離は大きくなるばかりです。彼らはオッペンハイマーと同じ過ちを繰り返そうとしています。各人が善と思うことを知力・資力を始めありとある力を振り絞って実践したとき、そこに現れる世界が悪でしかないことを認識したラスコーリニコフにこそ彼らは学ぶべきだったのです。
(参考)"666"のメッセージ1

被曝の世紀―放射線の時代に起こったこと


オッペンハイマー 上 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇


世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた

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2007年09月28日

書籍「アメリカの中のヒロシマ」(RJリフトン著)のメッセージ

感覚麻痺の帰結

アメリカ国民の大多数が広島・長崎の原爆投下を支持していることはご存じでしょう。では、その後の紛争・戦争においても国民の過半数が原爆使用に同意した場面があったことをご存じでしたか?ギャラップ社世論調査で少なくとも次の3回が確認できます。
1.1951年朝鮮戦争で中国が参戦したとき
2.1954年ベトナムでフランス軍が包囲されたとき
3.1955年台湾海峡危機が訪れたとき(1954年の誤りでは?)
朝鮮戦争でマッカーサー元帥が原爆使用を進言し、当時の大統領トルーマンに更迭されたことは有名な話です。それを私は戦場の軍人の勇み足だろうとこれまで思っていました。アメリカ国民がこれほどまでに好戦的だった(あるいは核兵器使用に対する慎みがまるでない)ことには驚かされます。
<参照>リフトン著「アメリカの中のヒロシマ」(調査結果は下P143注より)

精神医学者リフトンは、米国民のこうした心理が広島・長崎の原爆への対処に起因していると分析しました。原爆のみが戦争終結をもたらし、それゆえその後に予定されていた本土侵攻により失われたはずの多くの人命を原爆が「救った」(決して無力な敵に対する復讐などではないし、ソ連政策からでもない。原爆使用は人道的だった)―これがどうしても使用を正当化しなければならなかった米政府が編み出した公式見解(1947年スティムソン論文で確定)です。これを当時の国民は熱烈に支持します。本当のところ、国民は広島と長崎における原爆被害に強い不安を感じていました。しかし彼らは自国が不道徳な国などと考えたくはありません。そこで不安を抑圧し、政府見解に飛びついたのです。

その頼みの綱は揺さぶられます。「人命を救うために殺す」との理屈は、「どんな残虐行為も、全くどんな行為であれ、こうした理由でなら許される結果になってしまう」(ドワイト・マクドナルド/上P49)と識者から批判され、オランダ爆撃の際のヒトラーの理屈と並置されます(フルトン・シーン/上P112)。歴史家からは、日本本土侵攻作戦立案時の被害予測資料(上P253)、米戦略調査団の終戦時期に関する報告(上P114)などを根拠に、原爆が救ったという人命数や「原爆のみが戦争終結をもたらし」たとの主張に疑問が投げ掛けられます。

公式見解が史実でもなく正論でもないと疑われ兼ねない脅威にあって、国民は現実に対し堅く心を閉ざすことで防衛しようとします。一方で「原爆により救われた人数」は不安の大きさに比例して膨れ上がり、他方で被爆の現実を知ること、償いにつながる被爆者救済が拒否されました。こうした態度をリフトンは「感覚麻痺」と診断します。戦後の早い時期にアメリカ国民が集団として精神を病んだと彼は考えました。
<参照>被爆者側の「感覚麻痺」(記憶喪失、感情鈍磨)については中澤正夫著「ヒバクシャの心の傷を追って」(リフトンの「死の内の生命」は未読)

広島と長崎の原爆という過去の出来事を起因としたアメリカ国民の病理は、必然として現在と未来をも蝕み始めます。一旦原爆使用を認めてしまえば、そして不幸なことに原爆を道徳的だと断じてしまえば、必要なら今後の使用も許されるとの認識へ真っ直ぐにつながります。現実から逃避しているだけに確かな歯止めは形成されず、水爆開発も、核兵器の大量製造・保有・配備も実に安易に是認されるばかりです。その結果が冒頭の意識調査であり、その後も拡大される米ソ核武装競争の現実だったのです。

政治家・国民から核武装について真摯な考察を行う機会、冷静な判断を下す機会を奪った第一の要因が核を巡る秘密主義にあったことは確かです。原爆開発の過程では過去に例がないほどに機密保持が徹底されました(内部でも全体像を知る立場の研究者は限られていた)。原爆投下を決定したのは極少数の人たちです。跡を継いだ原子力委員会(AEC)は、都合の悪い情報を慢性的に隠匿しました(後にその悪質ぶりが露呈して解散)。ケネディ政権の閣僚スチュワート・L・ユードルが主張するとおり、諸悪の根源は秘密主義にあり、何よりも必要とされるのは「開かれた政府」に違いありません。しかし例え情報が公開されていても、国民が見ようとしなければ、好戦的な政治家が国民を地獄の淵に導くのは容易いでしょう(現に広島・長崎の被害実態は今だにスミソニアンで展示できない)。
<参照>スチュワート・L・ユードル著「八月の神話」(AECの情報隠匿の実態を知ることができます)

核の悲劇を繰り返さないためには、核の狂気から人類を救い出すためには、やはり国民の病理を癒すことこそが肝要です。国民が現実から目を背けずに、しっかりと考え、また判断していれば、トルーマンは原爆の量産や水爆開発を勝手に推進できなかったでしょうし、ロバート・S・マクナマラがMAD(相互確証破壊)戦略を持ち出すこともなかったでしょう。この単純な処方を私たちから遠ざけているのが「同胞意識・帰属意識」であることもまた明らかです。米国民は母国の愚行を正視できません。国と自分を一体視する心理が働くためです。退役軍人は米軍の愚行を直視できません。軍が正義や自由のために活動していないとなると、自分の行為を正当化できなくなるからです(20世紀前半にしてバトラー将軍は米軍を多国籍企業の私兵であると認めているのに)。

当時の首相チャーチルは大統領トルーマンに向って「あなたと私が聖ペテロの前に立ち、彼が『汝らは原爆投下に責任があると思う。汝らは何かいうことがあるか』と言われた瞬間に、答える準備がちゃんとできているでしょうね」と尋ねたそうです(上P266)。いつか誰もがこの世での自分の行いを裁かれる瞬間を迎えるのかもしれません(クリスチャンでないなら閻魔大王やスーパーエゴに置き換えても良いでしょう)。その時に人はアメリカ人を理由として、米軍に所属したことを理由として、特定の出自を理由として裁かれるでしょうか?聖書が明言するとおり、そして理性が教えるとおり、私たちは個人として裁かれるのです。(敢えて続ければ、クリスチャンを理由としてでもない)

米国民が同胞意識・帰属意識に引きずられて、「米国は正義の国だ、だから原爆投下は正しかった」と言うとき、それまで原爆投下とは何ら直接の関わりを持たなかった人が、初めて個人として関わりを持つのです。東京大空襲や広島・長崎の原爆投下に道を開いた重慶爆撃(また南京虐殺、従軍慰安婦等々)について、戦後世代の日本国民が事件の存在を否定したり、行為を正当化しようとするとき、あるいは事実を隠ぺい・歪曲しようとするとき、その人はその事件と関わりを持つのです。大切なのは、個人が何をしたか、何を言ったかです。
<参照>前田哲男著「戦略爆撃の思想」

冷戦が終結した今も、2万発の核弾頭が「配備」されているそうです。私たちの世界が狂っていることを私たちは直視できるでしょうか?それとも「しょうがない」と公言しておきますか?いっそカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与しますか?(ルメイの部下として戦略爆撃を立案したのがマクナマラ)。
(参考)映画「ロードオブウォー」のメッセージ1(妻は夫の仕事から目を背け、私たちは国家による武器取引の実態に知らないふりをした)

アメリカの中のヒロシマ (上)
アメリカの中のヒロシマ (下)
ヒバクシャの心の傷を追って
八月の神話―原子力と冷戦がアメリカにもたらした悲劇
戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島
収録時間:122分
レンタル開始日:2006-06-09

Story
アンドリュー・ニコル監督が『ナショナル・トレジャー』のニコラス・ケイジを主演に迎えて描くサスペンスアクション。裏社会で天性の才覚を発揮した“史上最強の武器商人”と呼ばれた男、ユーリー・オルロフの実像を(詳細こちら

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2006年08月14日

核兵器コネクションを追う1

航空機同時爆破テロ計画とパキスタン

イギリスでアメリカの航空機複数を対象にした同時爆破テロ計画が発覚しました。逮捕者は20数名に上り、そのうち多くがパキスタン系と報道されています。テロとパキスタンとの関連は、先のロンドン同時多発テロ(2005/7/7)でも取り沙汰されました。やはり犯人とされた者たちの多くがパキスタン系だったからです。

ところが、ロンドン同時多発テロ捜査はその後不可解な動きを見せます。捜査当局はエジプト人マグディ・ナシャルが首謀者である可能性が高いと発表し、マスコミの意識をこの人物に誘導します(その後テロと関係がないと判明)。続いてソマリアなど東アフリカ系の人間による第二のテロ事件(7/21)が起こります(意図不明の上に、慌てて実行したような粗さが目立った奇妙な事件)。果ては捜査当局によるブラジル人誤射事件(7/23)が駄目を押す格好となって、パキスタンへの疑いは立ち消えとなりました。

パキスタンに目を向けて欲しくない者の存在がこの一件から推量されます。それは、英政府に何らかの影響力を持つ者であって、決してアウトサイダーのイスラム過激派ではありません。今回は、情報元がパキスタン政府ということで、政府自体に非難の矛先が向けられることは避けられるかもしれませんが、パキスタンに国際テロの根城があることは誰の目にも明らかとなりました。

911事件直後からパキスタンに注目したジャーナリストがいました。ユダヤ系アメリカ人ダニエル・パールです。現地取材を決行した彼は、間もなく行方不明となり、2002年1月31日には首を切断されて殺害されます。処刑の様子を収めたビデオが公開されたことでこの事件は有名になりました(実際は殺害後に斬首されたようです)。

この事件を追ったフランス人思想家ベルナール・アンリ・レヴィは、パールがパキスタンを「国際テロの鍵を握っている国」と考えたことを指摘しています。そのパールが核心に近づき過ぎ、アメリカとの密接な関係に気づくに至って殺害されたのではないかと推測しています。(この観点からレヴィが注目する人物はアメリカで活動基盤を築いたムバラク・シャー・ジラーニです。彼がウサマ・ビン・ラディンの思想的師ではないかとレヴィは見ています)
<参照>書籍「誰がダニエル・パールを殺したか?」(ベルナール・アンリ・レヴィ著)

ワシントン・タイムズに掲載された匿名のパキスタン情報当局高官の手記によれば、「ISI(パキスタン情報機関)が自らを国家として、テロリストの密輸に従事している。イスラム過激派グループを支援しているのではなく、資金と指令を出している」と告発します。国際テロの首謀者だと主張しているのです。
<参照>書籍「戦争の闇 情報の幻」(大沼安史著)

ISIはイギリス同時多発テロ(2005.7.7)の実行者(そして今回のテロ計画の立案者)ではあるにしても、米911テロの実行者であるとは私は考えません。ISIはCIAの資金と指令によって活動してきました。そのCIAの背後にはイスラエルの情報機関(モサドの一部など)が控えています。ここから、イスラエルの右派(一部特定グループ)とアメリカの右派(ネオコン、共和党右派の一部など)、そしてISIを結ぶ一つの軸が浮かびます。
<参照>CIAとイスラエルの結びつきについては「ケネディとユダヤの秘密戦争」

イスラル右派の政治目的を実現するためにISIは動きます。今回の航空機同時爆破テロ計画発覚で得をするのはイスラエルです。彼らは「イスラム過激派は世界共通の敵」との認識を世界に、特に今回はヨーロッパの人々に広めたいのです。そうしてレバノンでの戦闘行為に対する非難を弱め、さらには防護壁で自国を小さく防衛するのではなく、大イスラエルを実現して自国の根本的な安全を図るための環境形成に励んでいるのです。

しかし既に記したとおり、同盟者のネオコンが幾ら活発に動いてもアメリカはシリアにもイランにも進軍したりはしないでしょう。もう一方の軸(表面的には対立軸)であるイスラエル中道派(一部特定グループ)―イスラエル情報機関(サヤレト・マッカルを中心としてモサドの一部を含む)―アメリカ中道派(一部特定グループ)が構想する小イスラエル戦略が結局は採用されるからです。911テロは彼らの仕業です。(ただしイスラムを共通の敵とする構図を世界に拡大する基本戦略は同じ)

*キッシンジャーや副大統領チェイニーは、デイビッド・ロックフェラーの参謀として、二つの軸を調整・統括(必要によりどちらの立場からも発言をしている)
*ISIの資産(アセット)であるウサマ・ビン・ラディンは911テロに直接関わっていないと考えた方が彼の言動に合致する。犯行を認めたのは、状況を把握し、その方が得策と判断した2004年以降。(偽の声明ゆえに説得力がない)

誰がダニエル・パールを殺したか ? (上)

誰がダニエル・パールを殺したか? (下)

戦争の闇 情報の幻―“9・11”とイラク戦争をめぐる謀略疑惑

ケネディとユダヤの秘密戦争

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2005年09月07日

911事件から浮かび上がるもう一つのメッセージ3

原爆に捧げられた光の儀式

911事件は、イスラム原理主義過激派の犯行とされ、首謀者とされたビンラディンも2004年に入ってからは犯行を認めています(初めにCDで、次にビデオで)。しかし、その後のWTCの扱いや犯行態様を考察してみると、「原爆開発」を核とする別のメッセージが浮かび上がります。もしそのようなメッセージが本当にあったとするなら、これまでの事件についての政府公式説明やビンラディンの声明がすべて嘘だったことになります。このメッセージの検証は重要な意味を持ちます。

では具体的に、メッセージはどのような内容だったのでしょうか。原爆反対、核兵器反対?メッセージの発信者が真の911事件の首謀者と同一でない場合、なぜその意図を明確にしないのか矛盾を来たします。そもそもそんな便乗策など決して取らないでしょう。発信者と首謀者が同一である場合、例えば広島・長崎への爆弾投下への批判を事件のメッセージに含ませる場合も、同様に公表するはずです。原爆開発グループの誰かに対する恨み?もしそうなら、標的は象徴的建物ではなく、正確に本部があった建物のはずですし、他の人々を巻き添えにする必然性もありません。

私には、そのメッセージがこう聞こえます―「原爆開発を賛美する」。究極の「破壊の力」を人類にもたらしたプロジェクトに敬意を表して、「暴力」によって開発の跡を辿ると。

メッセージをそう解釈すると、事件から半年後のメモリアルイベントの意味が了解されます。このメモリアルイベントの概要は次のとおりです。
1.事件から半年を経過したところで、犠牲者を慰霊すると共にこの事件からの再起を世界にアピールする目的でメモリアルイベントが挙行された
2.事件直後に何人かのデザイナーや建築士たちが発想したコンセプトをRichard Nash Gouldがニューヨーク市美術協会に持ち込み、さらにジュリアーニ市長へと提案され実現した
3.このイベントの内容は、88本のライトを2本の束にして空に向けて照射することで、WTCを光で再現するというもの
4.2002年3月11日夕から4月14日早朝まで実施された(最終日のみ日の出時間まで、他はPM11:00まで)
5.当初このイベントは"Towers of Light "と命名されたが、犠牲者が等閑視されているとの反対で"Tribute in Light"(一部は"Tribute of Light"と表現)と改称された
<参考サイト>Wikipedia(イベント概要)

前の記事に書いたように、世界初の原爆実験において、グランドゼロの位置を知らせるために鉄塔の下から空に向けて一本のサーチライトが放たれていました。WTCの跡地で、ただサーチライトが空に照射されただけなら、二つの光景が重なることはないかもしれません。問題は、事件が原爆とは何の関係もないのにそこがグランドゼロと呼ばれた上でライトが空に放たれていることです。

これも先の記事に記したように、テロリストたちの本当の標的は原爆開発計画(マンハッタンプロジェクト)の本部が置かれた3都市ではなかったかと私は考えています。本部は順々に移され、さらにしばらく後にロスアラモスの光が立ち上がりました。そしてここWTC跡地では、3都市を巡礼するテロから半年先に、今度は天を射す光の柱が立ち上ったのです。

このイベントの名称は「光の捧げもの」です。捧げられたのは、そこで犠牲になられた二千数百の命ではなかったでしょうか。その尊い命をメッセージの発信者、911テロの首謀者は、「原爆開発」に捧げたのではないでしょうか。このようなおぞましい儀式、関係者にしか分からない儀式を臆面もなく公衆の面前で、遺族の面前で挙行するには一体人間はどれほど狂えば足りるでしょう。

イベントの最終日には夜明けまで光の柱が立ち上り、日の出と共に消されました。それは世界初の原爆実験と全く同じ状況です。儀式は翌年からは9月11日に行われる恒例行事になってしまいました。そして、不思議なことに同じイベントが、バリ島テロ(2002年10月12日)の犠牲者を悼むためとの名目でオーストラリア・パースでも行われているのです(2003年1月26日)。真似をしただけ?しかしライトの本数88本にまで拘る理由がどこにあったのでしょうか。
<参考サイト>88(パースの状況:引用文の後)
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2005年09月01日

911事件から浮かび上がるもう一つのメッセージ2

原爆開発計画とテロ攻撃対象

マンハッタン計画についての情報をさらに掘り下げてみると、その本部が着任したばかりのグローブズによってマンハッタンからペンタゴンに移された事実が確認できます。1942年9月下旬のことです。ペンタゴンは、このグローブズ自身が指揮して、この年の初めに完成させたばかりの戦争省の建物です(ちなみにペンタゴンの起工式は1940年9月11日)。そして、またほどなくして本部はテネシー州オークリッジへと移されます。

この本部の移転場所に注目してください。最初がニューヨーク(マンハッタン)、次にワシントン(ペンタゴン)、最後にオークリッジ。前の2箇所は、テロ攻撃の対象です。ハイジャックされた航空機の軌跡を辿りますと、そこにはある規則が見えてきます。ボストン空港から飛び立った2機が南西の方向に直線距離にして約300km先の標的WTCを狙う。ニューアーク空港(ニューヨークのすぐそば)から飛び立った機が南西の方向に直線距離にして約300km先の標的ペンタゴン(またはホワイトハウス)を狙う。

実際は、ペンタゴンに激突した航空機はワシントン近郊のダレス空港を離陸したアメリカン航空77便とされています。しかし、この機は2度レーダーから消えており、管制官の証言内容からも、ワシントンを攻撃したのがこの機であるとの確たる証拠はありません。私はペンタゴンに衝突したのが航空機であるなら、それはダレス空港を立ったユナイテッド航空93便ではないかと思います。(シャンクスビルに本当に航空機の残骸はあったのか?あったとして、それは本当に93便か?なぜ事故現場を隠匿したのか?)
<参考サイト>911事件の真相(ハイジャック機の航路図)

アメリカン航空77便が向かったのは、ボストン(ボストン空港)、ニューヨーク(ニューアーク空港)、ワシントン(ダレス空港)を結ぶ線をまっすぐ延ばしたところにあるノックスビル近郊のオークリッジ(ワシントンから南西に約600km)ではなかったでしょうか。ある飛行機は南西に向かい、別の機は飛び立った都市にUターンするというのでは計画性が疑われます。飛行機はハイジャックされるまではしばらく目的地―西(海岸)に向かって飛び続けます。ある時間が経ったところで一斉に南下すれば、どの機も最短距離で標的に向かえるはずです。(このような規則性のために墜落機を取り替えなければ、ダレス空港を飛び立った機の行き先が誰何(すいか)される。行き先が判明すると誰に不都合だったか、それはなぜか?)
911_terror_atack(地図クリックで拡大)






さらにこの仮説は、航空機の出発時間と攻撃時間との関係も説明してくれます。93便がペンタゴンに激突したとすれば、77便の衝突時刻と入れ替えて次の表が描けます。
便名/離陸空港/離陸時刻/攻撃対象/衝突時刻/飛行時間
AA11/ボストン/07:59/WTC北棟/08:46/47分
UA175/ボストン/08:14/WTC南棟/09:03/49分
UA93/ニューアーク/08:42/ペンタゴン/09:37/55分
AA77/ダレス/08:20/?/?/?

上の3機は50分程度で目標に到達しています。93便が上の2機より飛行時間が長いのは、ニューアーク―ワシントン間がボストン―ニューヨーク間より若干遠いからとも考えられます。ワシントン―オークリッジ間はその倍くらいの距離がありますので、100分掛かるとすれば、オークリッジ攻撃予定時刻は10時頃となります。すると、ちょうど30分くらいの間隔で順次WTC、ペンタゴン、オークリッジを襲うこととなり、マンハッタン計画本部の移転先を順序どおりに追いかける形になります。

(ちなみに93便が墜落したとされるのは10:03と、なぜか時刻の一致が見られます。墜落したのが77便であればシャンクスビルではなく、オークリッジ近郊だったはずですが。それとも77便こそが標的から離れて迷走していたのでしょうか?)

私たちは、911事件を「イスラム原理主義過激派の犯行」だと繰り返し刷り込まれてきました。彼らは米国とそれが体現するシステムを憎んでいる。だから経済の象徴であるWTCと軍事の象徴ペンタゴン、あるいは政治の象徴ホワイトハウスを狙ったのだと。もし、911事件からイスラム過激派とは関係のない別のメッセージが浮かび上がったら、そうしたこれまでの説明がすべて破綻してしまいます。もし、911事件に「原爆開発」というメッセージが隠されていたら、それは原爆開発に何らかの意図を持つ者、軍隊の新聞を使って特定のワードを発信できる者、記念イベントを提案・決定できる者の関与なくしてはあり得ないという結論になります。911事件全体がアメリカの内部犯行と断定されるのです。

思ってもみなかった911事件についての新しい視点―しかしこの事件が起きた当初から、戦争の始まりだけでなく、原爆をまで示唆していた政治家がいました。キッシンジャーです。事件当日のCNNインタビューを再掲します。
「これは真珠湾攻撃に比せられる。そう、われわれは(かの時と)同じ対応をしなくてはならない。事件を起こした者たちは真珠湾を攻撃した者たちと必ずや同じ目に遭おう」(拙訳)
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911事件から浮かび上がるもう一つのメッセージ1

マンハッタンプロジェクト(The Manhattan Project)

スティーブン・ウォーカーの「カウントダウンヒロシマ」(Stephen Walker "Shockwave" 2005)は、広島への原爆投下までの3週間を多角的な情報や独自インタビューから再現した良質のドキュメンタリーです。この本の前半に、ロスアラモスの核実験場の詳しい描写があります。私はこの箇所に、911事件(2001年9月11日の米中枢同時多発テロ)の再検証を迫る重要な情報を見出しましたので報告します。

アメリカの原爆開発プロジェクト”マンハッタン計画”は、技術畑の軍人であるレスリー・R・グローブズと物理学者J・オッペンハイマーの共同作業により推進されました。オッペンハイマーは、世界最初の原爆実験に使われた長崎型原爆を地上より高く置くための鉄塔を作り、これに「トリニティ(Trinity=三位一体)」と名づけ、鉄塔の立つ場所には「グランドゼロ(Ground-Zero)」の名を与えました。

実験は、未明から早朝に掛けて予定されたため、鉄塔の足元から天に向けてサーチライトが照射されました。遠方からゼロ地点が分かるように、また上空で観測する飛行機が位置を確認できるよう配慮されたのです。実験はAM5時29分に実施されました。人間の愚行の極みが完成した瞬間です。

この話を読まれて911事件の半年後に挙行されたメモリアルイベントを思い出された方も多いのではないでしょうか。既に跡形もなくなったWTCの二つのビルを光の条で再現し、犠牲になられた多くの方々の霊を慰める趣旨のイベントだったかと思います。光はまっすぐに天に向かって聳え立ち、幻想的な光景を作り出しました。私の脳裏にもすぐにこの光景が浮かびました。
<参考サイト>Mysterious Places(イルミネーションイベントの写真)

しかし途端に、私の海馬(視覚記憶を司る脳の部位)から疑問が吹き上がります。世界最初の原爆実験地とイスラム過激派による航空機衝突のテロ現場、かけ離れたこの二つの場所になぜ同じ光景が展開されるのか?きっと偶然の一致だろう。実験場では実用的な理由からライトが使われたが、WTCは審美的理由から。二つの場所に関係などあるはずがない。でもそもそもなぜよりによってWTC崩壊現場が「グランドゼロ」と呼ばれているんだ?(実はさらに、WTCのすぐ脇に立っていて事件で直接被害を受けた教会があります。その教会の名を「トリニティ教会」といいます)

調べてみると、現場を「グランドゼロ」と言い出したのは、軍隊の新聞「スターズ・アンド・ストライプス紙(Stars and Stripes)」でした。当初、消防士たちは別の表現をしていたのですが、衝撃的なこちらの語の方が一般にはピンときたのか、結局この語だけが定着した経緯があります。それにしても、軍隊はどうしてテロ被害現場を原爆のイメージと重ねたかったのでしょう。
<参考サイト>ASK YAHOO!(「グランドゼロ」と言い出したのは誰か)

そう、すぐには結び付かなかったのですが、この記事の冒頭近くに書いたとおり、原爆開発のプロジェクト名は「マンハッタン計画」でした。推進責任者グローブズが、この計画が構想された場所を記念して付けた名前です。原爆開発の出生地は、ここローワーマンハッタンだったのです。"The Manhattan Engineer District(MED)"の本部があったのはフェデラルプラザ(今はFEMA他の連邦政府機関が入居しています)、直接被害はなかったもののWTCから目と鼻の先(プラザからは南西方向へ直線距離で約500m)の建物です。

911テロの被害現場を巡るこの符牒の数々―原爆開発プロジェクトの本部があった建物、トリニティと命名された教会、ここをグランドゼロと呼ばせたかった軍隊(マンハッタン計画は戦争省の管轄)、敢えてイメージを重ねるために空に伸びる光の条(と言っても関係者にしか分からない符牒)。事件が「原爆」に関わる特定のメッセージを発信しようとしているのは確かです。とすれば、それは一体どんなメッセージなのでしょうか。

カウントダウン・ヒロシマ

アンダーワールド〈上〉

getmessage at 17:56|この記事のURLComments(1)TrackBack(0)
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映画(劇場公開・DVD・ビデオ)、書籍、ニュース、キャンペーンなど、メディアを通して表現されたものからメッセージを抽出し、隠された意味や表現者の意図を探ります。

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