映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ
2006年01月28日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ7
2007年のアメリカとイスラエル
「40年の待機と夢の実現」を主題とする映画「ターミナル」は3重の構造を持つ作品でした。最も表層に見えるナボルスキー親子の物語は、作中に明示される2004年の出来事ですから(映画制作時点で)「現代」が舞台です。そこから一つ下層に見出されたモーゼとヨシュアの物語は、紀元前13世紀か14世紀頃の出来事、つまり「過去」が舞台です。最深層から発掘されたダヤン叔父・甥の物語は、40年の始点が1967年と特定できましたので、終点は2007年、つまり「未来」が舞台となります。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ記事集
スピルバーグは、映画「ターミナル」で「2007年に待機の時が満ちてエルサレムを正式にイスラエルの領土(さらには首都)と世界に認めさせる夢が実現する」と予言していることになります。興味深いことにこの予言は、ウジ・ダヤンの公約とも一致します。彼は映画が制作されたのと同じ2004年に、西岸からの撤退を3年以内に実現すると発言しています。「2004+3」で2007年です。
<参照>ブルッキングス研究所の記事が抹消されたようです。替わりにgoogle検索結果
イスラエルにおいては、前々からウジ・ダヤンが主張していた西岸からの撤退についてコンセンサスが成立した観があります。これに強硬に反対していたリクードがシャロンの離反により崩壊寸前です(取り残されたリクードの党内でも反対論者切りが進んでいます)。パレスティナの動きがどうあれ、イスラエルは交渉なしの一方的撤退を断行することになるでしょう。1967年に占領した地域の一部を放棄しつつ、戦略拠点(点というより面)を確保する目論みです。
対するパレスティナ側も、ご承知のとおり政局が激変しています。交渉の両側の当事者が揃って消え去ろうとしており、パレスティナ情勢は「曲がり角」(ウジ・ダヤンの政党名)を迎えています。もしここでハマスが政権に参加しなかったとすれば、さらには政権を執らないとすれば、イスラエルの過激な分離政策に抵抗する自爆テロが頻発する事態になったかもしれません。まだまだ先行きは不透明ですが、パレスティナ議会選の結果はイスラエルには好都合だったと言えるのではないでしょうか。(国連までもがハマスに圧力を加えています。ハマスはテロ闘争を放棄した姿勢を世界に見せる必要に迫られています。褒美は「パレスティナ国家建設」でしょうか)
しかしそうだったとしても、エルサレムを巡る攻防は一筋縄とは行かないでしょう。ここを聖地とするアラブ諸国、特に1967年までここを管理していたヨルダンの出方が気になります。そこで思い出されるのが、映画「アイランド」のメッセージです。この作品の主人公二人に付けられた名前、「リンカーン」から「米国南北戦争」が抽出され、「ジョーダン」から「ヨルダン」が抽出されました。
(参考)記事「映画『アイランド』のメッセージ2」 同3
この「ヨルダン」の解釈を巡って私には迷いがありました。最初はこれが「ヨルダン内戦(1970年)」を指しており、米国南北戦争の事態進行モデルを示唆したものではないかと考えましたが、その後ヨルダンでのテロ勃発を機に、「ヨルダン」という国家そのものの関わりを示唆しているのではないかとも思えてきました。パレスティナ紛争を視野に収める映画「ターミナル」の考察を経た今は、後者の解釈がさらに妥当性を増しています。一旦はエルサレムを巡る争奪戦が激化したとしても、2007年に隣国ヨルダンが決定的な役割を果たして、結局はイスラエル領土として認められるのではないか―そんな推測が頭を擡(もた)げます。
(参考)記事「ニュースのメッセージ8」
上記の解釈が正しいなら、映画「アイランド」は「米国南北戦争」と「イスラエルのエルサレム正式奪還」が同時に起こると告げていることになります。「リンカーン(非常大権を握った米国大統領)」と「ジョーダン(ヨルダン)」が力を合わせて”ユダヤ人の新生”を成し遂げるというのがこの作品の中心メッセージだからです。そうであれば、私がこれまでこのコラムで展開してきた南北戦争の時期推定は間違いだったことになります。
私の根拠は、スピルバーグとベイとが同時期に映画を制作したときから3、4ヶ月先に事件が起こるというものでした。しかしその後他の作品を考察する中で、スピルバーグが「太陽の帝国」以来、一貫してユダヤ問題とマイノリティ問題に取り組んできたことが理解されるようになりました。事件が起きたのは、ベイが映画を制作したとき(多作のスピルバーグと必ず公開時期が重なる)ではなく、その事件に直接関わる主題が扱われたときでした。
たまたま最初の小惑星衝突という主題では二人は同時に映画を制作しています(スピルバーグは製作総指揮)。しかし911事件で決定的だったのはベイの映画「パールハーバー」でした。同様に南北戦争がもし計画されているとしたら、鍵は映画「リンカーン」が握っていることになります。スピルバーグの次回作(次々回作?)「リンカーン」は、公開が2006年末から2007年初頭ということになりそうです。そこから数ヶ月先は2007年のいつか―つまりここでも時期が一致する訳です。
<参照>ドリームワークスファンサイト
こうして時期を再考してみると、前回の記事でフィクサーがなぜ米国内のイラク撤退世論を沈静化したかったのかが見えてきます。イラクからの劇的な撤退は2007年に行われる計画(内戦の帰結として)で、決して世論に押されて前倒しされてはならないからです(漸次撤退は既定路線)。イラク戦争は確かに対パレスティナ政策の側面を持つようですが、ネオコンが抱懐する大イスラエル理念のためというより、小イスラエルとエルサレムのためにこそ米軍のイラク駐留が必要なのかもしれません。きっとパレスティナでの動きが米国内戦に先行するのでしょう。
(参考)記事「ビンラディン2006年1月声明のメッセージ」
2007年に向け、アメリカとイスラエル周辺の動きから目が離せません。その両軸が交差するポイントで活動するウジ・ダヤンについては今後も適宜記事にしたいと考えています。
*メッセージジャーナル要旨
「40年の待機と夢の実現」を主題とする映画「ターミナル」は3重の構造を持つ作品でした。最も表層に見えるナボルスキー親子の物語は、作中に明示される2004年の出来事ですから(映画制作時点で)「現代」が舞台です。そこから一つ下層に見出されたモーゼとヨシュアの物語は、紀元前13世紀か14世紀頃の出来事、つまり「過去」が舞台です。最深層から発掘されたダヤン叔父・甥の物語は、40年の始点が1967年と特定できましたので、終点は2007年、つまり「未来」が舞台となります。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ記事集
スピルバーグは、映画「ターミナル」で「2007年に待機の時が満ちてエルサレムを正式にイスラエルの領土(さらには首都)と世界に認めさせる夢が実現する」と予言していることになります。興味深いことにこの予言は、ウジ・ダヤンの公約とも一致します。彼は映画が制作されたのと同じ2004年に、西岸からの撤退を3年以内に実現すると発言しています。「2004+3」で2007年です。
<参照>ブルッキングス研究所の記事が抹消されたようです。替わりにgoogle検索結果
イスラエルにおいては、前々からウジ・ダヤンが主張していた西岸からの撤退についてコンセンサスが成立した観があります。これに強硬に反対していたリクードがシャロンの離反により崩壊寸前です(取り残されたリクードの党内でも反対論者切りが進んでいます)。パレスティナの動きがどうあれ、イスラエルは交渉なしの一方的撤退を断行することになるでしょう。1967年に占領した地域の一部を放棄しつつ、戦略拠点(点というより面)を確保する目論みです。
対するパレスティナ側も、ご承知のとおり政局が激変しています。交渉の両側の当事者が揃って消え去ろうとしており、パレスティナ情勢は「曲がり角」(ウジ・ダヤンの政党名)を迎えています。もしここでハマスが政権に参加しなかったとすれば、さらには政権を執らないとすれば、イスラエルの過激な分離政策に抵抗する自爆テロが頻発する事態になったかもしれません。まだまだ先行きは不透明ですが、パレスティナ議会選の結果はイスラエルには好都合だったと言えるのではないでしょうか。(国連までもがハマスに圧力を加えています。ハマスはテロ闘争を放棄した姿勢を世界に見せる必要に迫られています。褒美は「パレスティナ国家建設」でしょうか)
しかしそうだったとしても、エルサレムを巡る攻防は一筋縄とは行かないでしょう。ここを聖地とするアラブ諸国、特に1967年までここを管理していたヨルダンの出方が気になります。そこで思い出されるのが、映画「アイランド」のメッセージです。この作品の主人公二人に付けられた名前、「リンカーン」から「米国南北戦争」が抽出され、「ジョーダン」から「ヨルダン」が抽出されました。
(参考)記事「映画『アイランド』のメッセージ2」 同3
この「ヨルダン」の解釈を巡って私には迷いがありました。最初はこれが「ヨルダン内戦(1970年)」を指しており、米国南北戦争の事態進行モデルを示唆したものではないかと考えましたが、その後ヨルダンでのテロ勃発を機に、「ヨルダン」という国家そのものの関わりを示唆しているのではないかとも思えてきました。パレスティナ紛争を視野に収める映画「ターミナル」の考察を経た今は、後者の解釈がさらに妥当性を増しています。一旦はエルサレムを巡る争奪戦が激化したとしても、2007年に隣国ヨルダンが決定的な役割を果たして、結局はイスラエル領土として認められるのではないか―そんな推測が頭を擡(もた)げます。
(参考)記事「ニュースのメッセージ8」
上記の解釈が正しいなら、映画「アイランド」は「米国南北戦争」と「イスラエルのエルサレム正式奪還」が同時に起こると告げていることになります。「リンカーン(非常大権を握った米国大統領)」と「ジョーダン(ヨルダン)」が力を合わせて”ユダヤ人の新生”を成し遂げるというのがこの作品の中心メッセージだからです。そうであれば、私がこれまでこのコラムで展開してきた南北戦争の時期推定は間違いだったことになります。
私の根拠は、スピルバーグとベイとが同時期に映画を制作したときから3、4ヶ月先に事件が起こるというものでした。しかしその後他の作品を考察する中で、スピルバーグが「太陽の帝国」以来、一貫してユダヤ問題とマイノリティ問題に取り組んできたことが理解されるようになりました。事件が起きたのは、ベイが映画を制作したとき(多作のスピルバーグと必ず公開時期が重なる)ではなく、その事件に直接関わる主題が扱われたときでした。
たまたま最初の小惑星衝突という主題では二人は同時に映画を制作しています(スピルバーグは製作総指揮)。しかし911事件で決定的だったのはベイの映画「パールハーバー」でした。同様に南北戦争がもし計画されているとしたら、鍵は映画「リンカーン」が握っていることになります。スピルバーグの次回作(次々回作?)「リンカーン」は、公開が2006年末から2007年初頭ということになりそうです。そこから数ヶ月先は2007年のいつか―つまりここでも時期が一致する訳です。
<参照>ドリームワークスファンサイト
こうして時期を再考してみると、前回の記事でフィクサーがなぜ米国内のイラク撤退世論を沈静化したかったのかが見えてきます。イラクからの劇的な撤退は2007年に行われる計画(内戦の帰結として)で、決して世論に押されて前倒しされてはならないからです(漸次撤退は既定路線)。イラク戦争は確かに対パレスティナ政策の側面を持つようですが、ネオコンが抱懐する大イスラエル理念のためというより、小イスラエルとエルサレムのためにこそ米軍のイラク駐留が必要なのかもしれません。きっとパレスティナでの動きが米国内戦に先行するのでしょう。
(参考)記事「ビンラディン2006年1月声明のメッセージ」
2007年に向け、アメリカとイスラエル周辺の動きから目が離せません。その両軸が交差するポイントで活動するウジ・ダヤンについては今後も適宜記事にしたいと考えています。
*メッセージジャーナル要旨
2006年01月23日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ6
ディミタルとビクター、モーゼとヨシュア、モシェとウジの三重構造
スピルバーグは自身を戦いへと導いてくれた人物を映画「ターミナル」の登場人物グプタとして描いています。スピルバーグが仕掛けた謎解きのルールに従って、私はその人物を「ウジ・ダヤン」と読み解くことができました。この解釈が正しければ、スピルバーグはさらに作品そのものをもって私の確信を深めさせてくれるはずです。考察を進めてみましょう。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ記事集
イスラエルにおける国家安全保障問題のリーダーであるウジ・ダヤンの戦略は次の2点と思われます。
1.イスラム過激派に対抗する世界包囲網を構築する
2.小イスラエルに徹する
<参照>Council on Foreign Relations
対イスラム過激派世界包囲網の形成に当たっては、彼らのテロが単にイスラエルの問題だけではなく、自国の安全に直接関わる問題だとの認識を各国政府に抱かせることがまずは肝要です。ウジ・ダヤンは、テロがイスラム過激派の”戦略”であって、今後さらにテロ活動が世界化される(どこでイスラム過激派のテロが起こっても不思議ではない)との主張を展開しています。それを決定的に実証したのが911テロということになります。
911テロは、アメリカだけでなく、インドをも大きく動かしました。事件当時ウジ・ダヤンは、インドの国家安全保障問題担当補佐官Brajesh Mishraとの協議の只中でした。”偶々起きた”この出来事によって協議は一気に進捗し、イスラエル・インド間の軍事・情報提携関係が確立するに至ります。インドがイスラエルから購入した軍事兵器はほぼ倍増し(イスラエルにとってインドは第二の武器輸出国に)、インドの情報機関はイスラエルから直接訓練を受けるようになりました。これがイスラエル-インド-アメリカの対テロ同盟に発展したことは周知のとおりです(1月22日にもアメリカとインドが核開発協力で合意をしたとの報道が流されていました)。
<参照>News India-Times
ウジ・ダヤンは、世界包囲網をさらに進展させるための布石を打っています。今年初めには、米国の安全保障担当、とりわけネオコンの主要メンバーに対して、テロ対策世界センター(a world anti-terror center)の創設を提案しています。各国の対テロ活動の調整と大量破壊兵器の拡散防止を目的とする組織です。イスラムのテロリストがいずれ大量破壊兵器を入手し、それを使うと彼は各国に警告しているのです。
<参照>Haaretz.comの記事
イスラム過激派の脅威を強調しつつ世界包囲網の形成を促進すること。これがイスラエルの安全保障のための外堀を埋める戦略とすれば、内堀の戦略は「小イスラエル」です。ウジ・ダヤンはオペレーションズ・リサーチ(組織の課題分析・最適解析出)の学位を持っており、イスラエルを人口統計学の観点から分析しています。そこからパレスティナ人の住む地域の併合は、民主主義体制を維持しようとすると政治の混乱を招くとの結論を得て、従来の路線を否定しました。シャロンが断行したガザからの撤退は彼の進言にもよるもののようです。
そうしてユダヤ人が多く居住する地域だけに領土・支配地を絞り込み、この地域を隔離してしまえば、自爆攻撃を遂行しようとする者の侵入を阻止できます。それが同じくシャロンが断行した悪評高い「防護壁」の建設です。ガザからの撤退と防護壁は一つの戦略の裏表です。ウジ・ダヤンは、ガザ撤退を小イスラエルのための最初の一歩と考えており、今後ヨルダン川西岸の撤退を進める考えです。
ウジ・ダヤンは小イスラエルの境界線(防衛線)を既に策定しています。以前マスコミでも報道されていたものです。この地図を見ますと、国際的に認知された「グリーンライン」の外側(東側)に侵食する格好で、幾ら撤退と言っても、1967年の第三次中東戦争で奪取した土地の帰属確定を狙ったと批判されても仕方のないものです。特に問題となりそうなのが東エルサレムです。防衛線は当然のごとくエルサレムの東側に引かれているからです。ウジ・ダヤンは「エルサレムに関しては妥協はない、エルサレムはイスラエルの首都」と明言しています。
<参照>Global Politics(防衛線地図も)
エルサレムをイスラエルの手に取り戻す―実はこの端緒を開いたのは、ウジ・ダヤンの叔父モシェ・ダヤン(Moshe Dayan)でした。イスラエルの英雄、独眼竜のダヤン将軍です。第三次中東戦争でエルサレムの東半分を獲得したのは、彼の功績とされています。そして、近い将来、ウジ・ダヤンがエルサレム全市の支配を既成事実化できれば、2代でのイスラエルの悲願の達成となります。そうです。ここでも映画「ターミナル」のプロットが重なってくるのです。まだ残っていた謎、ビクターがなぜ「ゲイト67」に仮住まいしているのかがこれで解けました。「ゲイト67」とは夢の始点「1967年」の暗喩だったのです。
(同じ指摘がネット上に1件既出です。根拠の記述がない上に書き込みですので参照は控えます。そこにはビクターが勝利を意味するとも書かれています)
映画「ターミナル」は3重の構造を持ちます。最も表層にあるのが「ディミタル(父親の名)とビクターの40年の待機と夢の実現(ジャズプレーヤーのサインを我が手に)」、そのすぐ背後にあるのが「モーゼとヨシュアの40年の待機と夢の実現(約束の地カナンを我が手に)」、最も奥に隠されているのが「モシェ(モーゼ)とウジの40年の待機と夢の実現(現代エルサレムを我が手に)」です。映画「ターミナル」は随分と練られています。スピルバーグにとって極めて重要な意味を持つ映画だったようです。
さらに次回に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
スピルバーグは自身を戦いへと導いてくれた人物を映画「ターミナル」の登場人物グプタとして描いています。スピルバーグが仕掛けた謎解きのルールに従って、私はその人物を「ウジ・ダヤン」と読み解くことができました。この解釈が正しければ、スピルバーグはさらに作品そのものをもって私の確信を深めさせてくれるはずです。考察を進めてみましょう。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ記事集
イスラエルにおける国家安全保障問題のリーダーであるウジ・ダヤンの戦略は次の2点と思われます。
1.イスラム過激派に対抗する世界包囲網を構築する
2.小イスラエルに徹する
<参照>Council on Foreign Relations
対イスラム過激派世界包囲網の形成に当たっては、彼らのテロが単にイスラエルの問題だけではなく、自国の安全に直接関わる問題だとの認識を各国政府に抱かせることがまずは肝要です。ウジ・ダヤンは、テロがイスラム過激派の”戦略”であって、今後さらにテロ活動が世界化される(どこでイスラム過激派のテロが起こっても不思議ではない)との主張を展開しています。それを決定的に実証したのが911テロということになります。
911テロは、アメリカだけでなく、インドをも大きく動かしました。事件当時ウジ・ダヤンは、インドの国家安全保障問題担当補佐官Brajesh Mishraとの協議の只中でした。”偶々起きた”この出来事によって協議は一気に進捗し、イスラエル・インド間の軍事・情報提携関係が確立するに至ります。インドがイスラエルから購入した軍事兵器はほぼ倍増し(イスラエルにとってインドは第二の武器輸出国に)、インドの情報機関はイスラエルから直接訓練を受けるようになりました。これがイスラエル-インド-アメリカの対テロ同盟に発展したことは周知のとおりです(1月22日にもアメリカとインドが核開発協力で合意をしたとの報道が流されていました)。
<参照>News India-Times
ウジ・ダヤンは、世界包囲網をさらに進展させるための布石を打っています。今年初めには、米国の安全保障担当、とりわけネオコンの主要メンバーに対して、テロ対策世界センター(a world anti-terror center)の創設を提案しています。各国の対テロ活動の調整と大量破壊兵器の拡散防止を目的とする組織です。イスラムのテロリストがいずれ大量破壊兵器を入手し、それを使うと彼は各国に警告しているのです。
<参照>Haaretz.comの記事
イスラム過激派の脅威を強調しつつ世界包囲網の形成を促進すること。これがイスラエルの安全保障のための外堀を埋める戦略とすれば、内堀の戦略は「小イスラエル」です。ウジ・ダヤンはオペレーションズ・リサーチ(組織の課題分析・最適解析出)の学位を持っており、イスラエルを人口統計学の観点から分析しています。そこからパレスティナ人の住む地域の併合は、民主主義体制を維持しようとすると政治の混乱を招くとの結論を得て、従来の路線を否定しました。シャロンが断行したガザからの撤退は彼の進言にもよるもののようです。
そうしてユダヤ人が多く居住する地域だけに領土・支配地を絞り込み、この地域を隔離してしまえば、自爆攻撃を遂行しようとする者の侵入を阻止できます。それが同じくシャロンが断行した悪評高い「防護壁」の建設です。ガザからの撤退と防護壁は一つの戦略の裏表です。ウジ・ダヤンは、ガザ撤退を小イスラエルのための最初の一歩と考えており、今後ヨルダン川西岸の撤退を進める考えです。
ウジ・ダヤンは小イスラエルの境界線(防衛線)を既に策定しています。以前マスコミでも報道されていたものです。この地図を見ますと、国際的に認知された「グリーンライン」の外側(東側)に侵食する格好で、幾ら撤退と言っても、1967年の第三次中東戦争で奪取した土地の帰属確定を狙ったと批判されても仕方のないものです。特に問題となりそうなのが東エルサレムです。防衛線は当然のごとくエルサレムの東側に引かれているからです。ウジ・ダヤンは「エルサレムに関しては妥協はない、エルサレムはイスラエルの首都」と明言しています。
<参照>Global Politics(防衛線地図も)
エルサレムをイスラエルの手に取り戻す―実はこの端緒を開いたのは、ウジ・ダヤンの叔父モシェ・ダヤン(Moshe Dayan)でした。イスラエルの英雄、独眼竜のダヤン将軍です。第三次中東戦争でエルサレムの東半分を獲得したのは、彼の功績とされています。そして、近い将来、ウジ・ダヤンがエルサレム全市の支配を既成事実化できれば、2代でのイスラエルの悲願の達成となります。そうです。ここでも映画「ターミナル」のプロットが重なってくるのです。まだ残っていた謎、ビクターがなぜ「ゲイト67」に仮住まいしているのかがこれで解けました。「ゲイト67」とは夢の始点「1967年」の暗喩だったのです。
(同じ指摘がネット上に1件既出です。根拠の記述がない上に書き込みですので参照は控えます。そこにはビクターが勝利を意味するとも書かれています)
映画「ターミナル」は3重の構造を持ちます。最も表層にあるのが「ディミタル(父親の名)とビクターの40年の待機と夢の実現(ジャズプレーヤーのサインを我が手に)」、そのすぐ背後にあるのが「モーゼとヨシュアの40年の待機と夢の実現(約束の地カナンを我が手に)」、最も奥に隠されているのが「モシェ(モーゼ)とウジの40年の待機と夢の実現(現代エルサレムを我が手に)」です。映画「ターミナル」は随分と練られています。スピルバーグにとって極めて重要な意味を持つ映画だったようです。
さらに次回に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
2006年01月22日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ5
グプタ(Gupta Rajan)の正体
映画「ターミナル」についての一連の記事で、スピルバーグがアメリカに宣戦布告をしていると書きました。この戦いは、アメリカを「新しいカナン」と考える特定グループが、米国におけるユダヤ人とマイノリティの解放を目指し、現在の支配層であるWASPに対して挑む戦いです。これらは作中の登場人物を検証する過程で明らかになりました。今回はグプタを取り上げます。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1、同2、同3、同4
「米国内戦」をメッセージしている映画「ターミナル」で、最も重要な役割を与えられているのが掃除人グプタです。彼は「待つ」ことに徹し、目的を達成するための行動に出ようとしないビクターを戦いへと駆り立てた人物です。「太陽の帝国」以来、スピルバーグが自身の心情を映画のメッセージに込めたことを考えれば、このキャラクターに暗喩された現実の人物こそが、スピルバーグの逡巡を一掃し、特定の計画を抱く者たち(フィクサー)に協力する決意をさせたキーマンということになります。
そして、それが誰であるにしても、その人物は911事件の首謀者か関係者であることをスピルバーグは仄めかしています。思い出してください。グプタの決定的行動は「飛行機を止めた」ことです。映画「ターミナル」の舞台は、事件の結節点とも言えるニューヨークの空港です。同じ都市のWTCが破壊され、同じ都市のニューアーク空港からワシントンを攻撃する飛行機が離陸しました。こともあろうにその舞台で「飛行機を止める」という行為の意味を、グプタに感情移入することなく考えてみてください。テロリストたちが「ナイフ一本で」止めたと言われるように、グプタは「モップ一本で」。テロリストたちが「火曜日」に実行したように、「火曜日」に妙に拘るグプタによって。テロリストたちが自らの命を犠牲にしたと言われているように、グプタは刑務所送りを覚悟して。
911事件にビクター、いえスピルバーグは衝撃を受けた―その出来事をスピルバーグは映画「ターミナル」に刻印したようです。その行動力に感銘し、「ただ待つ」という態度を捨て、行動に協力することを決意した瞬間の記念として。これはどうあっても人物を特定しなければなりません。
グプタのキャラクター設定にヒントがあるはずです。
1.名前はグプタ・ラヤン(Gupta Rajan)
2.インドのマドラスでタバコ店を営んでいた
3.警官を刺して23年前に米国へ逃げ込んだ
4.強制送還されれば7年の刑務所収監が待っている
5.現在は清掃会社のスタッフ
6.ビクターをCIAのスパイと疑った
7.火曜日に拘りを持つ
8.アポイントメントに拘りを持つ
9.モップ1本で飛行機を止めた
どこから手を着ければ良いのでしょうか?幸いにもスピルバーグは私たちに大きなヒントを提供してくれています。彼は登場人物の名前にいつも拘っていますが、その特徴がこの作品にはとりわけ顕著に現われています。勝利を約束されるビクター(Viktor)は「ビクトリー(Victory)」、現政権支配層に望みを掛けるアメリア(Amelia)は「アメリカ(America)」をそれぞれ意味しています。WASPを象徴するディクソン(Dixon)はその代表「ニクソン(Nixon)」からと思われます。
意味するもの、象徴するものから、その1字だけを換えて命名されており、さらにアメリアやビクターのように"r"を"l"に、"c"を"k"にと小さな修正を加えれば完成です。「グプタ」はインド人らしい名前に過ぎないので、結局「Rajan」だけに焦点を当てて、どこか1字を取り換えさらに1字をマイナーチェンジすれば、暗喩された人物に辿りつくはずです。
*「クラクフ(Krakow)」を暗喩する「クラコージア(Krakozhia)」、「ネボ(Nevo)山」を暗喩するビクターの姓「ナボルスキー(Navorski)」にも、1字を換えて語尾を付加する類似パターンが確認できます。
お断りしなければなりません。ここまでは作品のメッセージやスピルバーグの映画制作プロファイルから導き出された推論です。しかしここからは私の単なる推量です。従いまして、私がこれから推量する人物が911事件の黒幕だと断定する意図は、現時点ではありません。その点は今後、私が考察しなければならない課題です。皆さんも「Rajan」の謎を解いてみてください。そして良い仮説がありましたら教えてください。
私の仮説は「Dayan」です。("R"を"D"にチェンジ。さらに"j"を"y"にマイナーチェンジ)
ネットで検索してみてください。日本の情報はほとんどありませんが、アメリカ版googleなどで検索すると引っ掛かってくる人物がいます。それがウジ・ダヤン(Uzi Dayan)です。彼は、イスラエル国防軍の元幹部で、国家安全保障会議議長、シャロン首相の国家安全アドバイザーやイスラエルのシオニスト会議議長などを歴任しています。軍事と情報活動に明るく、特にテロ対策の専門家と目されています(イスラエルはテロ対策の先端国家、その国の当該部門のリーダー)。
<参照>Maj. General (Res.) Uzi Dayan(経歴)
単に名前の謎解きから出発したにも関わらず、テロ対策の国際リーダーに行き着いたことに驚きを覚えざるを得ません。しかも、調べれば調べるほど、私の中でこの仮説の信頼性が高まってきています。その手応えを今後の記事で少しずつ報告するつもりです。しかし所詮、私の手には余る話。国際情勢や英語に明るい方は是非、ウジ・ダヤンに注目してください。
さらに次回に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
映画「ターミナル」についての一連の記事で、スピルバーグがアメリカに宣戦布告をしていると書きました。この戦いは、アメリカを「新しいカナン」と考える特定グループが、米国におけるユダヤ人とマイノリティの解放を目指し、現在の支配層であるWASPに対して挑む戦いです。これらは作中の登場人物を検証する過程で明らかになりました。今回はグプタを取り上げます。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1、同2、同3、同4
「米国内戦」をメッセージしている映画「ターミナル」で、最も重要な役割を与えられているのが掃除人グプタです。彼は「待つ」ことに徹し、目的を達成するための行動に出ようとしないビクターを戦いへと駆り立てた人物です。「太陽の帝国」以来、スピルバーグが自身の心情を映画のメッセージに込めたことを考えれば、このキャラクターに暗喩された現実の人物こそが、スピルバーグの逡巡を一掃し、特定の計画を抱く者たち(フィクサー)に協力する決意をさせたキーマンということになります。
そして、それが誰であるにしても、その人物は911事件の首謀者か関係者であることをスピルバーグは仄めかしています。思い出してください。グプタの決定的行動は「飛行機を止めた」ことです。映画「ターミナル」の舞台は、事件の結節点とも言えるニューヨークの空港です。同じ都市のWTCが破壊され、同じ都市のニューアーク空港からワシントンを攻撃する飛行機が離陸しました。こともあろうにその舞台で「飛行機を止める」という行為の意味を、グプタに感情移入することなく考えてみてください。テロリストたちが「ナイフ一本で」止めたと言われるように、グプタは「モップ一本で」。テロリストたちが「火曜日」に実行したように、「火曜日」に妙に拘るグプタによって。テロリストたちが自らの命を犠牲にしたと言われているように、グプタは刑務所送りを覚悟して。
911事件にビクター、いえスピルバーグは衝撃を受けた―その出来事をスピルバーグは映画「ターミナル」に刻印したようです。その行動力に感銘し、「ただ待つ」という態度を捨て、行動に協力することを決意した瞬間の記念として。これはどうあっても人物を特定しなければなりません。
グプタのキャラクター設定にヒントがあるはずです。
1.名前はグプタ・ラヤン(Gupta Rajan)
2.インドのマドラスでタバコ店を営んでいた
3.警官を刺して23年前に米国へ逃げ込んだ
4.強制送還されれば7年の刑務所収監が待っている
5.現在は清掃会社のスタッフ
6.ビクターをCIAのスパイと疑った
7.火曜日に拘りを持つ
8.アポイントメントに拘りを持つ
9.モップ1本で飛行機を止めた
どこから手を着ければ良いのでしょうか?幸いにもスピルバーグは私たちに大きなヒントを提供してくれています。彼は登場人物の名前にいつも拘っていますが、その特徴がこの作品にはとりわけ顕著に現われています。勝利を約束されるビクター(Viktor)は「ビクトリー(Victory)」、現政権支配層に望みを掛けるアメリア(Amelia)は「アメリカ(America)」をそれぞれ意味しています。WASPを象徴するディクソン(Dixon)はその代表「ニクソン(Nixon)」からと思われます。
意味するもの、象徴するものから、その1字だけを換えて命名されており、さらにアメリアやビクターのように"r"を"l"に、"c"を"k"にと小さな修正を加えれば完成です。「グプタ」はインド人らしい名前に過ぎないので、結局「Rajan」だけに焦点を当てて、どこか1字を取り換えさらに1字をマイナーチェンジすれば、暗喩された人物に辿りつくはずです。
*「クラクフ(Krakow)」を暗喩する「クラコージア(Krakozhia)」、「ネボ(Nevo)山」を暗喩するビクターの姓「ナボルスキー(Navorski)」にも、1字を換えて語尾を付加する類似パターンが確認できます。
お断りしなければなりません。ここまでは作品のメッセージやスピルバーグの映画制作プロファイルから導き出された推論です。しかしここからは私の単なる推量です。従いまして、私がこれから推量する人物が911事件の黒幕だと断定する意図は、現時点ではありません。その点は今後、私が考察しなければならない課題です。皆さんも「Rajan」の謎を解いてみてください。そして良い仮説がありましたら教えてください。
私の仮説は「Dayan」です。("R"を"D"にチェンジ。さらに"j"を"y"にマイナーチェンジ)
ネットで検索してみてください。日本の情報はほとんどありませんが、アメリカ版googleなどで検索すると引っ掛かってくる人物がいます。それがウジ・ダヤン(Uzi Dayan)です。彼は、イスラエル国防軍の元幹部で、国家安全保障会議議長、シャロン首相の国家安全アドバイザーやイスラエルのシオニスト会議議長などを歴任しています。軍事と情報活動に明るく、特にテロ対策の専門家と目されています(イスラエルはテロ対策の先端国家、その国の当該部門のリーダー)。
<参照>Maj. General (Res.) Uzi Dayan(経歴)
単に名前の謎解きから出発したにも関わらず、テロ対策の国際リーダーに行き着いたことに驚きを覚えざるを得ません。しかも、調べれば調べるほど、私の中でこの仮説の信頼性が高まってきています。その手応えを今後の記事で少しずつ報告するつもりです。しかし所詮、私の手には余る話。国際情勢や英語に明るい方は是非、ウジ・ダヤンに注目してください。
さらに次回に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
2006年01月21日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ4
マイノリティの解放を目的とする対WASP戦争
映画「ターミナル」についての一連の記事で、スピルバーグがアメリカに宣戦布告をしていると書きました。続いてビクターとアメリアとの恋愛から、イスラエル支持のユダヤ主流派と、スピルバーグの背後にいるアメリカ再建派のユダヤ人グループとの関係を読み解きました。同様に他の登場人物からも重要なメッセージを得ることができます。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1、同2、同3
ビクターのカナン入りを阻止しているのは空港職員ディクソンです。そんな彼が奇妙な描かれ方をしています。執務室中が魚であふれ返っているのです。スピルバーグはビクターに大きな魚の飾り物を持ち込ませることで、観客に見逃されないよう配慮しています。ビクターが山羊だったように、ディクソンは魚です。
魚をシンボルとするものは?そう、イエス・キリストです。私たちは既にスピルバーグがキリスト教に敵愾心を抱いていることを確認しています。ユダヤ人迫害の根源がキリスト教にあると見ているからです。それは何もスピルバーグの思い込みではなく、カトリック教会(バチカン)も2000年にその責任を認め正式に謝罪しています。
(参考)スピルバーグのメッセージ再考
ディクソンは権力だけでなく、キリスト教徒をも代表しています。つまりWASP(プロテスタンティズムを奉じるアングロサクソン系白人)です。このWASPからの執拗な嫌がらせにじっと我慢していたビクターも、最終的には正面から対決しなければなりませんでした。WASPの力を利用したアメリアとは方向が正反対です。
米国内戦の敵が明瞭になりました。ではこの戦いは、誰を味方とする、誰のためのものなのでしょう。もちろんその筆頭は「ユダヤ人」です。しかしそれだけでもなさそうです。空港で働く移民たち、マイノリティたちとの関係を確認します。
映画「ターミナル」のコンセプト「仮庵祭」は、収穫祭の側面をも併せ持っています。農園主はその年の収穫を祝うのですが、旧約聖書ではそのときに「レビびと、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい」(申命記16章14節)とされています。抑圧されている者、弱者たちを忘れるなというのです。(ちなみに、ビクターの大切なピーナッツ缶のラベルには大きく”Planters”と書かれています)
ビクターが彼らに同情している様は、薬を持ち込もうとしたロシア人の一件に集約されています。空港で働くマイノリティたちは、その出来事を伝え聞いてビクターを熱烈に受け入れます。故国クラコージアの戦争終結を祝う場に彼らが参集して、喜びを共にしていたシーンが印象に残ります。あるいはスピルバーグは、この日を狭い意味で仮庵祭の最終日と設定したのかもしれません(厳密には2004年のカレンダーとは微妙に日がずれるようですが、10月の出来事であることは間違いありません)。
空港で働くマイノリティたちは、自分たちの店舗の柱や横木にビクターの手形を掲げます。ビクターは犠牲のヤギですから、この行為は「主の過ぎ越し」を想起させます。犠牲の血を各人の柱や鴨居(横木)に掲げれば救われるというユダヤ教の重要な儀式です。映画全体は「出エジプト」と「仮庵祭」をベースとしていますが、このシーンに限っては「過ぎ越し」をスピルバーグは意識しているようです。
その結果ビクターは、こうしたマイノリティたちをユダヤ人に準じると見做し、両者を共に解放する者という意味合いを帯びてきます。店舗で働く者たちはビクターの出陣に目を輝かせ、ディクソンの部下である黒人リーダーは命令に背いてビクターに協力します(映画「アイランド」と同じく黒人の反乱です)。
スピルバーグの第二のテーマが「マイノリティ」であることは、広く知られた事実です(例えば「アミスタッド」)。彼がユダヤ人の存続と共に、マイノリティたちの解放を願っていることは疑いありません。多分現在制作中とされている新作映画「リンカーン」もこの視点から描かれることでしょう。黒人だけでなく、マイノリティたち全員の解放です。
スピルバーグの問題は、”ユダヤ人がアメリカを支配することで”少数者や虐げられた者たちを解放できると考えている点です。彼はじっと世紀の変わり目を待っていたのでしょう。しかし新しいミレニアムを迎えても何一つ変わらないことに焦燥感を募らせ、願いを実現する最後の扉を自分の(自分たちの)力で押し開こうと考えたと思われます。彼らしい発想ではありますが、所詮は暴力の上に築かれた幻想に過ぎません。スピルバーグが思想の正当性を懸命に映画でアピールするよりも、一刻も早く目覚めるよう願います。現実が見えていないのはアメリアではなくスピルバーグです。
さて、もう一人重要な人物が残っています。グプタです。さらに次の記事に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
映画「ターミナル」についての一連の記事で、スピルバーグがアメリカに宣戦布告をしていると書きました。続いてビクターとアメリアとの恋愛から、イスラエル支持のユダヤ主流派と、スピルバーグの背後にいるアメリカ再建派のユダヤ人グループとの関係を読み解きました。同様に他の登場人物からも重要なメッセージを得ることができます。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1、同2、同3
ビクターのカナン入りを阻止しているのは空港職員ディクソンです。そんな彼が奇妙な描かれ方をしています。執務室中が魚であふれ返っているのです。スピルバーグはビクターに大きな魚の飾り物を持ち込ませることで、観客に見逃されないよう配慮しています。ビクターが山羊だったように、ディクソンは魚です。
魚をシンボルとするものは?そう、イエス・キリストです。私たちは既にスピルバーグがキリスト教に敵愾心を抱いていることを確認しています。ユダヤ人迫害の根源がキリスト教にあると見ているからです。それは何もスピルバーグの思い込みではなく、カトリック教会(バチカン)も2000年にその責任を認め正式に謝罪しています。
(参考)スピルバーグのメッセージ再考
ディクソンは権力だけでなく、キリスト教徒をも代表しています。つまりWASP(プロテスタンティズムを奉じるアングロサクソン系白人)です。このWASPからの執拗な嫌がらせにじっと我慢していたビクターも、最終的には正面から対決しなければなりませんでした。WASPの力を利用したアメリアとは方向が正反対です。
米国内戦の敵が明瞭になりました。ではこの戦いは、誰を味方とする、誰のためのものなのでしょう。もちろんその筆頭は「ユダヤ人」です。しかしそれだけでもなさそうです。空港で働く移民たち、マイノリティたちとの関係を確認します。
映画「ターミナル」のコンセプト「仮庵祭」は、収穫祭の側面をも併せ持っています。農園主はその年の収穫を祝うのですが、旧約聖書ではそのときに「レビびと、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい」(申命記16章14節)とされています。抑圧されている者、弱者たちを忘れるなというのです。(ちなみに、ビクターの大切なピーナッツ缶のラベルには大きく”Planters”と書かれています)
ビクターが彼らに同情している様は、薬を持ち込もうとしたロシア人の一件に集約されています。空港で働くマイノリティたちは、その出来事を伝え聞いてビクターを熱烈に受け入れます。故国クラコージアの戦争終結を祝う場に彼らが参集して、喜びを共にしていたシーンが印象に残ります。あるいはスピルバーグは、この日を狭い意味で仮庵祭の最終日と設定したのかもしれません(厳密には2004年のカレンダーとは微妙に日がずれるようですが、10月の出来事であることは間違いありません)。
空港で働くマイノリティたちは、自分たちの店舗の柱や横木にビクターの手形を掲げます。ビクターは犠牲のヤギですから、この行為は「主の過ぎ越し」を想起させます。犠牲の血を各人の柱や鴨居(横木)に掲げれば救われるというユダヤ教の重要な儀式です。映画全体は「出エジプト」と「仮庵祭」をベースとしていますが、このシーンに限っては「過ぎ越し」をスピルバーグは意識しているようです。
その結果ビクターは、こうしたマイノリティたちをユダヤ人に準じると見做し、両者を共に解放する者という意味合いを帯びてきます。店舗で働く者たちはビクターの出陣に目を輝かせ、ディクソンの部下である黒人リーダーは命令に背いてビクターに協力します(映画「アイランド」と同じく黒人の反乱です)。
スピルバーグの第二のテーマが「マイノリティ」であることは、広く知られた事実です(例えば「アミスタッド」)。彼がユダヤ人の存続と共に、マイノリティたちの解放を願っていることは疑いありません。多分現在制作中とされている新作映画「リンカーン」もこの視点から描かれることでしょう。黒人だけでなく、マイノリティたち全員の解放です。
スピルバーグの問題は、”ユダヤ人がアメリカを支配することで”少数者や虐げられた者たちを解放できると考えている点です。彼はじっと世紀の変わり目を待っていたのでしょう。しかし新しいミレニアムを迎えても何一つ変わらないことに焦燥感を募らせ、願いを実現する最後の扉を自分の(自分たちの)力で押し開こうと考えたと思われます。彼らしい発想ではありますが、所詮は暴力の上に築かれた幻想に過ぎません。スピルバーグが思想の正当性を懸命に映画でアピールするよりも、一刻も早く目覚めるよう願います。現実が見えていないのはアメリアではなくスピルバーグです。
さて、もう一人重要な人物が残っています。グプタです。さらに次の記事に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
2006年01月15日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ3
アメリカに対する宣戦布告
映画「ターミナル」に込められたメッセージ「アメリカはユダヤ人の新しいカナン」―これがスピルバーグの心情を吐露するだけのものなら、米国社会の顰蹙を買うくらいで済むでしょう。しかし注意してください。スピルバーグは同時に「待つ時期は今や終わった。カナン獲得のための決然とした行動が必要なときだ」と言っています。誰かの心の中の話ではなく、現実世界での具体的行動が語られているのです。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1、同2
グプタはこう言っていました―「外に出て戦え」。ビクターは「戦争はもう終わったのに」と一旦は拒みますが、最後はグプタの助言に従います。外へ戦いに出たのです。つまり映画「ターミナル」でスピルバーグがメッセージしているのは、アメリカに対する宣戦布告です。そんな馬鹿なと言われようが、これは事実です。
このメッセージは出エジプト後のヨシュアたちの経緯と一致します。ヨシュアに率いられてカナンの地に侵入したイスラエルの民は、その地に入り込んで暮らしていた異民族と戦い続けるのです。神は彼らを助け、イスラエルのカナン征服を成し遂げさせます。ビクターの名前はこの戦いでの「勝利」を意味しているのかもしれません。
また、私がこのコラムで読み解いてきた内容とも、このメッセージはぴたりと重なります。アメリカの内戦です。既に見てきたように、スピルバーグは映画「アイランド」でも同じ呼びかけをしています。「ユダヤ人はこれまで騙されてきた。今こそ目覚めるときだ。戦いに立ち上がれ」と。彼にブレはありません。
(参考)映画「アイランド」のメッセージ5
建国時、アメリカ移民たちは「新大陸は”新しいカナン””新しいエルサレム”」との理念を掲げていました。もちろん”プロテスタントのための”という但し書き付きです。スピルバーグは、この理念の但し書きを”ユダヤ人のための”に差し替えようとしています。それはまたアメリカの歴史を遡って歴史を書き変えようとしているフィクサーたちの思惑とも恐ろしいくらいに一致します。
(参考)このブログの要約3
ユダヤ人にはイスラエルがあるじゃないかと思われる方もおいででしょう。シオニズムは神が約束された民族の再結集を目指す運動ですが、当初は南米という候補地名も挙げられていたように、結集場所に関してユダヤ人全体のコンセンサスが成立している訳ではありません。むしろロスチャイルド家は、建国構想時からイスラエルの力を抑止しようと画策していたとの指摘もあります。現実として相当数のユダヤ人が移住している米国こそがその地だとする考え方は少数ではあるでしょうが、決して奇異なものではありません。
<参照>田中宇の国際ニュース解説「イスラエルとロスチャイルドの百年戦争」
ヒロインであるアメリアに注目してください。彼女はカナン同行をビクターに請われていますので、ユダヤ人のはずです。そのユダヤ人の彼女にはWASPと思しき恋人がいて、7年間も彼女の自由を奪っています。彼女はWASPの奴隷です。旧約聖書には奴隷の扱いが定められていて(申命記15章12〜18節)、7年目にすべての奴隷が解放されます。奴隷は自ら主人に仕え続けることを希望しなければ自由人となります。アメリアはこの定めによって一旦恋人と別れます。しかしその後、ビクターの目的を実現するために、自らの意思で復縁を申し出ます。奴隷であり続けることを選択した訳です。そしてビクターと行動を共にすることを拒否します。
アメリアは「理想ばかりを追いかけて現実を見ない」と自己分析しています。私はアメリアに暗喩されているのが、再結集の地を聖書の文言に従いパレスティナ以外にはないと考え、国家イスラエルを熱烈に支持する者たち(大イスラエル主義者)だと推定します。ちなみにアメリカ原理主義者、福音主義者もこの立場です。対する「現実派」は、多くのユダヤ人が結集している事実を根拠として再結集の地をアメリカとする考えを抱く者たち(必然として小イスラエル主義者、アラブ融和派)ということになります。
アメリアの暗喩を深読みすれば、「イスラエル支持のユダヤ人はWASPに取り入って自国の安全と発展を確保しようとしている。彼らは自らWASPの奴隷に成り下がっている」とのメッセージが得られます。ネオコンに集結しているユダヤ人たちはWASPと手を結んで、アメリカの国際政策をイスラエル寄りにさせている現実がありますので、案外これも正しい読みなのかもしれません。
いずれにしろ、スピルバーグはビクターの失恋をとおして、新しいカナンについての計画を聞いたときは結ばれたかに見えたアメリカ・現実派とイスラエル・理想派とが、結局は共同歩調を取ることができなかったことを表現しているようです。この文脈で考えれば、アメリアのセリフ「運命」はそうした2大思潮の歩み寄りが最初から不可能だったとの意味とも取れます。行動に伴う犠牲を強調した先の記事を修正する必要がありそうです。
さらに次回に続きます。
*繰り返し書きますが、私はユダヤ人全体を非難する意図を持ってはいません。このブログは、特殊な考えを抱く一部ユダヤ人と、彼らに協力する特定の非ユダヤ人たちを告発するものです。
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
メッセージジャーナル要旨
映画「ターミナル」に込められたメッセージ「アメリカはユダヤ人の新しいカナン」―これがスピルバーグの心情を吐露するだけのものなら、米国社会の顰蹙を買うくらいで済むでしょう。しかし注意してください。スピルバーグは同時に「待つ時期は今や終わった。カナン獲得のための決然とした行動が必要なときだ」と言っています。誰かの心の中の話ではなく、現実世界での具体的行動が語られているのです。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1、同2
グプタはこう言っていました―「外に出て戦え」。ビクターは「戦争はもう終わったのに」と一旦は拒みますが、最後はグプタの助言に従います。外へ戦いに出たのです。つまり映画「ターミナル」でスピルバーグがメッセージしているのは、アメリカに対する宣戦布告です。そんな馬鹿なと言われようが、これは事実です。
このメッセージは出エジプト後のヨシュアたちの経緯と一致します。ヨシュアに率いられてカナンの地に侵入したイスラエルの民は、その地に入り込んで暮らしていた異民族と戦い続けるのです。神は彼らを助け、イスラエルのカナン征服を成し遂げさせます。ビクターの名前はこの戦いでの「勝利」を意味しているのかもしれません。
また、私がこのコラムで読み解いてきた内容とも、このメッセージはぴたりと重なります。アメリカの内戦です。既に見てきたように、スピルバーグは映画「アイランド」でも同じ呼びかけをしています。「ユダヤ人はこれまで騙されてきた。今こそ目覚めるときだ。戦いに立ち上がれ」と。彼にブレはありません。
(参考)映画「アイランド」のメッセージ5
建国時、アメリカ移民たちは「新大陸は”新しいカナン””新しいエルサレム”」との理念を掲げていました。もちろん”プロテスタントのための”という但し書き付きです。スピルバーグは、この理念の但し書きを”ユダヤ人のための”に差し替えようとしています。それはまたアメリカの歴史を遡って歴史を書き変えようとしているフィクサーたちの思惑とも恐ろしいくらいに一致します。
(参考)このブログの要約3
ユダヤ人にはイスラエルがあるじゃないかと思われる方もおいででしょう。シオニズムは神が約束された民族の再結集を目指す運動ですが、当初は南米という候補地名も挙げられていたように、結集場所に関してユダヤ人全体のコンセンサスが成立している訳ではありません。むしろロスチャイルド家は、建国構想時からイスラエルの力を抑止しようと画策していたとの指摘もあります。現実として相当数のユダヤ人が移住している米国こそがその地だとする考え方は少数ではあるでしょうが、決して奇異なものではありません。
<参照>田中宇の国際ニュース解説「イスラエルとロスチャイルドの百年戦争」
ヒロインであるアメリアに注目してください。彼女はカナン同行をビクターに請われていますので、ユダヤ人のはずです。そのユダヤ人の彼女にはWASPと思しき恋人がいて、7年間も彼女の自由を奪っています。彼女はWASPの奴隷です。旧約聖書には奴隷の扱いが定められていて(申命記15章12〜18節)、7年目にすべての奴隷が解放されます。奴隷は自ら主人に仕え続けることを希望しなければ自由人となります。アメリアはこの定めによって一旦恋人と別れます。しかしその後、ビクターの目的を実現するために、自らの意思で復縁を申し出ます。奴隷であり続けることを選択した訳です。そしてビクターと行動を共にすることを拒否します。
アメリアは「理想ばかりを追いかけて現実を見ない」と自己分析しています。私はアメリアに暗喩されているのが、再結集の地を聖書の文言に従いパレスティナ以外にはないと考え、国家イスラエルを熱烈に支持する者たち(大イスラエル主義者)だと推定します。ちなみにアメリカ原理主義者、福音主義者もこの立場です。対する「現実派」は、多くのユダヤ人が結集している事実を根拠として再結集の地をアメリカとする考えを抱く者たち(必然として小イスラエル主義者、アラブ融和派)ということになります。
アメリアの暗喩を深読みすれば、「イスラエル支持のユダヤ人はWASPに取り入って自国の安全と発展を確保しようとしている。彼らは自らWASPの奴隷に成り下がっている」とのメッセージが得られます。ネオコンに集結しているユダヤ人たちはWASPと手を結んで、アメリカの国際政策をイスラエル寄りにさせている現実がありますので、案外これも正しい読みなのかもしれません。
いずれにしろ、スピルバーグはビクターの失恋をとおして、新しいカナンについての計画を聞いたときは結ばれたかに見えたアメリカ・現実派とイスラエル・理想派とが、結局は共同歩調を取ることができなかったことを表現しているようです。この文脈で考えれば、アメリアのセリフ「運命」はそうした2大思潮の歩み寄りが最初から不可能だったとの意味とも取れます。行動に伴う犠牲を強調した先の記事を修正する必要がありそうです。
さらに次回に続きます。
*繰り返し書きますが、私はユダヤ人全体を非難する意図を持ってはいません。このブログは、特殊な考えを抱く一部ユダヤ人と、彼らに協力する特定の非ユダヤ人たちを告発するものです。
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
メッセージジャーナル要旨
2006年01月14日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ2
放浪の期間は終わりを告げた
前の記事で、スピルバーグ監督の映画「ターミナル」のテーマが「待つこと」、メッセージが「待つだけでは目的は達成されない。最後の扉は自ら開くこと」であることが分かりました。この映画の真意把握はこれで尽きたでしょうか?この映画には気に掛かる点がまだ多くあります。ビクターの父親が待ち続けたのがなぜ40年だったのか?父親が写真を見つめたのがなぜ1週間だったのか?なぜ曜日があれほど強調されるのか?壁の噴水に何の意味があったのか?なぜビクターは「ヤギのビクター」と渾名されたのか?これらはスピルバーグが作中に埋め込んだ道標です。そうした謎が解けたとき、わたしたちが正しい道を歩んでいると分かります。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1
ブログ「シカゴ発映画の精神医学」が一つの見方を提示しています。贖罪日(ヨム・キプール)に神に捧げられる犠牲のヤギがビクターだというのです。ビクターは、周囲の登場人物たちが軒並み罪を犯しているのに、一人だけ無垢の人物として描かれています。逃げ出そうともせず、残飯にだって手を付けません。ですから神への捧げものであるとの指摘には同意できます。この観点に立てば、空港で働くマイノリティたちがなぜビクターの手形を柱などに掲げたのかは読み解けるかもしれません。しかしそれだけでは他の多くの疑問が解消されないままです。
<参照>シカゴ発映画の精神医学 5月3日付記事
徒然雑草 「ターミナル」に隠された意図その3
この映画の設定を整理してみましょう。父と子が2代に亘り待っている。40年間も。子は国境の一歩手前でさらに待たされる。彼は引き返すこともできず仮の住処で暮らし続ける。分かりました。映画「ターミナル」にスピルバーグが仕込んだコンセプトは「出エジプト」と「仮庵祭」(かりいお=仮設の住処)です。
紀元前13世紀頃、モーゼは神が先祖に与えると約束した地カナンに連れて行くためイスラエルの民をエジプトから脱出させます。その途上、民の頑なさに怒った神は、40年後でなければカナンに入ってはならないと言い渡します。モーゼたちは帰国もできず、40年間を荒野で過ごす破目になります。仮の庵で。
40年後、ついにモーゼたちはカナンとの境界の地ネボ山に至ります。モーゼはそこでカナン入りをヨシュアに託して亡くなります。ヨシュアを新しいリーダーに戴くイスラエルの民は、なおしばらく留まってときを過ごします。やがて時が満ち、彼らは約束の地カナンに入ります。
以上が出エジプトの概略です。ヨシュアをビクターに、モーゼをビクターの父に置き換えれば、二つの物語がきれいに重なります(モーゼとヨシュアは親子ではありませんが二代です)。JFK空港は境界の地ネボ山であり、アメリカは約束の地カナンだったのです。これで「40年を待つ」という大設定がどこから生み出されたのかが了解されました。映画「ターミナル」のタイトルは「40年間という放浪(仮庵)の期間の終わり」を意味したのです(termの原義は「期間」、terminalは「終端」の意)。
そして、この出エジプトを記念して設けられたのがユダヤ3大祭りの一つ「仮庵祭」です。レビ記23章42節〜43節にこうあります。「あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは、わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである。わたしはあなたたちの神、主である」(94年版共同訳)
ここまで見て行くと、なぜビクターの父親が写真を見つめ続けたのが1週間だったのか、なぜ曜日に拘る多くのシーンが挿入されたのかも分かります。またビクターは確かに神に捧げられるヤギでした。しかしそれは仮庵祭のためのものでした。
ビクターを捧げることにより祭りは成就します。ビクターは約束の地カナンへと入ります。こうしてビクターの最後のセリフ「家に帰るんだ」が、深い意味を持ってきます。「家」とは、ポーランドのクラクフ(映画「シンドラーのリスト」の舞台)を連想させる故国クラコージアでも、何ヶ月かを過ごしたJFK空港でもありませんでした。アメリカこそ、ユダヤ人の本当の、そして新しい故郷だというのです。「新しいカナンの地」だと。
さらに次回に続きます。
忘れてました。壁の噴水は、モーゼが岩から水を出した故事に因んでいるのでしょう。彼はモーゼではありませんから結局水は出ませんでした。奇跡を行おうとしたビクターをアメリアはあれほど怪しむのです。(水道管が通っていたことは私も承知しております。念のため)
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
前の記事で、スピルバーグ監督の映画「ターミナル」のテーマが「待つこと」、メッセージが「待つだけでは目的は達成されない。最後の扉は自ら開くこと」であることが分かりました。この映画の真意把握はこれで尽きたでしょうか?この映画には気に掛かる点がまだ多くあります。ビクターの父親が待ち続けたのがなぜ40年だったのか?父親が写真を見つめたのがなぜ1週間だったのか?なぜ曜日があれほど強調されるのか?壁の噴水に何の意味があったのか?なぜビクターは「ヤギのビクター」と渾名されたのか?これらはスピルバーグが作中に埋め込んだ道標です。そうした謎が解けたとき、わたしたちが正しい道を歩んでいると分かります。
(参考)映画「ターミナル」のメッセージ1
ブログ「シカゴ発映画の精神医学」が一つの見方を提示しています。贖罪日(ヨム・キプール)に神に捧げられる犠牲のヤギがビクターだというのです。ビクターは、周囲の登場人物たちが軒並み罪を犯しているのに、一人だけ無垢の人物として描かれています。逃げ出そうともせず、残飯にだって手を付けません。ですから神への捧げものであるとの指摘には同意できます。この観点に立てば、空港で働くマイノリティたちがなぜビクターの手形を柱などに掲げたのかは読み解けるかもしれません。しかしそれだけでは他の多くの疑問が解消されないままです。
<参照>シカゴ発映画の精神医学 5月3日付記事
徒然雑草 「ターミナル」に隠された意図その3
この映画の設定を整理してみましょう。父と子が2代に亘り待っている。40年間も。子は国境の一歩手前でさらに待たされる。彼は引き返すこともできず仮の住処で暮らし続ける。分かりました。映画「ターミナル」にスピルバーグが仕込んだコンセプトは「出エジプト」と「仮庵祭」(かりいお=仮設の住処)です。
紀元前13世紀頃、モーゼは神が先祖に与えると約束した地カナンに連れて行くためイスラエルの民をエジプトから脱出させます。その途上、民の頑なさに怒った神は、40年後でなければカナンに入ってはならないと言い渡します。モーゼたちは帰国もできず、40年間を荒野で過ごす破目になります。仮の庵で。
40年後、ついにモーゼたちはカナンとの境界の地ネボ山に至ります。モーゼはそこでカナン入りをヨシュアに託して亡くなります。ヨシュアを新しいリーダーに戴くイスラエルの民は、なおしばらく留まってときを過ごします。やがて時が満ち、彼らは約束の地カナンに入ります。
以上が出エジプトの概略です。ヨシュアをビクターに、モーゼをビクターの父に置き換えれば、二つの物語がきれいに重なります(モーゼとヨシュアは親子ではありませんが二代です)。JFK空港は境界の地ネボ山であり、アメリカは約束の地カナンだったのです。これで「40年を待つ」という大設定がどこから生み出されたのかが了解されました。映画「ターミナル」のタイトルは「40年間という放浪(仮庵)の期間の終わり」を意味したのです(termの原義は「期間」、terminalは「終端」の意)。
そして、この出エジプトを記念して設けられたのがユダヤ3大祭りの一つ「仮庵祭」です。レビ記23章42節〜43節にこうあります。「あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは、わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである。わたしはあなたたちの神、主である」(94年版共同訳)
ここまで見て行くと、なぜビクターの父親が写真を見つめ続けたのが1週間だったのか、なぜ曜日に拘る多くのシーンが挿入されたのかも分かります。またビクターは確かに神に捧げられるヤギでした。しかしそれは仮庵祭のためのものでした。
ビクターを捧げることにより祭りは成就します。ビクターは約束の地カナンへと入ります。こうしてビクターの最後のセリフ「家に帰るんだ」が、深い意味を持ってきます。「家」とは、ポーランドのクラクフ(映画「シンドラーのリスト」の舞台)を連想させる故国クラコージアでも、何ヶ月かを過ごしたJFK空港でもありませんでした。アメリカこそ、ユダヤ人の本当の、そして新しい故郷だというのです。「新しいカナンの地」だと。
さらに次回に続きます。
忘れてました。壁の噴水は、モーゼが岩から水を出した故事に因んでいるのでしょう。彼はモーゼではありませんから結局水は出ませんでした。奇跡を行おうとしたビクターをアメリアはあれほど怪しむのです。(水道管が通っていたことは私も承知しております。念のため)
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
2006年01月10日
映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ1
待ち続けたあとに最後の一押しができないのは臆病者
映画「ロード・オブ・ウォー」のアンドリュー・ニコルが脚本・製作総指揮を担当していると知り、映画「ターミナル」を鑑賞しました。期待どおりの「大人の映画」でした。しかし、やはりこの作品からは監督であるスピルバーグのメッセージを強く感じてしまいます。スピルバーグはこの作品を「あの時は、(小品ながら)あれが私にとって重要な作品だった」と語っている(「タイム独占インタビュー」クーリエ004)ので、それも見当違いではなさそうです。
「人はみな何かを待っている」―映画「ターミナル」のテーマは、フライト・アテンダントのアメリアが発するこの一言に凝縮されています。主人公ビクター・ナボルスキーは空港から出られる日を待ち続け、彼の父は40年間ジャズプレイヤーからサインが届くのを待ち続けました。アメリアはかつての恋人が戻ってくるのを何年も待ち続け、空港職員ディクソンは昇進の日を今か今かと待っています。
この「待つ」というテーマは、2001年の映画「AI」と共通しています。スピルバーグの言う「あの時」とは、21世紀の最初の数年のことなのでしょう。では、「待つ」というテーマに沿ったスピルバーグのメッセージは?この作品の鍵となるセリフを発するのは掃除人グプタです。セリフに関連するストーリーを振り返ります。
ビクターは空港に幽閉されます。その気になれば外へ逃げ出すことができたし、ディクソンから脱出する具体的な方法を教えられもします(罠でしたが)。しかし彼はそのような行動には決して出ません。むしろ「待ち続ける」ことを宣言してみたりします。この時の彼の態度に注目してください。彼は「待つ」ことに徹して、チャンスを広げるための行動を敢えて取らない決意をしています。
ある日、ディクソンに追い詰められたビクターは、帰国を余儀なくされます。ここで、別れを告げるビクターにグプタはこう言うのです―「最後の扉を押せない者は臆病者だ」(趣旨)。事情を知ったグプタが強行手段に出ます。その行動がビクターを変心させ、彼は強行突破の覚悟をもって扉へ向かいます。こうして彼の脱出(アメリカ入国)は実現します。
以上で明らかでしょう。スピルバーグがこの作品で私たちにメッセージしていること、それは「待つだけでは目的は決して達成できない」です。表現を変えると「もう我々は十分に待った。今は最後の一押しのための行動に出るときだ」となります。
スピルバーグはもう一つ思わせぶりなセリフをアメリアに与えています。彼女は本気で愛されていない現在の恋人に一旦別れを告げた後に、よりを戻す替わりにビクターに便宜を図るよう頼みます。失恋をした格好のビクターがその理由をアメリアに尋ねます。彼女はこう答えます―「運命よ」。
このセリフは作中で浮いています。ストーリーからすれば失恋するのは自然です。しかし彼女は一旦恋人と別れているのですから、彼女の意思と無関係に事態が進行したのではありません。ですからその理由として「運命」を持ち出すのは奇妙です。彼女は、ビクターの目的を実現するために自ら犠牲となりました。この構図の中で「最後の行為に犠牲(自己犠牲)はつきものだ。その犠牲は運命だ」という意味に取れば初めて了解できるのです。
スピルバーグの諸作品を検討してきた私たちは、彼の願いを知っています。ユダヤ民族の存続です。前の記事でこの目的を実現するための方法を彼が模索した軌跡を辿りました。「多元主義」に希望を託した1990年前後、そして「緊急避難」に踏み込んでしまった現在。映画「ターミナル」からは、その間に「待つ」時期がスピルバーグの中で確かにあったことが窺えます。
(参考)映画「太陽の帝国」のメッセージ
そして彼は「ただ待つ」だけでは駄目だと結論したのです。最後は「一押しが必要だ」と。その行為が何だったのか(何であるのか)は、このコラムの主要テーマですが、少なくとも観客は「スピルバーグは行動を呼びかけているが、それは何だろう」くらいは自らに問うべきです。それが人生の教訓に過ぎないのか、特定の問題意識に基づくものなのかは観客個々の判断に委ねられているとしても。
スピルバーグは自らの作品についてこう語っています―「何を言いたいのかを観客に考えさせるんだ。解決のあらゆる糸口を与え、彼らがそれを見つけだしたあとで、当たっていることを確かめさせるんだよ」(フランク・サネッロ著「スピルバーグの秘密」)。私は予断をもって映画「ターミナル」を観ていません。しかしそこにこれまでと同じメッセージを見出す結果となりました。「当たっている」ことを私に確かめさせているのはスピルバーグ本人に違いありません。
次回に続きます。
ターミナル DTSスペシャル・エディション
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨
映画「ロード・オブ・ウォー」のアンドリュー・ニコルが脚本・製作総指揮を担当していると知り、映画「ターミナル」を鑑賞しました。期待どおりの「大人の映画」でした。しかし、やはりこの作品からは監督であるスピルバーグのメッセージを強く感じてしまいます。スピルバーグはこの作品を「あの時は、(小品ながら)あれが私にとって重要な作品だった」と語っている(「タイム独占インタビュー」クーリエ004)ので、それも見当違いではなさそうです。
「人はみな何かを待っている」―映画「ターミナル」のテーマは、フライト・アテンダントのアメリアが発するこの一言に凝縮されています。主人公ビクター・ナボルスキーは空港から出られる日を待ち続け、彼の父は40年間ジャズプレイヤーからサインが届くのを待ち続けました。アメリアはかつての恋人が戻ってくるのを何年も待ち続け、空港職員ディクソンは昇進の日を今か今かと待っています。
この「待つ」というテーマは、2001年の映画「AI」と共通しています。スピルバーグの言う「あの時」とは、21世紀の最初の数年のことなのでしょう。では、「待つ」というテーマに沿ったスピルバーグのメッセージは?この作品の鍵となるセリフを発するのは掃除人グプタです。セリフに関連するストーリーを振り返ります。
ビクターは空港に幽閉されます。その気になれば外へ逃げ出すことができたし、ディクソンから脱出する具体的な方法を教えられもします(罠でしたが)。しかし彼はそのような行動には決して出ません。むしろ「待ち続ける」ことを宣言してみたりします。この時の彼の態度に注目してください。彼は「待つ」ことに徹して、チャンスを広げるための行動を敢えて取らない決意をしています。
ある日、ディクソンに追い詰められたビクターは、帰国を余儀なくされます。ここで、別れを告げるビクターにグプタはこう言うのです―「最後の扉を押せない者は臆病者だ」(趣旨)。事情を知ったグプタが強行手段に出ます。その行動がビクターを変心させ、彼は強行突破の覚悟をもって扉へ向かいます。こうして彼の脱出(アメリカ入国)は実現します。
以上で明らかでしょう。スピルバーグがこの作品で私たちにメッセージしていること、それは「待つだけでは目的は決して達成できない」です。表現を変えると「もう我々は十分に待った。今は最後の一押しのための行動に出るときだ」となります。
スピルバーグはもう一つ思わせぶりなセリフをアメリアに与えています。彼女は本気で愛されていない現在の恋人に一旦別れを告げた後に、よりを戻す替わりにビクターに便宜を図るよう頼みます。失恋をした格好のビクターがその理由をアメリアに尋ねます。彼女はこう答えます―「運命よ」。
このセリフは作中で浮いています。ストーリーからすれば失恋するのは自然です。しかし彼女は一旦恋人と別れているのですから、彼女の意思と無関係に事態が進行したのではありません。ですからその理由として「運命」を持ち出すのは奇妙です。彼女は、ビクターの目的を実現するために自ら犠牲となりました。この構図の中で「最後の行為に犠牲(自己犠牲)はつきものだ。その犠牲は運命だ」という意味に取れば初めて了解できるのです。
スピルバーグの諸作品を検討してきた私たちは、彼の願いを知っています。ユダヤ民族の存続です。前の記事でこの目的を実現するための方法を彼が模索した軌跡を辿りました。「多元主義」に希望を託した1990年前後、そして「緊急避難」に踏み込んでしまった現在。映画「ターミナル」からは、その間に「待つ」時期がスピルバーグの中で確かにあったことが窺えます。
(参考)映画「太陽の帝国」のメッセージ
そして彼は「ただ待つ」だけでは駄目だと結論したのです。最後は「一押しが必要だ」と。その行為が何だったのか(何であるのか)は、このコラムの主要テーマですが、少なくとも観客は「スピルバーグは行動を呼びかけているが、それは何だろう」くらいは自らに問うべきです。それが人生の教訓に過ぎないのか、特定の問題意識に基づくものなのかは観客個々の判断に委ねられているとしても。
スピルバーグは自らの作品についてこう語っています―「何を言いたいのかを観客に考えさせるんだ。解決のあらゆる糸口を与え、彼らがそれを見つけだしたあとで、当たっていることを確かめさせるんだよ」(フランク・サネッロ著「スピルバーグの秘密」)。私は予断をもって映画「ターミナル」を観ていません。しかしそこにこれまでと同じメッセージを見出す結果となりました。「当たっている」ことを私に確かめさせているのはスピルバーグ本人に違いありません。
次回に続きます。
*映画「ターミナル」(スピルバーグ)のメッセージ記事集は こちら
*メッセージジャーナル要旨

