2007年04月08日
21世紀スピルバーグ6作品のメッセージ
ロックフェラー宮廷のお抱えクリエイター
映画「レディインザウォーター」は、これが真実ではないかと推測された内容を問いの形で主人公の妖精に投げ掛け、妖精が身振りでその正誤を返すというやり方で謎を明かしていました。これは実は観客に向けられた誘いであり、当ブログではこの方法で作品から正誤の合図を受け取ることに成功しています。そっくりそのままをインタビューで明言している映画人がいます。スティーブン・スピルバーグです―「何を言いたいのかを観客に考えさせるんだ。解決のあらゆる糸口を与え、彼らがそれを見つけだしたあとで、当たっていることを確かめさせるんだよ」(フランク・サネッロ著「スピルバーグの秘密」)。今回はスピルバーグを総括します。
(参考)「レディインザウォーター」のメッセージ2
21世紀に入ってからのスピルバーグ作品は、すべて明確な意図をもって制作されています。それまでの彼の作品が個々に構想され、自身の個人的な問題意識や時々の迷いが表現されていたのとは対照的です。私は最近、21世紀の6作品を年代順に並べて二つずつセットで捉えてみると、その意図がはっきりと読み解けることに気付きました。
「AI」(2001年)と「キャッチミー・イフユーキャン」(2002年)は「なりすまし」を共通テーマとするセット作品です。「AI」の主人公(ロボット)は人間になりきろうと努力し、「キャッチミー」の主人公は別の誰彼になりすまします。そして「AI」では頑なに拒まれ続ける世界に絶望し、「キャッチミー」では常に追われる状況に苛まれ、どちらも「真のアイデンティティ」に目覚める(本来の自己が受け容れられる)結末へと導かれます。
(参考)映画「AI」のメッセージ2
「キャッチミーイフユーキャン」のメッセージ
「マイノリティリポート」(2002年)と「ターミナル」(2004年)は「自力救済」を共通テーマとするセット作品です。「ターミナル」の主人公はいつまでも「待つ」人間でしたが、マイノリティ差別の現実に直面し、最終的に自力による事態の打開を決意します。「マイノリティ」の主人公は予言された「運命」を自らの力によって変更すべく立ち上がります。「生存を脅かされている状況では、他の誰かが犠牲になっても仕方ない」との言い訳が頻出する点も特徴的です。
(参考)映画「マイノリティリポート」のメッセージ
映画「ターミナル」のメッセージ1
「宇宙戦争」(2005年)と「ミュンヘン」(2005年)は「復讐の放棄」を共通テーマとするセット作品です。「宇宙戦争」の主人公は「復讐」を行動原理とする仲間を倒します。「ミュンヘン」の主人公もイスラエル国家が命じた復讐の虚しさに翻弄され、挙句に祖国イスラエルを見捨てます。
(参考)映画「宇宙戦争」のメッセージ4
映画「ミュンヘン」のメッセージ3
面白いことにセットはすべて、サイエンスフィクションとノンフィクション(をベースとする作品)の組み合わせで構成されています。これも偶然ではないでしょう。3セットをこうして概観しますと、年代順に「感情」「意思」「行動」が表現されていると分かります。「それが誰の感情なのか、意思、行動なのか」が問われなければなりません。私はこれをスピルバーグのではなく、デイヴィッド・ロックフェラーのものと見ています。
以前の記事で私はこの「なりすまし」をスピルバーグ自身と結びつけて解釈したのですが、出自を隠したことがないスピルバーグに対して、動機分析からもWASPになりすましていると推測されるD・ロックフェラーにこそ関連づけられるべきでした。第一のセット作品は、D・ロックフェラーのなりすましの苦しみ、それでも社会に受け入れられない(と感じる)魂の痛みを表現し、アイデンティティ危機からの解放を描いていると見れば得心が行きます(ユダヤ人に貢献する事業を成し遂げることによる後ろめたさの払拭)。
第二のセット作品は、ユダヤ・キリスト教が命じる「待つ」姿勢に倦み、ついに自力で課題の根本解決、すなわちユダヤ人の安全保障体制の確立に取り組む決意へと至るD・ロックフェラーの辿った変遷をなぞります。彼は他の民族にとっても理想となるはずの新体制を築くためには、その過程で多少の犠牲が出るのは仕方ない(他作品で言えばコラテラル、自由の犠牲etc)と自己弁明します。そしてその当面の敵がWASPであってみれば、彼らの非情さの訴求が第一・第二セットの底を流れるのも当然でしょう(人間には言い訳が必要です)。
第三セットの作品では、復讐戦略が退けられ、その戦略を常用してきたイスラエルという国自体が拒絶されます。その上でアメリカを舞台とするD・ロックフェラーの構想が展開される(された)ことが示唆されます。一連のプロジェクトの最初の舞台であるWTCが意味あり気に映し出され、ビルとWASP体制の倒壊のイメージが重ねられ、細菌兵器が仄めかされます。
私は常々「北朝鮮はアメリカ合衆国の戯画」だと思っているのですが、これではアメリカ国民も金王朝のPR映画を笑ってなどいられないでしょう。スピルバーグやシャマランを中心としたハリウッド特定映画人たちによるデイヴィッド・ロックフェラーの神話づくりは今日も精力的に続けられています。
*上の記述に関連する映画「チーム・アメリカ」についてはそのうち取り上げます。
(参考)「メッセージジャーナル要旨」記事集
映画「レディインザウォーター」は、これが真実ではないかと推測された内容を問いの形で主人公の妖精に投げ掛け、妖精が身振りでその正誤を返すというやり方で謎を明かしていました。これは実は観客に向けられた誘いであり、当ブログではこの方法で作品から正誤の合図を受け取ることに成功しています。そっくりそのままをインタビューで明言している映画人がいます。スティーブン・スピルバーグです―「何を言いたいのかを観客に考えさせるんだ。解決のあらゆる糸口を与え、彼らがそれを見つけだしたあとで、当たっていることを確かめさせるんだよ」(フランク・サネッロ著「スピルバーグの秘密」)。今回はスピルバーグを総括します。
(参考)「レディインザウォーター」のメッセージ2
21世紀に入ってからのスピルバーグ作品は、すべて明確な意図をもって制作されています。それまでの彼の作品が個々に構想され、自身の個人的な問題意識や時々の迷いが表現されていたのとは対照的です。私は最近、21世紀の6作品を年代順に並べて二つずつセットで捉えてみると、その意図がはっきりと読み解けることに気付きました。
「AI」(2001年)と「キャッチミー・イフユーキャン」(2002年)は「なりすまし」を共通テーマとするセット作品です。「AI」の主人公(ロボット)は人間になりきろうと努力し、「キャッチミー」の主人公は別の誰彼になりすまします。そして「AI」では頑なに拒まれ続ける世界に絶望し、「キャッチミー」では常に追われる状況に苛まれ、どちらも「真のアイデンティティ」に目覚める(本来の自己が受け容れられる)結末へと導かれます。
(参考)映画「AI」のメッセージ2
「キャッチミーイフユーキャン」のメッセージ
「マイノリティリポート」(2002年)と「ターミナル」(2004年)は「自力救済」を共通テーマとするセット作品です。「ターミナル」の主人公はいつまでも「待つ」人間でしたが、マイノリティ差別の現実に直面し、最終的に自力による事態の打開を決意します。「マイノリティ」の主人公は予言された「運命」を自らの力によって変更すべく立ち上がります。「生存を脅かされている状況では、他の誰かが犠牲になっても仕方ない」との言い訳が頻出する点も特徴的です。
(参考)映画「マイノリティリポート」のメッセージ
映画「ターミナル」のメッセージ1
「宇宙戦争」(2005年)と「ミュンヘン」(2005年)は「復讐の放棄」を共通テーマとするセット作品です。「宇宙戦争」の主人公は「復讐」を行動原理とする仲間を倒します。「ミュンヘン」の主人公もイスラエル国家が命じた復讐の虚しさに翻弄され、挙句に祖国イスラエルを見捨てます。
(参考)映画「宇宙戦争」のメッセージ4
映画「ミュンヘン」のメッセージ3
面白いことにセットはすべて、サイエンスフィクションとノンフィクション(をベースとする作品)の組み合わせで構成されています。これも偶然ではないでしょう。3セットをこうして概観しますと、年代順に「感情」「意思」「行動」が表現されていると分かります。「それが誰の感情なのか、意思、行動なのか」が問われなければなりません。私はこれをスピルバーグのではなく、デイヴィッド・ロックフェラーのものと見ています。
以前の記事で私はこの「なりすまし」をスピルバーグ自身と結びつけて解釈したのですが、出自を隠したことがないスピルバーグに対して、動機分析からもWASPになりすましていると推測されるD・ロックフェラーにこそ関連づけられるべきでした。第一のセット作品は、D・ロックフェラーのなりすましの苦しみ、それでも社会に受け入れられない(と感じる)魂の痛みを表現し、アイデンティティ危機からの解放を描いていると見れば得心が行きます(ユダヤ人に貢献する事業を成し遂げることによる後ろめたさの払拭)。
第二のセット作品は、ユダヤ・キリスト教が命じる「待つ」姿勢に倦み、ついに自力で課題の根本解決、すなわちユダヤ人の安全保障体制の確立に取り組む決意へと至るD・ロックフェラーの辿った変遷をなぞります。彼は他の民族にとっても理想となるはずの新体制を築くためには、その過程で多少の犠牲が出るのは仕方ない(他作品で言えばコラテラル、自由の犠牲etc)と自己弁明します。そしてその当面の敵がWASPであってみれば、彼らの非情さの訴求が第一・第二セットの底を流れるのも当然でしょう(人間には言い訳が必要です)。
第三セットの作品では、復讐戦略が退けられ、その戦略を常用してきたイスラエルという国自体が拒絶されます。その上でアメリカを舞台とするD・ロックフェラーの構想が展開される(された)ことが示唆されます。一連のプロジェクトの最初の舞台であるWTCが意味あり気に映し出され、ビルとWASP体制の倒壊のイメージが重ねられ、細菌兵器が仄めかされます。
私は常々「北朝鮮はアメリカ合衆国の戯画」だと思っているのですが、これではアメリカ国民も金王朝のPR映画を笑ってなどいられないでしょう。スピルバーグやシャマランを中心としたハリウッド特定映画人たちによるデイヴィッド・ロックフェラーの神話づくりは今日も精力的に続けられています。
*上の記述に関連する映画「チーム・アメリカ」についてはそのうち取り上げます。
(参考)「メッセージジャーナル要旨」記事集

