2007年02月25日

映画「レディインザウォーター」のメッセージ8

世界のオルタナティブ・ハーフ

これまでの記事で、"Cleveland"が「ロックフェラー(ファーストネーム不詳)」を、"JG Scrunt"が「イエス・キリスト」を意味することが明らかになりました。では海の精の呼称"Narf"は何を表すのでしょうか。名前に異常な拘りを見せるシャマラン(スピルバーグとの相似性)が、作中、多分最も頻出するこの名前を適当に付けたはずはありません。
(参考)「レディ・インザウォーター」のメッセージ集

妖精"ニンフ(Nymph)"にも似た"ナーフ(Narf)"は、一般には「意味のない俗語(スラング)」とされています。ネットで検索すると大抵後ろに"!"が付けられて感情の高まりが示されます。作品の早い段階で、登場人物のスモーカーたちが何か面白い流行り言葉はないかと議論していますから、これが扉であることは間違いありません。

初出かどうかは分かりませんが、この感嘆詞"Narf"とアメリカのTVアニメ"Pinky and the Brain"が深く関係しているのは確かです。スピルバーグ監督作品のこのアニメは、世界支配を企む二匹のマウスを主人公に、毎回異なる陰謀話を面白おかしく展開します。では、映画「レディインザウォーター」はこの作品との関連を示して、作中に「ロックフェラー」を発見した観客に一杯食わせる腹づもりでしょうか?
<参照>カートゥーン横丁 (日本の紹介サイト)
"All You Need Is NARF"(ユーチューブ動画)
*"Pinky and the Brain"(1995-1998)は、スピルバーグとデイヴィッド・ロックフェラーの最初の接点と思われます。これはこれで研究が必要です。

しかしもしそうなら、ロックフェラーを悪の権化として描けば事足りたはずです。何も彼の善人ぶりをアピールする必要などなかったのです。しかも既に私たちは、映画「レディインザウォーター」の中にヨハネ黙示録を見出し、その倒立像にまで辿り着いています。その像をサブリミナル手法を使って観客の潜在意識に刷り込む現場まで押えているのですから、そこで「いや、あれは冗談で...」などと言い訳できる状況ではもはやありません(特にアメリカでは)。

まだ不十分です。アニメは扉に施された迷彩模様に過ぎません。ここ1週間ほど悩み抜いた末、私はようやく"a narf"は"an half"(文法間違い)の発音通りの表記であるとの見解に出会うことができました(作中、スモーカーたちの造語は"Baby's on the half tip"で、やはり"half"が入っていました)。掘り当ててみれば、NarfもJGScruntと同じ発音絡みの言葉遊戯でした。そして、これを映画「レディインザウォーター」の主人公の名前の由来と考えれば、作品の根底に横たわる思想、世界観を説明できることに気づきました。
<参照>wikitionary解説

作品のイントロで人間とナーフとの関係がこう説明されます。「昔、人間と水の存在は結ばれていた。人間は水の存在が語る予言に耳を傾け、予言は成就した。そのうち所有欲は人間を内陸へと進ませ、二つの世界は分離した。導き手を失った人間は戦争に明け暮れるようになり、その様を嘆いた水の存在は語りかけを再開した。しかしそこには獰猛な獣がおり、人間世界を訪れた多くの若者が毒牙に掛けられた。そして新たに今...」(趣旨)

私たちは、この冒頭の言葉が意味するところの幾つかを知っています。予言とは「ガイアが授ける神託」のこと、獣は古代の神々を異端とするイエス・キリストとキリスト教のことでした。新たに注目したいのは、「以前は世界は一つだった」との趣旨の言葉です。それが分離したところに現代の悲劇の原泉があると説明されています。

ここから彼らの世界観が分かります。つまりこうです。「一つの完全な世界(ガイア)が半分づつに分離してしまった。世界が再びガイアの下に統一されなければ、人間は争いの果てに滅びてしまう。人間を救う試みを、もう一つのハーフの住人たち(ガイア勢力)が命を賭して行っている。これまではキリスト教により阻止されたが、現在、最大の働きかけが行われている」

ここに鏡があります。鏡のこちら側は、争いと憎しみが支配する人間の世界です。そしてあちら側は平和と愛、寛容と連帯に満たされた彼らの世界です。前者は一元論&唯一神の世界、後者は多元主義&汎神の世界。作品は、あちら側の世界を交換可能な世界(オルタナティブ・ハーフ)として観客に提示し、こちら側とあちら側を入れ替えるよう誘いかけています。

なるほど、主張としてはあり得ます。スピルバーグはユダヤ人の生存を確保する要件に多元主義を掲げ、その世界観を映画「太陽の帝国」に描きました。しかし同時にそれだけではどうしようもないことにスピルバーグは気付いています。なぜなら、一元論も多元主義の中では存在が許されなければならないからです。どこまで行っても、多元主義から確固たる多元世界は産み出されません。
(参考)映画「太陽の帝国」のメッセージ

これに対し、デイヴィッド・ロックフェラーは異なるアプローチをしました。彼は理想世界を招来するためなら、暴力を伴う強制も躊躇しません。それがロックフェラー家の信念です(初代JDも石油事業者の理想形を実現するためにはどんな手段も厭いませんでした)。彼は言います。「どんな手段を行使しても多元社会を創出してしまえば良い。そして一旦成立したこの社会を脅かす要因(特に一元論)は強制的に排除すれば良いではないか」そこに矛盾があろうと彼には関係がなかったのです。(協力しているところを見ると、結局スピルバーグもこの見解に同意したようです)
(参考)ロックフェラーのメッセージ1
映画「レディインザウォーター」のメッセージ6

ロックフェラーが創造する世界は、参加を強要され、かつ管理された理想世界です。彼の意向に沿っている限り多様な価値・見解が許されます。しかし一旦そこから逸脱すると途端に管理人ロックフェラーが牙を剥きます。これはギリシャ神話に描かれたガイアの姿に他なりません。
<参照>TEOPOLIS「GAIA」

ロックフェラーの箱庭(あるいはヴィレッジ)でのみ許される自由と生存―私は絶対に嫌です。

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この記事へのコメント

1. Posted by zero    2007年02月27日 08:43
人間が立てる一元論・二元論は硬直的な側面を持っています。現実は彼らの認識通りです。しかし、ヤーウェの下の世界が硬直的だとは私は考えません。多元的価値や自由を最大限尊重するのがヤーウェです。

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映画(劇場公開・DVD・ビデオ)、書籍、ニュース、キャンペーンなど、メディアを通して表現されたものからメッセージを抽出し、隠された意味や表現者の意図を探ります。

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