2007年01月27日

映画「クラッシュ」(ポール・ハギス 監督)のメッセージ

不安は攻撃の母

現代人は誰も彼もが不安に駆られています。映画「クラッシュ」は、人種や職業による差別が横行する米ロスを舞台に、他人が今にも自分に危害を加えるのではないかと怯え合って暮らす人々の姿を描いています。作品のキーパースンは鍵職人の娘です。彼女はすべての人間を凶暴な襲撃者と見做し、いつもベッドの下に潜り込んでいます。物音が耳に入ると、自分を傷つける銃声ではないかと震えだす始末です。

不安は少女を自身の殻に閉じ込めるだけでした。しかし大人に取り憑くと、人を攻撃へと駆り立てます。検事の妻は、黒人に対する異常な警戒心を昂じさせ、誰彼構わず怒りの感情をぶつけるようになり、周囲の人々を不快にさせます。年老いた父親を不安に思うベテラン警官は、そのうっ憤を晴らすかのように言葉や態度で黒人を傷つけます。

人は不安を消し去る何かを必死で求めます。米国では不幸にも、それが銃でした。車強盗の二人組は「白人が優勢な地区でなぜ平気でいられるか、それは銃を持っているからだ」と嘯きます。言葉にコンプレックスを抱き、誰もが自分を騙そうとしていると思いこんだ雑貨商も銃を購入します。そして不安と銃の組み合わせは、必然として当人が望まぬ結果を招来することになります。

雑貨商は、適正なアドバイスをした鍵職人を逆恨みして銃を握り、挙句に職人の娘に向けて引き金を引いてしまいます。先輩警官の黒人に対する不公正な態度を拒んだ若い警官は、ポケットを探る黒人が銃を取り出そうとしていると思い違いをしてその青年を射殺してしまいます。震える心、怯えた魂が大きな悲劇を生むのです。

しかし、銃とは異なる別の解決策もありました。若い警官に射殺された黒人が取り出そうとしていたのは、彼の守護像でした。鍵職人の娘をベッド下から解放したのは、銃弾を防護してくれる「見えないマント」でした。父親が娘に与えたこの「安心」だけで、震えていた娘は勇者に変身し、身を挺して父親を銃弾から守ろうとします。危うく少女を射殺しかけた雑貨商は、無事だったその娘を守護天使だと思いこみ、心の落着きを取り戻します。物語や信仰や飾り物で人々は不安から免れることができます。

人々が殺し合うのは、過剰な攻撃意識からではありません。過剰な防衛意識こそが悲劇を生み出します。不安を払拭しさえすれば、人は魂の安定を得て、鍵職人親子や判事の妻と手伝いの女性のように互いに労(いたわ)り合えるのです。スクリーンの向こうでは、きっと雑貨商も娘の優しさや他人との自然な触れ合いに目覚めているに違いありません。映画「クラッシュ」はそうメッセージしています。

ハギス監督が極端な状況(かの地では日常)から引き出したこの教訓は、私たちにも当てはまります。孤立を恐れる怯えた心は学校や社会で横行する集団によるいじめの元凶でもあります。それでも米国社会は、やはり特別だと改めて思わざるを得ません。かの地は極端なまでに「不安の国」です。人々は競って銃に手を伸ばし、軍備を極限まで増大する国策を受け入れます。

イエス・キリストは「わたしは平安をあなたがたに残す」と言いました(ヨハネ14-27)。自称「神の下にある国」は、実は最も神の賜物から遠いのです。

クラッシュ

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