2005年07月16日

書籍「罪と罰」(ドストエフスキー)のメッセージ

神を待たないということの帰結

荷を山のように背に積まれて酷使される老いたロバに主人が怒りに任せて鞭を揮い続ける様を目撃したら、、、無垢な少女をものにしようと好色漢がしきりに言い寄る様を目撃したら、あなたはどうしますか?

ドストエフスキー「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは、そんな情景を前に、正義を招来するはずの神の不在を確信します。神が存在しなければすべてが許される、許されたはずの行為が実行できないとすればそれは単に怠惰か臆病なだけと彼は結論します。そしてついに、自分の考えと力でこの世に正義を実現しようと決心します。

小説は、社会悪と確信した老婆(と現場に居合わせた姪リザヴェータ)を殺害した後の主人公の心理を描きます。彼が理性(智恵の実!)により構築した思想は、意識の表層においては決して揺るぎません。最後の数ページの直前まで、彼は自分の結論を捨てることはありません。しかし彼は自分でも分からない衝動によって魂を奥底から揺さぶられます。

それは決して罪の意識ではありません。彼は最後まで老婆を殺害したことも、全く無実のリザヴェータを殺害したことさえ後悔しません。もしそれが罪の意識なら、どんな理屈があれ、まずはリザヴェータの殺害にこそ慄(おのの)いたはずです。

彼を揺さぶったのは、やはりその思想の基盤にぽかりと口を開いた致命的陥穽でした。彼は思想の呪縛から解き放たれる直前、病床で一つの夢を見ます。人類が不思議な伝染病に罹ります。罹病者は、自分を賢者と感じ、自分の決定や信念・信仰を絶対視します。各人がそのような症状ですから、万人が万人と戦う事態となり、世界は少数の者を除いて死滅せざるを得ないのです。

いくらある信念が善であり正義であっても、人間の抱く善・正義は、独善であり、独り善がりの正義です。善と正義は神の元にしかないと考えるのが、キリスト教信仰です。その信仰を捨て、人間がそれを肩代わりしようとした途端、必然として世界は滅びることになる―そのことに気づいたときにラスコーリニコフの思想は粉々に砕け散る他ありませんでした。

思想の呪縛から解放されたラスコーリニコフの視界に、自分ではなく他の人間が初めて入ります。彼はソーニャの愛に気づき、囚人仲間に心を開きます。そこで物語は続編が示唆されて閉じられます。正義が、裁きが神のものである限り、彼が犯した罪に罰を与えるのも、あるいは赦すのも神の領分にあるからです。しかしそのようであれば、最初からこれは書かれることのない続編だったに違いありません。

さて、時代の予言者ドストエフスキーは、神の正義の執行を待てない人間存在の行く末を私たちに提示しました。私たちはその思想を超克するどころか、ますます中途半端にそこ奥深くへと呑み込まれています。現代社会で生じる犯罪、世界を席巻する暴力の淵源は、ラスコーリニコフの闇と確実に繋がっています。

罪と罰 (上巻)

謎とき『罪と罰』

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