2005年07月12日

映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿)のメッセージ1

外観がそっくりの本物と偽物を見分けられるか

この作品の謎解きをテーマとする書籍やコメントが多く出されているようです。それだけ多くの観客がこの作品に魅了され、意識で消化しきれない何かを明らかにしたいと感じているのでしょう。奥の深い作品です。

表現者、あるいは物語そのものが発するメッセージは、エンディングにおいて最も顕(あらわ)になります。ブタの群れの中から本物の両親を千尋が当てさせられるあの場面です。ここで千尋は見事に両親を言い当て、目出度く帰還なるという流れでした。では、もしここで答えを間違っていたら?そう、この物語は終わらないのです。

外観がそっくりの本物と偽物を見分ける―これが物語の主人公に投げ掛けられたただ一つの課題でした。初め自分を助けたハクが湯婆婆の前で冷たく豹変する場面にさえこれは別人かと戸惑った千尋が、最後には自信をもって本物と偽物を見分けるまでに成長します。

この成長は少なくとも次の二つの経験による賜物です。一つは「坊」を巡る経験。銭婆の魔法によりダルマが坊に、坊はねずみに変えられます。偽物と本物のすり替え!―ところが母親である湯婆婆はそのことにいつまでも気づけません。湯婆婆は表面だけを見ているのです。

「最も大切なものがすり替えられたのに」と銭婆も、ハクも、千尋も皆がそれぞれに湯婆婆の愚かさを指摘します。問いを発した湯婆婆その人が、実は「本物と偽物を見分けられない者」だったことが分かります。

本物と偽物を見分けられる者として登場するのは銭婆です。この銭婆と湯婆婆の対もまた「外観がそっくりの本物と偽物」であり、この二人との出会いが千尋を成長させた二つ目の経験です。私は「魔女の契約印」がどんなものかは知りませんが、何やら重要そうなその印鑑を持つ者が本物との意味づけを宮崎駿は考えたのかもしれません。(水戸黄門の持つ印籠のような権威性?)

湯婆婆は千尋を支配し、あるいは命を奪おうとします。対して湯婆婆そっくりの銭婆は、それまでに千尋が抱いたであろうイメージとは違い、千尋を助け、解放に力を貸そうとします。湯婆婆の住む油屋は、本物と偽物の区別がつかない世界、そして銭婆の住む地は本物を見分ける力を持った世界です。

真偽の倒錯した世界、そのため自我がバブルのように肥大化する世界で、顔なしは凶暴な野獣へと変貌します。千尋が指摘したように顔なしは早くそこから脱するべきなのです。地に足がついた世界で顔なしは落ち着きを、生活を取り戻さなくてはなりません。

そして千尋もまた、最後の試練を前に、どうしてもその地にたどり着かなくてはなりませんでした。片道切符の旅、とても数時間とは思えない旅。そうです、あれはきっと時間を遡る旅だったのでしょう。線路脇の風景も、銭婆が住む地も、あれは明らかに昭和30年代の世界です。本物と偽物がしっかり区別されていたあの時代に還ることによって、千尋は意識の土台を固めることができたのです。

千尋は自分の世界に無事帰還できました。では私たちは?私たちはあの時代へと帰還できるのでしょうか?この作品は単なるノスタルジーの表明ではもちろんないのです。

千と千尋の神隠し (通常版)

千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集〈13〉


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