2008年02月10日
小説「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー著)のメッセージ
ベータとプサイの間
ドストエフスキーは私たちの世界に厳然として存在する悪に目を見開いていた作家です。何の罪もないのに悪意の大人に虐げられ、また殺される子供たちや動物たち(つまり弱者)に作家はたびたび言及します。私たちの誰よりこの問題に深く心を痛めていた様子が窺えます。キリスト者ドストエフスキーにとって、それは次の問いに対する答えを探す旅でもありました―なぜ神がこの悲惨な現実を許容するのか?
ドストエフスキーが作家生命を掛けて、3つの方向からこの問いにアプローチしたと私は考えます。
1.無神論+社会改革
「神など存在せず、この世界が弱肉強食の原理に従っているだけのこと」と宣言したのは、「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフでした。「世界の悲惨さを減じるためには自らが強者となって世界を改革するしかない」とする「無神論+社会改革」のパターンを彼は体現しています。
神(永遠)が存在しない世界では倫理・規範は無意味であり、すべてが許される理屈です。ラスコーリニコフはこの思想を実践しながら、しかし信じ続けることができません。そこに何か大きな矛盾があることを魂が感じたからです。やがてその直感は、許されるとするなら究極的には踏み越えたすべての人に許されるということであり、最後の一人となるまで続く戦いによって世界の破壊だけが実現されるとの認識によって裏付けられます。
今回、取り上げた「カラマーゾフの兄弟」に登場するスメルジャコフも同じパターンで造形された人物です。彼にはこのパターンの帰結として滅びが定められています。この思想を彼に吹き込んだのは二男イワンであり、彼も精神に異常を来して滅びるのですが、この人物はもう少し複雑に造形されており、表面的には無神論者なのに揺れを見せます(三男アリョーシャと同じ神懸かりの母を持つ設定)。
2.キリスト教精神+社会改革
揺れるイワンが公に主張するのが第二のパターン「キリスト教精神+社会改革」です。彼は神がこの現実を許容するのはおかしいと考えています。もし神が存在するにしても、その神が創った世界は断固拒否するという立場です。しかるべき宗教者がキリストの精神をもってこの世界を治めなければならない(独裁制であれ、善政が期待されている)。イワンが創作した大審問官は世界の創造(アルファ)と裁き(オメガ)だけは神に委ねるが、その間の世界運営については自分に任せろと神に迫ります。(国家が教会になるべきとの主張も同趣旨)
この考えは当ブログが以前に取り上げた「理神論」に他なりません。キリスト教世界は、「信仰」の時代から「理神論」を経由して現代の実質的「無神論」へと変節してきました(神の権威の段階的限定から否定へ)。「理神論」は中世と現代をつなぐ重要なリングです(ドストエフスキーはフリーメーソンにこの思想を見たようです)。第一のパターン「無神論+社会改革」よりも「キリスト精神+社会改革」をドストエフスキーは危険視しています。それは神の意志に真っ向から反するからですが、このことを理解するためには、さらに先へ進む必要があります。
3.神への全幅の信頼
第三のパターンは「神への全幅の信頼」です―「神の御業は人の目には不可解だ。悲惨な現実も最善の結果を招来するためにある」。現実を根拠とした神への異議申し立ては旧約聖書のヨブに倣って取り下げられます。長男ミーチャが流刑に処されるとするなら、それは人の目には大きな不幸に見えます。しかしそれがミーチャが更生するために避けられない道だったとすれば?本人はそのことを自覚して受け入れようとします(ドストエフスキーの実人生との重なり)。あるいはコーリャ少年の死は窮乏家庭における受け入れ難い悲劇のはずです。しかしそれを作家は何かむしろ暖かいものとして描きます。
神の道はまっすぐではない、その途上には正反対の出来事が配されることがある―これがドストエフスキーの結論です(同時に彼の創作手法としても確立)。幻の次作(第二の小説)で作家がこのシミュレーションを試行するつもりだったと、私は思います。アリョーシャは多くの方の推察どおり皇帝暗殺という父殺しへと進むのでしょう。それは「キリスト精神+社会改革」の実践として行われざるを得ないのです(この意味でイワンはアリョーシャに期待)。この正反対の道を通って、アリョーシャが「カラマーゾフの兄弟(第一の小説)」で示唆された「神への全幅の信頼」へと至る物語が、次作で本格的に展開されるはずだったと思います。
神に信頼する立場からは、人間の手による社会改革は不要です。社会主義者にせよ、宗教者にせよ、およそ人間の手によって世界調和を目的に遂行される改革は、最善の結果を招来する神に反して、無数のより悲惨な出来事を招来するばかりです。その最終目的である世界調和などとても実現されません。
しかし人間のそのような愚かな試みさえ神は歴史に織り込んでいます。イワンはそのことにも気づいていたと私は思います(イワンはすべてのパターンを横断する預言者のような役回り)。動機は純粋でありながら間違った道を突き進もうとする大審問官に「彼」が口づけをするシーンをイワンは物語詩の最後に置いたのです。
その後の大審問官、書かれなかった続編のアリョーシャと共に祈りを捧げたいと思います―生きている父よ、わたしの思いではなくあなたの御心が行われますように!
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
ドストエフスキーは私たちの世界に厳然として存在する悪に目を見開いていた作家です。何の罪もないのに悪意の大人に虐げられ、また殺される子供たちや動物たち(つまり弱者)に作家はたびたび言及します。私たちの誰よりこの問題に深く心を痛めていた様子が窺えます。キリスト者ドストエフスキーにとって、それは次の問いに対する答えを探す旅でもありました―なぜ神がこの悲惨な現実を許容するのか?
ドストエフスキーが作家生命を掛けて、3つの方向からこの問いにアプローチしたと私は考えます。
1.無神論+社会改革
「神など存在せず、この世界が弱肉強食の原理に従っているだけのこと」と宣言したのは、「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフでした。「世界の悲惨さを減じるためには自らが強者となって世界を改革するしかない」とする「無神論+社会改革」のパターンを彼は体現しています。
神(永遠)が存在しない世界では倫理・規範は無意味であり、すべてが許される理屈です。ラスコーリニコフはこの思想を実践しながら、しかし信じ続けることができません。そこに何か大きな矛盾があることを魂が感じたからです。やがてその直感は、許されるとするなら究極的には踏み越えたすべての人に許されるということであり、最後の一人となるまで続く戦いによって世界の破壊だけが実現されるとの認識によって裏付けられます。
今回、取り上げた「カラマーゾフの兄弟」に登場するスメルジャコフも同じパターンで造形された人物です。彼にはこのパターンの帰結として滅びが定められています。この思想を彼に吹き込んだのは二男イワンであり、彼も精神に異常を来して滅びるのですが、この人物はもう少し複雑に造形されており、表面的には無神論者なのに揺れを見せます(三男アリョーシャと同じ神懸かりの母を持つ設定)。
2.キリスト教精神+社会改革
揺れるイワンが公に主張するのが第二のパターン「キリスト教精神+社会改革」です。彼は神がこの現実を許容するのはおかしいと考えています。もし神が存在するにしても、その神が創った世界は断固拒否するという立場です。しかるべき宗教者がキリストの精神をもってこの世界を治めなければならない(独裁制であれ、善政が期待されている)。イワンが創作した大審問官は世界の創造(アルファ)と裁き(オメガ)だけは神に委ねるが、その間の世界運営については自分に任せろと神に迫ります。(国家が教会になるべきとの主張も同趣旨)
この考えは当ブログが以前に取り上げた「理神論」に他なりません。キリスト教世界は、「信仰」の時代から「理神論」を経由して現代の実質的「無神論」へと変節してきました(神の権威の段階的限定から否定へ)。「理神論」は中世と現代をつなぐ重要なリングです(ドストエフスキーはフリーメーソンにこの思想を見たようです)。第一のパターン「無神論+社会改革」よりも「キリスト精神+社会改革」をドストエフスキーは危険視しています。それは神の意志に真っ向から反するからですが、このことを理解するためには、さらに先へ進む必要があります。
3.神への全幅の信頼
第三のパターンは「神への全幅の信頼」です―「神の御業は人の目には不可解だ。悲惨な現実も最善の結果を招来するためにある」。現実を根拠とした神への異議申し立ては旧約聖書のヨブに倣って取り下げられます。長男ミーチャが流刑に処されるとするなら、それは人の目には大きな不幸に見えます。しかしそれがミーチャが更生するために避けられない道だったとすれば?本人はそのことを自覚して受け入れようとします(ドストエフスキーの実人生との重なり)。あるいはコーリャ少年の死は窮乏家庭における受け入れ難い悲劇のはずです。しかしそれを作家は何かむしろ暖かいものとして描きます。
神の道はまっすぐではない、その途上には正反対の出来事が配されることがある―これがドストエフスキーの結論です(同時に彼の創作手法としても確立)。幻の次作(第二の小説)で作家がこのシミュレーションを試行するつもりだったと、私は思います。アリョーシャは多くの方の推察どおり皇帝暗殺という父殺しへと進むのでしょう。それは「キリスト精神+社会改革」の実践として行われざるを得ないのです(この意味でイワンはアリョーシャに期待)。この正反対の道を通って、アリョーシャが「カラマーゾフの兄弟(第一の小説)」で示唆された「神への全幅の信頼」へと至る物語が、次作で本格的に展開されるはずだったと思います。
神に信頼する立場からは、人間の手による社会改革は不要です。社会主義者にせよ、宗教者にせよ、およそ人間の手によって世界調和を目的に遂行される改革は、最善の結果を招来する神に反して、無数のより悲惨な出来事を招来するばかりです。その最終目的である世界調和などとても実現されません。
しかし人間のそのような愚かな試みさえ神は歴史に織り込んでいます。イワンはそのことにも気づいていたと私は思います(イワンはすべてのパターンを横断する預言者のような役回り)。動機は純粋でありながら間違った道を突き進もうとする大審問官に「彼」が口づけをするシーンをイワンは物語詩の最後に置いたのです。
その後の大審問官、書かれなかった続編のアリョーシャと共に祈りを捧げたいと思います―生きている父よ、わたしの思いではなくあなたの御心が行われますように!
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)2008年02月02日
映画「メトロポリス2035」のメッセージ
難の多い作品でとても推奨できませんが、パッケージからの期待どおり意味深なセリフが配されていましたので紹介します。
彼は国家的惨事を求めた。
経済を破綻させるものを。
人々が自由に代えても何とかしたいと思うほど
ひどく破滅的な出来事を。
彼は恐怖を与えた。
人は恐怖を感じると
何も考えず上に従うからね。
自由は欲望を生み、憎悪や戦争を招く。
人々は恐怖の中で暮らすべきだ。
恐怖が人々を支配する。
彼は国家的惨事を求めた。
経済を破綻させるものを。
人々が自由に代えても何とかしたいと思うほど
ひどく破滅的な出来事を。
彼は恐怖を与えた。
人は恐怖を感じると
何も考えず上に従うからね。
自由は欲望を生み、憎悪や戦争を招く。
人々は恐怖の中で暮らすべきだ。
恐怖が人々を支配する。
収録時間:91分
レンタル開始日:2007-12-07
Story
『超能力学園WxY』のアレクシス・ソープ主演によるSFアクション。2035年、国民は脳にIDチップを埋め込まれ、巨大な都市国家に管理されていた。連邦警察のマクダウェルは、主任・バレンタインから国家に反逆するレジ(詳細こちら)
2008年01月26日
映画「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック製作)のメッセージ2
死を相対化するアングル
アメリカという国はいつも「死の恐怖」に怯えています。そのため、互いに対して(隣人同士、国民同士)、また他国に対して攻撃的に振舞います。とは言え、こうした姿勢がかの国に限ったものかと言えばそうでもありません。程度の差はあれ、それは現代人の魂底に横たわる闇であるに違いありません。その意味で、死の恐怖を克服した人間を未来への希望として登場させた映画「2001年宇宙の旅」に現代の闇を破るヒントを探る試みは無駄ではないでしょう。
(参考)映画「2001年宇宙の旅」のメッセージ
死の恐怖に駆られ、乗員を殺害したのはHAL9000でした。この人工知能は宇宙船の到る所に目を持ち、いわば全世界を監視しています。しかし、その対象は「自分自身以外のすべて」だったことに気付かされます。こう考えてみましょう―もしHALが乗員を宇宙のかなたに跳ね飛ばす自分自身を見ていたら?HALはその行為が本当に間違っていなかったか省りみることができたのでは?ほんの小さな疑問なり、混乱なりが起きれば、人工冬眠中の他の乗員を冷静に殺害することはできなかったのでは?
このような想像をしてみるのは、死の恐怖を克服してスターチャイルドとなった宇宙飛行士ボーマンが自分の老いと死を第三者の目で眺める情景が映画に描かれているからです。客観から主観へと彼は視点を何度も切り替えます。不思議な部屋に来る前に通過した空間で見せた感情の高まりと混乱は、そこでは決して再現されません。死の床で彼の魂を占めるのは、恐怖ではなく、石板への確かな希求でした。
ご承知のとおり、イエス・キリストは磔刑による死を宣せられます。その運命を知るキリストの前夜の姿を追うシーンから始まるのが映画「パッション」でした。驚くべきことに、このときイエスは死の恐怖に駆られています。「父よ、できることなら、この杯(刑死)を私から過ぎ去らせてください」イエスのその苦しみが尋常でなかった様子が福音書からもはっきりと読み取れます。
イエスはその気になれば、運命から逃げ出すことも、迫害者と戦いを交えることもできたはずです。しかしそうはしません。イエスは恐怖を克服してこう呟きます「わたしが願うことではなく、あなたの御心が行われますように」―父なる神の視点から自分の死を、その意味を見詰めることができたからです。
死に行く自分。それを見るのが自分自身の目だけなら、人は恐怖に駆られる他ありません。この運命から何とか逃れられないものか。無神論者なら、それは自分の消滅を意味するかもしれません。そうなればこれまでの生さえ虚しくなる。たとえどんな手段を使っても最悪の事態を回避しなければ。(映画「アイランド」と映画「マイノリティリポート」で全く同じセリフ「生き残るためなら何だってする」が使用されます。これがスピルバーグとその背後にいる者たちの死生観です)
しかし、そこに他者の目が加わると、死の相対化が始まります。死が何らかの意味を持つ可能性がそこから見えてきます。死のそばには別の生があるかもしれない。少なくとも誰かの肥やしくらいにはなるだろう。そして、その他者が絶対他者なら、その価値は最大となります。何しろ、一つの死からは多くの実が結ばれ、すずめ一羽の死さえ神の手の中に置かれることが約束されているのですから。
無価値な死はなく、従って無価値な生はない―こうして人は死を受け入れることもできるのです。
(参考)映画「アポカリプト」のメッセージ
アメリカという国はいつも「死の恐怖」に怯えています。そのため、互いに対して(隣人同士、国民同士)、また他国に対して攻撃的に振舞います。とは言え、こうした姿勢がかの国に限ったものかと言えばそうでもありません。程度の差はあれ、それは現代人の魂底に横たわる闇であるに違いありません。その意味で、死の恐怖を克服した人間を未来への希望として登場させた映画「2001年宇宙の旅」に現代の闇を破るヒントを探る試みは無駄ではないでしょう。
(参考)映画「2001年宇宙の旅」のメッセージ
死の恐怖に駆られ、乗員を殺害したのはHAL9000でした。この人工知能は宇宙船の到る所に目を持ち、いわば全世界を監視しています。しかし、その対象は「自分自身以外のすべて」だったことに気付かされます。こう考えてみましょう―もしHALが乗員を宇宙のかなたに跳ね飛ばす自分自身を見ていたら?HALはその行為が本当に間違っていなかったか省りみることができたのでは?ほんの小さな疑問なり、混乱なりが起きれば、人工冬眠中の他の乗員を冷静に殺害することはできなかったのでは?
このような想像をしてみるのは、死の恐怖を克服してスターチャイルドとなった宇宙飛行士ボーマンが自分の老いと死を第三者の目で眺める情景が映画に描かれているからです。客観から主観へと彼は視点を何度も切り替えます。不思議な部屋に来る前に通過した空間で見せた感情の高まりと混乱は、そこでは決して再現されません。死の床で彼の魂を占めるのは、恐怖ではなく、石板への確かな希求でした。
ご承知のとおり、イエス・キリストは磔刑による死を宣せられます。その運命を知るキリストの前夜の姿を追うシーンから始まるのが映画「パッション」でした。驚くべきことに、このときイエスは死の恐怖に駆られています。「父よ、できることなら、この杯(刑死)を私から過ぎ去らせてください」イエスのその苦しみが尋常でなかった様子が福音書からもはっきりと読み取れます。
イエスはその気になれば、運命から逃げ出すことも、迫害者と戦いを交えることもできたはずです。しかしそうはしません。イエスは恐怖を克服してこう呟きます「わたしが願うことではなく、あなたの御心が行われますように」―父なる神の視点から自分の死を、その意味を見詰めることができたからです。
死に行く自分。それを見るのが自分自身の目だけなら、人は恐怖に駆られる他ありません。この運命から何とか逃れられないものか。無神論者なら、それは自分の消滅を意味するかもしれません。そうなればこれまでの生さえ虚しくなる。たとえどんな手段を使っても最悪の事態を回避しなければ。(映画「アイランド」と映画「マイノリティリポート」で全く同じセリフ「生き残るためなら何だってする」が使用されます。これがスピルバーグとその背後にいる者たちの死生観です)
しかし、そこに他者の目が加わると、死の相対化が始まります。死が何らかの意味を持つ可能性がそこから見えてきます。死のそばには別の生があるかもしれない。少なくとも誰かの肥やしくらいにはなるだろう。そして、その他者が絶対他者なら、その価値は最大となります。何しろ、一つの死からは多くの実が結ばれ、すずめ一羽の死さえ神の手の中に置かれることが約束されているのですから。
無価値な死はなく、従って無価値な生はない―こうして人は死を受け入れることもできるのです。
(参考)映画「アポカリプト」のメッセージ
出演:キア・デュリア
収録時間:148分
レンタル開始日:2001-08-23
Story
『2001年宇宙の旅』は、明日へのカウント・ダウン、人類の運命の地図、無限への旅…。アカデミー賞を獲得した、目も眩むばかりの映像の到達点ともいえる作品。人間対コンピュータの戦い、想像を絶するほどの映像(詳細こちら)
2008年01月14日
映画「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)のメッセージ
「死の恐怖」の彼方
映画「2001年宇宙の旅」を初めて鑑賞した私は小学生でした。まずは特撮技術に目を瞠(みは)らされ、次いでその物語に魂を揺さぶられたことを記憶しています。映画、特にハリウッド作品に今も惹かれ続けるのは、このときの感動体験によるところが大きいでしょう。その後、児童書を卒業して本格的にSF小説を読み漁るようになる切っ掛けを与えてくれたのもアーサー・C・クラークの小説版でした(「観てから読んだ」クチです)。私の原点とも言えるこの作品に今回は挑みます。
あれこれ詮索される「謎の石板」の正体は、実は小説では明らかです。それは太古に地球を訪問した異星人が、遠い未来に自分たちの星に到達できるよう人類をナビゲートすべく設置した「進化促進装置」です。クラークは、その異星人たちがその後滅び去ったとの設定でSFファンのセンスオブワンダーをしっかり刺激してくれます。装置だけが冷徹に働き続けて人類を主無き母星に送り込み、さらなる進化を遂げさせるのです。
クラークが本作で扱ったのは異星の装置がオペレイトするメカニックな進化でした。そうであれば、その機械自体の進化もテーマとして包含できます。人工知能HAL9000が自我を抱く可能性が物語られた所以です。クラークは徹頭徹尾「機械」の世界を描いています。そこに神秘や神が入り込む余地はなさそうです。
(「異星人、人工知能、進化」と来れば、映画「AI」が想起されます。スピルバーグは2001年製作のその作品で映画「2001年宇宙の旅」をクラークに返したのかもしれません)
クラークが「進化ナビゲータ」と明示したはずの石板が謎とされるのは、むろん映画では観客にそれが単なる機械装置に見えなかったためでしょう。実際、キューブリックはクラークとの合作プロットを自らの哲学を通して再創造しています。彼の関心の所在がどこにあったか―それは、動物の骨が宇宙船に変わる最も有名なシーンに示されます。
冒頭、人類の祖先が獣や敵の襲来に怯えて暮らしている様子が描かれます。石板の登場で彼らは道具を使う知恵を得ます。初めに「死の恐怖」があり、次にその死を象徴する骨を使った「暴力」で彼らが死の恐怖を克服しようと努めたことが物語られています。その直後に、かのシーンが来ます。キューブリックは、劇的な跳躍で、人類がこの変革の延長線上にいること、本質が何も変わっていないことを鮮烈に観客に印象づけます。「死の恐怖」とそこから生じる「暴力」とは、ご承知のとおり現代の病を衝くキューブリックのライフテーマです。
こうして見ますと、HAL9000のエピソードは、最初に観客に提示したテーマを人工知能の物語に変奏して繰り返していることが分かります。死の恐怖は過剰な防衛行動を呼び、殺人を犯させます。その暴力は複数の乗員の生命も、当の人工知能の生命(?)までも容赦なく奪い取ります。「死の恐怖」を克服しない限り、人類の未来に希望はないとのキューブリックの呟きがスクリーンから聞こえてきます。
(参考)映画「クラッシュ」のメッセージ
その暗い予感の後に、キューブリックは原作の中に、クラークが思いもしなかった意味を見出します。石板の働きかけにより死に直面した飛行士の恐怖に引き攣る顔。そして、その感情の高まりとは対照的に、客体から主体へと奇妙に視点を転換しつつ、老いを体験する彼。死の床にあって最後の力で石碑に手を伸ばす彼。そこには死の恐怖を超克した人間、新しいアダムがいたのです。
キューブリックはユダヤ人です。私は彼の奉じた宗教を知りません。しかしこのエピソードから想起されるのは、新約聖書「ヨハネ福音書」に記されたキリストの次の言葉です―「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。当時この言葉を受けた者にはその意味が分かりません―「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度胎内に入って生まれることができるでしょうか」。キューブリックはキリストに替わってその答えを映像で示したのではないでしょうか。
石板は「神の手」です。その手によって人類の祖先へ「知恵の実」が与えられます。その結果、暴力の世界(荒野)を放浪する運命を担った人類。しかし最後には、死の恐怖を克服し暴力から解放された人類に「永遠の命」が同じ手から授けられます。ユダヤ・キリスト教の思想に独特の解釈を加えて作品に投影したキューブリックは、不思議な部屋に通じる道を映像化するに当たり、永遠の命への道を守るとされる「剣の炎」をイメージしたかもしれません(創世記)。
死の恐怖の超克に暴力との決別を期待したスタンリー・キューブリック。死の恐怖に衝き動かされるまま防衛のための暴力を肯定するデイヴィッド・ロックフェラー。二人の対立は、こうして考えれば必然でした。同時に「恐怖と暴力」をライフテーマとするスピルバーグとデイヴィッドとの親和性もまた了解されるのです。
2001年宇宙の旅
決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)
映画「2001年宇宙の旅」を初めて鑑賞した私は小学生でした。まずは特撮技術に目を瞠(みは)らされ、次いでその物語に魂を揺さぶられたことを記憶しています。映画、特にハリウッド作品に今も惹かれ続けるのは、このときの感動体験によるところが大きいでしょう。その後、児童書を卒業して本格的にSF小説を読み漁るようになる切っ掛けを与えてくれたのもアーサー・C・クラークの小説版でした(「観てから読んだ」クチです)。私の原点とも言えるこの作品に今回は挑みます。
あれこれ詮索される「謎の石板」の正体は、実は小説では明らかです。それは太古に地球を訪問した異星人が、遠い未来に自分たちの星に到達できるよう人類をナビゲートすべく設置した「進化促進装置」です。クラークは、その異星人たちがその後滅び去ったとの設定でSFファンのセンスオブワンダーをしっかり刺激してくれます。装置だけが冷徹に働き続けて人類を主無き母星に送り込み、さらなる進化を遂げさせるのです。
クラークが本作で扱ったのは異星の装置がオペレイトするメカニックな進化でした。そうであれば、その機械自体の進化もテーマとして包含できます。人工知能HAL9000が自我を抱く可能性が物語られた所以です。クラークは徹頭徹尾「機械」の世界を描いています。そこに神秘や神が入り込む余地はなさそうです。
(「異星人、人工知能、進化」と来れば、映画「AI」が想起されます。スピルバーグは2001年製作のその作品で映画「2001年宇宙の旅」をクラークに返したのかもしれません)
クラークが「進化ナビゲータ」と明示したはずの石板が謎とされるのは、むろん映画では観客にそれが単なる機械装置に見えなかったためでしょう。実際、キューブリックはクラークとの合作プロットを自らの哲学を通して再創造しています。彼の関心の所在がどこにあったか―それは、動物の骨が宇宙船に変わる最も有名なシーンに示されます。
冒頭、人類の祖先が獣や敵の襲来に怯えて暮らしている様子が描かれます。石板の登場で彼らは道具を使う知恵を得ます。初めに「死の恐怖」があり、次にその死を象徴する骨を使った「暴力」で彼らが死の恐怖を克服しようと努めたことが物語られています。その直後に、かのシーンが来ます。キューブリックは、劇的な跳躍で、人類がこの変革の延長線上にいること、本質が何も変わっていないことを鮮烈に観客に印象づけます。「死の恐怖」とそこから生じる「暴力」とは、ご承知のとおり現代の病を衝くキューブリックのライフテーマです。
こうして見ますと、HAL9000のエピソードは、最初に観客に提示したテーマを人工知能の物語に変奏して繰り返していることが分かります。死の恐怖は過剰な防衛行動を呼び、殺人を犯させます。その暴力は複数の乗員の生命も、当の人工知能の生命(?)までも容赦なく奪い取ります。「死の恐怖」を克服しない限り、人類の未来に希望はないとのキューブリックの呟きがスクリーンから聞こえてきます。
(参考)映画「クラッシュ」のメッセージ
その暗い予感の後に、キューブリックは原作の中に、クラークが思いもしなかった意味を見出します。石板の働きかけにより死に直面した飛行士の恐怖に引き攣る顔。そして、その感情の高まりとは対照的に、客体から主体へと奇妙に視点を転換しつつ、老いを体験する彼。死の床にあって最後の力で石碑に手を伸ばす彼。そこには死の恐怖を超克した人間、新しいアダムがいたのです。
キューブリックはユダヤ人です。私は彼の奉じた宗教を知りません。しかしこのエピソードから想起されるのは、新約聖書「ヨハネ福音書」に記されたキリストの次の言葉です―「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。当時この言葉を受けた者にはその意味が分かりません―「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度胎内に入って生まれることができるでしょうか」。キューブリックはキリストに替わってその答えを映像で示したのではないでしょうか。
石板は「神の手」です。その手によって人類の祖先へ「知恵の実」が与えられます。その結果、暴力の世界(荒野)を放浪する運命を担った人類。しかし最後には、死の恐怖を克服し暴力から解放された人類に「永遠の命」が同じ手から授けられます。ユダヤ・キリスト教の思想に独特の解釈を加えて作品に投影したキューブリックは、不思議な部屋に通じる道を映像化するに当たり、永遠の命への道を守るとされる「剣の炎」をイメージしたかもしれません(創世記)。
死の恐怖の超克に暴力との決別を期待したスタンリー・キューブリック。死の恐怖に衝き動かされるまま防衛のための暴力を肯定するデイヴィッド・ロックフェラー。二人の対立は、こうして考えれば必然でした。同時に「恐怖と暴力」をライフテーマとするスピルバーグとデイヴィッドとの親和性もまた了解されるのです。
2001年宇宙の旅
決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)2008年01月11日
小説「クリプトノミコン」(ニール・スティーブンスン著)のメッセージ
クリーブランドの埋蔵金
昨年末、フィリピン政府が財宝探しを許可制とする方針を打ち出したとのニュースが駆け巡ったのをご記憶でしょうか?山下財宝を始めとするこの種の宝探しが、自然環境を破壊し、人身事故の危険性も高いことからの対応とあります。フィリピンの埋蔵金探しはことほど左様に盛んなようです。
<参照>例えば朝日ニュース
アメリカ人による山下財宝探しを題材に著されたエンターテインメント小説が、ニール・スティーブンスンの「クリプトノミコン」(1999年)です。フィリピン政府は許可を受けた者がお宝を見つけた場合は山分けと都合よく決めたそうですが、小説の主要人物アビの目的はちょっと異色です。著者はアビをユダヤ人とし、今後二度とホロコーストが起きないようにするための資金確保をその動機と設定しました。
アビは、既にホロコーストに対抗してゲリラ戦を遂行するための指南書を著しています。このマニュアル書のタイトルが「ホロコースト教育および回避に関する情報集」、略して"HEAP"です。彼は財宝によって"HEAP"を配布し、実践のための準備(つまり特殊な武器を製造したり、ゲリラ戦訓練を施すこと)をするつもりでいます。
私は記事「映画『レディインザウォーター』のメッセージ6」で"HEAP"を採り上げました。同作品の中でもう一つのゲリラ戦マニュアル"The Anarchist Cookbook"が示唆されていたからです。こちらはベトナム戦争時に米政府に武器を持って立ち上がるよう説いた現実のアブナイ書物です。この本を調べるうちに"HEAP"のことを知り、映画の主人公の名が"Heep"だったことから正しく道を辿っているとの感触を得た経緯があります。
(参考)映画「レディインザウォーター」のメッセージ6
その後、同音異綴であることから少し迷いもしましたが、監督のシャマランが発音で遊んでいることから(Jesus ChristとJGs Crunt、an halfとa narf、Heepとhipなど)、この判断が誤りではなかったと今は結論しています。シャマランは"Cookbook"をパン屑にして、観客に"HEAP"への道を指し示していたのです。
正月休みにようやく「クリプトノミコン」に当たることができました。そして"HEAP"が単に一人物の動機に限定されないことを確認しました。もう一人の主人公ランディは「ぼくらが命を賭けてもいいくらいに崇高かつ最良の目的は...”将来のホロコーストを防ぐこと”だ」と言っています。共に発掘作業に当たる牧師イノックは、"HEAP"を批評はしていますが、基本的には同意しており、歴史上何度も人類が突き動かされる戦争衝動(アレス:ユダヤ人迫害を含む)からテクノロジー(メティス:暗号やHEAP銃のことでしょう)によって身を守らなければならないとの独特の信念を抱いています(著者の思想とも思われます)。
もう一人、埋蔵金を埋めた張本人の後藤は、アビから埋蔵金使用目的を聞き、戦争を無くすためならと発掘を引き受けます。最後に埋蔵金を手にする者たちの動機は完全に一致しています。ホロコースト防止がこの小説の鍵となっているのです。
映画「レディインザウォーター」の主人公の姓名は、"HEAP"と"Cleveland"の組み合わせでした。アメリカのクリーブランドに埋められた埋蔵金(石油)を既に掘り出した者がいるのですから、ホロコースト防止のためにわざわざフィリピンまで出かける必要はないのかもしれません。20世紀最大の資産家ロックフェラー家の同意さえあればHEAPプロジェクトは推進できるのです。
*私もホロコーストが今後繰り返されないことを願います。しかしデイヴィッド・ロックフェラーが手掛けていると推測しているプロジェクトには反対です。彼らのやり方は、別種のホロコーストを幾つも引き起こすことになるでしょう。
*繰り返し書いておきますが、ユダヤ人への偏見を煽る意図はありません。
クリプトノミコン〈2〉エニグマ (ハヤカワ文庫SF)
昨年末、フィリピン政府が財宝探しを許可制とする方針を打ち出したとのニュースが駆け巡ったのをご記憶でしょうか?山下財宝を始めとするこの種の宝探しが、自然環境を破壊し、人身事故の危険性も高いことからの対応とあります。フィリピンの埋蔵金探しはことほど左様に盛んなようです。
<参照>例えば朝日ニュース
アメリカ人による山下財宝探しを題材に著されたエンターテインメント小説が、ニール・スティーブンスンの「クリプトノミコン」(1999年)です。フィリピン政府は許可を受けた者がお宝を見つけた場合は山分けと都合よく決めたそうですが、小説の主要人物アビの目的はちょっと異色です。著者はアビをユダヤ人とし、今後二度とホロコーストが起きないようにするための資金確保をその動機と設定しました。
アビは、既にホロコーストに対抗してゲリラ戦を遂行するための指南書を著しています。このマニュアル書のタイトルが「ホロコースト教育および回避に関する情報集」、略して"HEAP"です。彼は財宝によって"HEAP"を配布し、実践のための準備(つまり特殊な武器を製造したり、ゲリラ戦訓練を施すこと)をするつもりでいます。
私は記事「映画『レディインザウォーター』のメッセージ6」で"HEAP"を採り上げました。同作品の中でもう一つのゲリラ戦マニュアル"The Anarchist Cookbook"が示唆されていたからです。こちらはベトナム戦争時に米政府に武器を持って立ち上がるよう説いた現実のアブナイ書物です。この本を調べるうちに"HEAP"のことを知り、映画の主人公の名が"Heep"だったことから正しく道を辿っているとの感触を得た経緯があります。
(参考)映画「レディインザウォーター」のメッセージ6
その後、同音異綴であることから少し迷いもしましたが、監督のシャマランが発音で遊んでいることから(Jesus ChristとJGs Crunt、an halfとa narf、Heepとhipなど)、この判断が誤りではなかったと今は結論しています。シャマランは"Cookbook"をパン屑にして、観客に"HEAP"への道を指し示していたのです。
正月休みにようやく「クリプトノミコン」に当たることができました。そして"HEAP"が単に一人物の動機に限定されないことを確認しました。もう一人の主人公ランディは「ぼくらが命を賭けてもいいくらいに崇高かつ最良の目的は...”将来のホロコーストを防ぐこと”だ」と言っています。共に発掘作業に当たる牧師イノックは、"HEAP"を批評はしていますが、基本的には同意しており、歴史上何度も人類が突き動かされる戦争衝動(アレス:ユダヤ人迫害を含む)からテクノロジー(メティス:暗号やHEAP銃のことでしょう)によって身を守らなければならないとの独特の信念を抱いています(著者の思想とも思われます)。
もう一人、埋蔵金を埋めた張本人の後藤は、アビから埋蔵金使用目的を聞き、戦争を無くすためならと発掘を引き受けます。最後に埋蔵金を手にする者たちの動機は完全に一致しています。ホロコースト防止がこの小説の鍵となっているのです。
映画「レディインザウォーター」の主人公の姓名は、"HEAP"と"Cleveland"の組み合わせでした。アメリカのクリーブランドに埋められた埋蔵金(石油)を既に掘り出した者がいるのですから、ホロコースト防止のためにわざわざフィリピンまで出かける必要はないのかもしれません。20世紀最大の資産家ロックフェラー家の同意さえあればHEAPプロジェクトは推進できるのです。
*私もホロコーストが今後繰り返されないことを願います。しかしデイヴィッド・ロックフェラーが手掛けていると推測しているプロジェクトには反対です。彼らのやり方は、別種のホロコーストを幾つも引き起こすことになるでしょう。
*繰り返し書いておきますが、ユダヤ人への偏見を煽る意図はありません。
クリプトノミコン〈2〉エニグマ (ハヤカワ文庫SF)2008年01月01日
メッセージジャーナルから5
焦点の年、2008年の幕が開けました。政治的に、経済的に、文化的に、世界が大変革を迎える年となるでしょう。
国際ニュース解説の田中宇氏は、政治におけるアメリカのユニラテラリズム(単独覇権・単独行動主義)の終焉と、経済におけるドル支配体制の崩壊を早くから見通され、世界はどちらの意味でも多極化すると予言されてきました。ブッシュ政権はユニラテラリストやドル支配体制の守護神として極端に振舞い、その反動を利用して多元化を招来する「隠れ多元主義者」の政権と氏は喝破されます。
ブッシュ政権は見かけと実質が正反対であることは、その宗教面に着目してきた私も指摘してきました。ブッシュは極端なアメリカのキリスト教一元化を促進し、WASP代表として積年の見果てぬ夢を一気に実現してきました。しかしこの政策は田中氏の指摘と同じく偽装であり、間もなく反動によって全く逆の、アメリカの反キリスト教化(世俗化)、WASPの権力中枢からの排除が成就するだろうと予測しています。私は特に、宗教や文化、価値の多元化を取り上げてきました。
私の見方が田中氏の見解と一致するのは、ブッシュ政権の正体、その戦略や完成時期だけではありません。氏は最近の記事で、この戦略(ライバルに背乗りして正反対の結果を導く)がニクソン政権を原点としていると分析されています。そして私も同政権にキッシンジャーが潜り込んだ1968年を始点と看做しています。
<参照>田中宇の国際ニュース解説「世界多極化=ニクソン戦略の完成」
(参考)メッセージジャーナル「1968年のメッセージ1」など
映画「ターミナル」は、ニクソン政権から現ブッシュ政権を通して背後で蠢く者たちの計画が40年計画であることを示唆しています(映画「レディインザウォーター」も同時代を指し示す)。キリスト教徒では全くなく、もはやユダヤ教徒でもない彼らがなぜか拘る40年。2008年は1968年から40年後に当たるのです。
彼らはこの長期計画を完成させようとしています。冒頭に記した見かけの大変革だけで終わるなら、肉を切らせて骨を断った彼らの勝ち。2008年がロックフェラー千年王国ゼロ年となります。
大王様万歳!
国際ニュース解説の田中宇氏は、政治におけるアメリカのユニラテラリズム(単独覇権・単独行動主義)の終焉と、経済におけるドル支配体制の崩壊を早くから見通され、世界はどちらの意味でも多極化すると予言されてきました。ブッシュ政権はユニラテラリストやドル支配体制の守護神として極端に振舞い、その反動を利用して多元化を招来する「隠れ多元主義者」の政権と氏は喝破されます。
ブッシュ政権は見かけと実質が正反対であることは、その宗教面に着目してきた私も指摘してきました。ブッシュは極端なアメリカのキリスト教一元化を促進し、WASP代表として積年の見果てぬ夢を一気に実現してきました。しかしこの政策は田中氏の指摘と同じく偽装であり、間もなく反動によって全く逆の、アメリカの反キリスト教化(世俗化)、WASPの権力中枢からの排除が成就するだろうと予測しています。私は特に、宗教や文化、価値の多元化を取り上げてきました。
私の見方が田中氏の見解と一致するのは、ブッシュ政権の正体、その戦略や完成時期だけではありません。氏は最近の記事で、この戦略(ライバルに背乗りして正反対の結果を導く)がニクソン政権を原点としていると分析されています。そして私も同政権にキッシンジャーが潜り込んだ1968年を始点と看做しています。
<参照>田中宇の国際ニュース解説「世界多極化=ニクソン戦略の完成」
(参考)メッセージジャーナル「1968年のメッセージ1」など
映画「ターミナル」は、ニクソン政権から現ブッシュ政権を通して背後で蠢く者たちの計画が40年計画であることを示唆しています(映画「レディインザウォーター」も同時代を指し示す)。キリスト教徒では全くなく、もはやユダヤ教徒でもない彼らがなぜか拘る40年。2008年は1968年から40年後に当たるのです。
彼らはこの長期計画を完成させようとしています。冒頭に記した見かけの大変革だけで終わるなら、肉を切らせて骨を断った彼らの勝ち。2008年がロックフェラー千年王国ゼロ年となります。
大王様万歳!
2007年10月19日
映画「大統領暗殺」(ガブリエル・レンジ監督)のメッセージ
第三の怒り
本日2007年10月19日はブッシュ暗殺のXデーです。と言っても、映画「大統領暗殺」で設定された架空の日時であることは先刻ご承知のとおり。ブッシュ政権に欺かれて「作られたテロ戦争」に駆り立てられたと国民が知ったときに何が起きるかをシミュレートした本作品は、ブッシュ暗殺が無意味であることを強くメッセージします。これまでの米国の歴史を眺めたときに最も蓋然性が高いケースだからこそでしょう。
「怒りがブッシュ個人に向けられるケース」を本作品がシミュレートしたとするなら、当ブログが予想しているのは「怒りがブッシュ政権とその基盤”WASP”に向けられるケース」です。21世紀初頭におけるアメリカの奔流(歴史のうねり)を作ったロックフェラー一派が米国民と世界に押しつけようと画策しているケースです。
怒りをブッシュ本人だけに向けるのは賢明な態度とは言えません。ブッシュ政権とその基盤に向けるだけでも決して十分ではありません。私たちは正しく怒りを「ブッシュ政権とその背後の勢力(デイヴィッド・ロックフェラー)」に向けるべきです。
現地のXデーは明日―しかしブッシュ暗殺は彼らのシナリオにはないと思います。何しろブッシュ・ジュニアにはもう一働きしてもらわなければなりませんから。
(参考)「トランスフォーマー」のメッセージ3
本日2007年10月19日はブッシュ暗殺のXデーです。と言っても、映画「大統領暗殺」で設定された架空の日時であることは先刻ご承知のとおり。ブッシュ政権に欺かれて「作られたテロ戦争」に駆り立てられたと国民が知ったときに何が起きるかをシミュレートした本作品は、ブッシュ暗殺が無意味であることを強くメッセージします。これまでの米国の歴史を眺めたときに最も蓋然性が高いケースだからこそでしょう。
「怒りがブッシュ個人に向けられるケース」を本作品がシミュレートしたとするなら、当ブログが予想しているのは「怒りがブッシュ政権とその基盤”WASP”に向けられるケース」です。21世紀初頭におけるアメリカの奔流(歴史のうねり)を作ったロックフェラー一派が米国民と世界に押しつけようと画策しているケースです。
怒りをブッシュ本人だけに向けるのは賢明な態度とは言えません。ブッシュ政権とその基盤に向けるだけでも決して十分ではありません。私たちは正しく怒りを「ブッシュ政権とその背後の勢力(デイヴィッド・ロックフェラー)」に向けるべきです。
現地のXデーは明日―しかしブッシュ暗殺は彼らのシナリオにはないと思います。何しろブッシュ・ジュニアにはもう一働きしてもらわなければなりませんから。
(参考)「トランスフォーマー」のメッセージ3
2007年10月14日
メッセージジャーナルから4
オッペンハイマーと核の国際管理
原爆の出現を誰よりも早く予測し、その威力ゆえに世界の在り方を変えなければ人類は滅びてしまうだろうとまで予言したのはイギリスのSF作家にして社会思想家HGウェルズでした。1933年物理学者シラードが信号待ちの間に原爆の原理を着想しウェルズ予測の正しさを認めたのは科学史上の印象的なエピソードです(その後、シラードはアインシュタインの名を借りてFDルーズベルトに原爆開発を提言)。一方、世界再編に関するウェルズ予言の正しさを認めたのは理論物理学の雄ニールス・ボーアでした。
<参照>キャサリン・コーフィールド著「被曝の世紀」
(参考)「宇宙戦争」のメッセージ
1944年初めまでにボーアは開発国が原子力を独占することなく、国際管理を実現しなければならないとの信念を固めていました。国際的な査察官による関連施設への完全な立ち入り調査の実施と科学的発見への完全なアクセスがその二つの柱でした。このような「開かれた世界」(重要な施設も知識も国家機密にされない)なくしては、人類の存続は危ういと彼は考えました。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」上P447
ボーアを尊敬し、同年に彼と徹底的に話し合った原爆の父ロバート・オッペンハイマーもこの考えに共鳴します。原爆を「人類の脅威」であると同時に「偉大なる希望」でもあると見たボーアの思想は、オッペンハイマーの開発意欲を刺激します。オッペンハイマーは1945年に浮上したデモンストレーション案(原爆の示威行為に止めるとする案)に反対し、実戦での軍事利用をこそ念願します。地球からすべての戦争を無くすための尋常ならざる犠牲を彼は必要としたのです。彼らはまさにHGウェルズの正統な継承者でした。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」上P487
原爆開発と世界政府は、オッペンハイマーにとっては不可分でした。前者の仕事を成し遂げた彼は、続いて世界政府立ち上げに着手します(「世界政府なしで永久の平和はあり得ない。平和がなければ原子力戦が起きるだろう」)。ただし、当時の世界情勢を熟知していた彼は「暫定的解決策」として原子力管理を任務とする国際組織立ち上げに目標を定め、各国の首脳部が勝手に見直しのできない権限を備えた超越的な「共同原子力委員会」の発足を唱えます。そしてそれが理解を得られにくいと見るや、さらに妥協してバーニバー・ブッシュやジェームズ・コナントも主張していた国連に目を転じ、各国の主権の一部を移譲させた国連原子力委員会による管理案、即ちアチソン・リリエンソール案の骨格を組み上げました。(この他にソ連との直接対話により国際管理の実現を目指したボーアやヘンリー・スティムソンらの動きもありました)
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」下P59,71
「世界を不幸にする原爆カード」P289
しかし、この案もトルーマンから国連主席代表に指名されたバーナード・バルークによって改悪され、ソ連の拒否権に遭って廃案となります。その後、世界政府はもちろん、積極的な世界管理の仕組みも真剣に討議されることなく、世界は正反対の方向(独占と秘密主義、対立と競争、そして拡散)へと突き進みます。同時に政府方針と鋭く対立したオッペンハイマーは反共ヒステリーの渦の中で権力中枢から排斥されます。ヒロシマ・ナガサキを犠牲にして恒久的な平和世界を築くはずだったオッペンハイマーの原爆は、結局何の成果も生むことなく、悲惨な傷痕だけを地上に残します。HGウェルズに源を有するアクロバティックな反戦思想はこのとき一旦葬られたのです。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」
さて、私はこう見ています―驚くべきことに、葬られたウェルズの夢が半世紀の時を経て現代に蘇えろうとしている、ウェルズの継承者たちがまたしても蠢き始めたと。それは当ブログで繰り返し取り上げている21世紀初頭のロックフェラー勢力の活動のことです。彼らは世界平和を大儀に、世界を自分たちの手で管理すべく新しい体制を構築しようとしています。そのために既に「戦争を終わらせる戦争」が再現されました。誰も戦争で苦しまない世界をつくるために、彼らは911事件を引き起こして数千名の犠牲者を生み、引き続いてアフガニスタン、イラクにおいて多くの犠牲者を積み上げました。
オッペンハイマーの師マックス・ボルンは「(私の生徒たちが)利口さを抑え、もっと叡智を発揮してくれたら良かった」と回想したそうです。この言葉はオッペンハイマーだけを指している訳ではありませんが、彼の本質を言い当てています。オッペンハイマーは課題の所在を探り当て、解決策を練り上げ、現実に柔軟に対処できる有能な人間でした。しかし彼の本当の悲劇(名誉が汚されたことではなく)、当初の目的と結果としての現実の乖離の原因は、まさに自分の能力、人間の知恵を過信した点にありました(彼は無神論者にして人間理性崇拝者)。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」下P389
ロックフェラー一派が狡知に長ければオッペンハイマーの失敗を超克できると考えている限り、乖離は大きくなるばかりです。彼らはオッペンハイマーと同じ過ちを繰り返そうとしています。各人が善と思うことを知力・資力を始めありとある力を振り絞って実践したとき、そこに現れる世界が悪でしかないことを認識したラスコーリニコフにこそ彼らは学ぶべきだったのです。
(参考)"666"のメッセージ1
被曝の世紀―放射線の時代に起こったこと

オッペンハイマー 上 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇

世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた
原爆の出現を誰よりも早く予測し、その威力ゆえに世界の在り方を変えなければ人類は滅びてしまうだろうとまで予言したのはイギリスのSF作家にして社会思想家HGウェルズでした。1933年物理学者シラードが信号待ちの間に原爆の原理を着想しウェルズ予測の正しさを認めたのは科学史上の印象的なエピソードです(その後、シラードはアインシュタインの名を借りてFDルーズベルトに原爆開発を提言)。一方、世界再編に関するウェルズ予言の正しさを認めたのは理論物理学の雄ニールス・ボーアでした。
<参照>キャサリン・コーフィールド著「被曝の世紀」
(参考)「宇宙戦争」のメッセージ
1944年初めまでにボーアは開発国が原子力を独占することなく、国際管理を実現しなければならないとの信念を固めていました。国際的な査察官による関連施設への完全な立ち入り調査の実施と科学的発見への完全なアクセスがその二つの柱でした。このような「開かれた世界」(重要な施設も知識も国家機密にされない)なくしては、人類の存続は危ういと彼は考えました。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」上P447
ボーアを尊敬し、同年に彼と徹底的に話し合った原爆の父ロバート・オッペンハイマーもこの考えに共鳴します。原爆を「人類の脅威」であると同時に「偉大なる希望」でもあると見たボーアの思想は、オッペンハイマーの開発意欲を刺激します。オッペンハイマーは1945年に浮上したデモンストレーション案(原爆の示威行為に止めるとする案)に反対し、実戦での軍事利用をこそ念願します。地球からすべての戦争を無くすための尋常ならざる犠牲を彼は必要としたのです。彼らはまさにHGウェルズの正統な継承者でした。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」上P487
原爆開発と世界政府は、オッペンハイマーにとっては不可分でした。前者の仕事を成し遂げた彼は、続いて世界政府立ち上げに着手します(「世界政府なしで永久の平和はあり得ない。平和がなければ原子力戦が起きるだろう」)。ただし、当時の世界情勢を熟知していた彼は「暫定的解決策」として原子力管理を任務とする国際組織立ち上げに目標を定め、各国の首脳部が勝手に見直しのできない権限を備えた超越的な「共同原子力委員会」の発足を唱えます。そしてそれが理解を得られにくいと見るや、さらに妥協してバーニバー・ブッシュやジェームズ・コナントも主張していた国連に目を転じ、各国の主権の一部を移譲させた国連原子力委員会による管理案、即ちアチソン・リリエンソール案の骨格を組み上げました。(この他にソ連との直接対話により国際管理の実現を目指したボーアやヘンリー・スティムソンらの動きもありました)
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」下P59,71
「世界を不幸にする原爆カード」P289
しかし、この案もトルーマンから国連主席代表に指名されたバーナード・バルークによって改悪され、ソ連の拒否権に遭って廃案となります。その後、世界政府はもちろん、積極的な世界管理の仕組みも真剣に討議されることなく、世界は正反対の方向(独占と秘密主義、対立と競争、そして拡散)へと突き進みます。同時に政府方針と鋭く対立したオッペンハイマーは反共ヒステリーの渦の中で権力中枢から排斥されます。ヒロシマ・ナガサキを犠牲にして恒久的な平和世界を築くはずだったオッペンハイマーの原爆は、結局何の成果も生むことなく、悲惨な傷痕だけを地上に残します。HGウェルズに源を有するアクロバティックな反戦思想はこのとき一旦葬られたのです。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」
さて、私はこう見ています―驚くべきことに、葬られたウェルズの夢が半世紀の時を経て現代に蘇えろうとしている、ウェルズの継承者たちがまたしても蠢き始めたと。それは当ブログで繰り返し取り上げている21世紀初頭のロックフェラー勢力の活動のことです。彼らは世界平和を大儀に、世界を自分たちの手で管理すべく新しい体制を構築しようとしています。そのために既に「戦争を終わらせる戦争」が再現されました。誰も戦争で苦しまない世界をつくるために、彼らは911事件を引き起こして数千名の犠牲者を生み、引き続いてアフガニスタン、イラクにおいて多くの犠牲者を積み上げました。
オッペンハイマーの師マックス・ボルンは「(私の生徒たちが)利口さを抑え、もっと叡智を発揮してくれたら良かった」と回想したそうです。この言葉はオッペンハイマーだけを指している訳ではありませんが、彼の本質を言い当てています。オッペンハイマーは課題の所在を探り当て、解決策を練り上げ、現実に柔軟に対処できる有能な人間でした。しかし彼の本当の悲劇(名誉が汚されたことではなく)、当初の目的と結果としての現実の乖離の原因は、まさに自分の能力、人間の知恵を過信した点にありました(彼は無神論者にして人間理性崇拝者)。
<参照>カイ・バード他著「オッペンハイマー」下P389
ロックフェラー一派が狡知に長ければオッペンハイマーの失敗を超克できると考えている限り、乖離は大きくなるばかりです。彼らはオッペンハイマーと同じ過ちを繰り返そうとしています。各人が善と思うことを知力・資力を始めありとある力を振り絞って実践したとき、そこに現れる世界が悪でしかないことを認識したラスコーリニコフにこそ彼らは学ぶべきだったのです。
(参考)"666"のメッセージ1
被曝の世紀―放射線の時代に起こったこと

オッペンハイマー 上 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇

世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた
2007年10月07日
映画「サンキュー・スモーキング」(Jライトマン監督)のメッセージ
ハリウッド映画にドクロマーク
主人公は煙草業界の利益を代表して政治に影響力を行使するロビイスト。彼は「情報操作(スピン)の専門家」を自認し、上司は「真実を隠すのが役目」と露れもなく言い放ちます。そんな彼らの常套手段を映画「サンキュー・スモーキング」は私たちに教えてくれます。それは「論点をすり替えて、正論で相手の弱点を突く」ことだそうです。
主人公は自分の息子にアイスクリーム談義でこの極意を伝授します。主人公好みのバニラアイスが最高であることを巡っての論争とします。父は息子の好みを尋ねます。「チョコ」と答えた息子は、勢いで「チョコ以外は不要」と口にします。すると父は「アイスクリームは選べる方が良い」と反論します。論点はバニラアイスの秀逸性ではなく、選択性に替わっており、正論ですから論争は父の勝ちとなります。
果たして主人公は現実の場でこの手法を実践します。煙草規制強化を狙った議会の公聴会で禁煙派政治家は主人公に煙草の害を認めさせます。勢いづいた政治家は主人公に「そんな煙草を自分の子供が吸いたいと言えば認めるのか」と畳み掛けます。そこで主人公は「親はすべての危険について子供に教える義務がある」「個人の選択の自由を尊重する」との正論を展開し、「18歳になった子が吸いたいと言えば買い与える」と返します。本来の論点(煙草規制強化の是非)とは異なっていますが、公開討論の勝敗はそれで決します。
さらには、同じ手法が作品そのものでも展開されています。この映画の主題は「社会に有害な製品のロビー活動は許されるか」のはずです。主人公はチーズの害に注意を喚起し、煙草の害を相対化した上で、「誰もが自分の才能を伸ばす権利がある」「職業選択は自由」との正論を振りかざして煙草ロビイストを「是」と結論づけてしまいます。ただし、そんな職業選択の例として殺人者マンソンを挙げていますから、作品は本気でそのような主張をしている訳ではなく、「ほら気をつけて、この映画自体が情報操作かもしれないよ」と目くばせしています。
そう思って作品を振り返ってみると、さすがに煙草は登場しないのですが、替わりに銃やアルコールが肯定的に取り扱われているのに気付かされます。暴漢に襲われた後で自衛のための銃を親切そうに差し出す友人。これを見て「クール」と叫ぶ子供。美人記者との食事で特定銘柄酒を最大限の褒め言葉で推奨する主人公。作中引用されるアメリカの原因別死者数は次のとおりで、何やらアルコールや銃が大した問題ではないようにも思えてきます(1位とされるチーズは除く)。
煙草:1,200人/日
アルコール:270人/日
銃:30人/日
作品を観終わると、彼らロビイストにはある種痛快なイメージが、対する規制派の政治家やロビイストを批判するマスコミには不様でインチキ臭い印象が残ります。ジェイソン・ライトマン監督は、それが作為であり、作品が結局は当該ロビー活動のPRであり、銃やアルコールのPRを画策していることを私たちに気付かせようとします。どうやら映画「サンキュー・スモーキング」は、「映画による情報操作(フィルムプロパガンダ)に対抗するための教科書」を意図しているようです。
そのとおり、フィルムプロパガンダに無自覚な鑑賞者の多い現状にあって、警告マークの必要性が高いのは映画です。曰く―
(参照)映画「レディインザウォーター」のメッセージ4 (などなど)
主人公は煙草業界の利益を代表して政治に影響力を行使するロビイスト。彼は「情報操作(スピン)の専門家」を自認し、上司は「真実を隠すのが役目」と露れもなく言い放ちます。そんな彼らの常套手段を映画「サンキュー・スモーキング」は私たちに教えてくれます。それは「論点をすり替えて、正論で相手の弱点を突く」ことだそうです。
主人公は自分の息子にアイスクリーム談義でこの極意を伝授します。主人公好みのバニラアイスが最高であることを巡っての論争とします。父は息子の好みを尋ねます。「チョコ」と答えた息子は、勢いで「チョコ以外は不要」と口にします。すると父は「アイスクリームは選べる方が良い」と反論します。論点はバニラアイスの秀逸性ではなく、選択性に替わっており、正論ですから論争は父の勝ちとなります。
果たして主人公は現実の場でこの手法を実践します。煙草規制強化を狙った議会の公聴会で禁煙派政治家は主人公に煙草の害を認めさせます。勢いづいた政治家は主人公に「そんな煙草を自分の子供が吸いたいと言えば認めるのか」と畳み掛けます。そこで主人公は「親はすべての危険について子供に教える義務がある」「個人の選択の自由を尊重する」との正論を展開し、「18歳になった子が吸いたいと言えば買い与える」と返します。本来の論点(煙草規制強化の是非)とは異なっていますが、公開討論の勝敗はそれで決します。
さらには、同じ手法が作品そのものでも展開されています。この映画の主題は「社会に有害な製品のロビー活動は許されるか」のはずです。主人公はチーズの害に注意を喚起し、煙草の害を相対化した上で、「誰もが自分の才能を伸ばす権利がある」「職業選択は自由」との正論を振りかざして煙草ロビイストを「是」と結論づけてしまいます。ただし、そんな職業選択の例として殺人者マンソンを挙げていますから、作品は本気でそのような主張をしている訳ではなく、「ほら気をつけて、この映画自体が情報操作かもしれないよ」と目くばせしています。
そう思って作品を振り返ってみると、さすがに煙草は登場しないのですが、替わりに銃やアルコールが肯定的に取り扱われているのに気付かされます。暴漢に襲われた後で自衛のための銃を親切そうに差し出す友人。これを見て「クール」と叫ぶ子供。美人記者との食事で特定銘柄酒を最大限の褒め言葉で推奨する主人公。作中引用されるアメリカの原因別死者数は次のとおりで、何やらアルコールや銃が大した問題ではないようにも思えてきます(1位とされるチーズは除く)。
煙草:1,200人/日
アルコール:270人/日
銃:30人/日
作品を観終わると、彼らロビイストにはある種痛快なイメージが、対する規制派の政治家やロビイストを批判するマスコミには不様でインチキ臭い印象が残ります。ジェイソン・ライトマン監督は、それが作為であり、作品が結局は当該ロビー活動のPRであり、銃やアルコールのPRを画策していることを私たちに気付かせようとします。どうやら映画「サンキュー・スモーキング」は、「映画による情報操作(フィルムプロパガンダ)に対抗するための教科書」を意図しているようです。
そのとおり、フィルムプロパガンダに無自覚な鑑賞者の多い現状にあって、警告マークの必要性が高いのは映画です。曰く―
ハリウッド映画にはくれぐれもご注意ください。あなたの精神を蝕む恐れがあります。
(参照)映画「レディインザウォーター」のメッセージ4 (などなど)
監督:ジェイソン・ライトマン
収録時間:93分
レンタル開始日:2007-09-07
Story
『カンバセーションズ』のアーロン・エッカート主演によるコメディドラマ。ニックは連日マスコミの矢面で戦い続けるタバコ研究アカデミーの腕利きPRマン。タバコのイメージアップ作戦を任された彼は、一人息子を連れ(詳細こちら)
2007年09月28日
書籍「アメリカの中のヒロシマ」(RJリフトン著)のメッセージ
感覚麻痺の帰結
アメリカ国民の大多数が広島・長崎の原爆投下を支持していることはご存じでしょう。では、その後の紛争・戦争においても国民の過半数が原爆使用に同意した場面があったことをご存じでしたか?ギャラップ社世論調査で少なくとも次の3回が確認できます。
1.1951年朝鮮戦争で中国が参戦したとき
2.1954年ベトナムでフランス軍が包囲されたとき
3.1955年台湾海峡危機が訪れたとき(1954年の誤りでは?)
朝鮮戦争でマッカーサー元帥が原爆使用を進言し、当時の大統領トルーマンに更迭されたことは有名な話です。それを私は戦場の軍人の勇み足だろうとこれまで思っていました。アメリカ国民がこれほどまでに好戦的だった(あるいは核兵器使用に対する慎みがまるでない)ことには驚かされます。
<参照>リフトン著「アメリカの中のヒロシマ」(調査結果は下P143注より)
精神医学者リフトンは、米国民のこうした心理が広島・長崎の原爆への対処に起因していると分析しました。原爆のみが戦争終結をもたらし、それゆえその後に予定されていた本土侵攻により失われたはずの多くの人命を原爆が「救った」(決して無力な敵に対する復讐などではないし、ソ連政策からでもない。原爆使用は人道的だった)―これがどうしても使用を正当化しなければならなかった米政府が編み出した公式見解(1947年スティムソン論文で確定)です。これを当時の国民は熱烈に支持します。本当のところ、国民は広島と長崎における原爆被害に強い不安を感じていました。しかし彼らは自国が不道徳な国などと考えたくはありません。そこで不安を抑圧し、政府見解に飛びついたのです。
その頼みの綱は揺さぶられます。「人命を救うために殺す」との理屈は、「どんな残虐行為も、全くどんな行為であれ、こうした理由でなら許される結果になってしまう」(ドワイト・マクドナルド/上P49)と識者から批判され、オランダ爆撃の際のヒトラーの理屈と並置されます(フルトン・シーン/上P112)。歴史家からは、日本本土侵攻作戦立案時の被害予測資料(上P253)、米戦略調査団の終戦時期に関する報告(上P114)などを根拠に、原爆が救ったという人命数や「原爆のみが戦争終結をもたらし」たとの主張に疑問が投げ掛けられます。
公式見解が史実でもなく正論でもないと疑われ兼ねない脅威にあって、国民は現実に対し堅く心を閉ざすことで防衛しようとします。一方で「原爆により救われた人数」は不安の大きさに比例して膨れ上がり、他方で被爆の現実を知ること、償いにつながる被爆者救済が拒否されました。こうした態度をリフトンは「感覚麻痺」と診断します。戦後の早い時期にアメリカ国民が集団として精神を病んだと彼は考えました。
<参照>被爆者側の「感覚麻痺」(記憶喪失、感情鈍磨)については中澤正夫著「ヒバクシャの心の傷を追って」(リフトンの「死の内の生命」は未読)
広島と長崎の原爆という過去の出来事を起因としたアメリカ国民の病理は、必然として現在と未来をも蝕み始めます。一旦原爆使用を認めてしまえば、そして不幸なことに原爆を道徳的だと断じてしまえば、必要なら今後の使用も許されるとの認識へ真っ直ぐにつながります。現実から逃避しているだけに確かな歯止めは形成されず、水爆開発も、核兵器の大量製造・保有・配備も実に安易に是認されるばかりです。その結果が冒頭の意識調査であり、その後も拡大される米ソ核武装競争の現実だったのです。
政治家・国民から核武装について真摯な考察を行う機会、冷静な判断を下す機会を奪った第一の要因が核を巡る秘密主義にあったことは確かです。原爆開発の過程では過去に例がないほどに機密保持が徹底されました(内部でも全体像を知る立場の研究者は限られていた)。原爆投下を決定したのは極少数の人たちです。跡を継いだ原子力委員会(AEC)は、都合の悪い情報を慢性的に隠匿しました(後にその悪質ぶりが露呈して解散)。ケネディ政権の閣僚スチュワート・L・ユードルが主張するとおり、諸悪の根源は秘密主義にあり、何よりも必要とされるのは「開かれた政府」に違いありません。しかし例え情報が公開されていても、国民が見ようとしなければ、好戦的な政治家が国民を地獄の淵に導くのは容易いでしょう(現に広島・長崎の被害実態は今だにスミソニアンで展示できない)。
<参照>スチュワート・L・ユードル著「八月の神話」(AECの情報隠匿の実態を知ることができます)
核の悲劇を繰り返さないためには、核の狂気から人類を救い出すためには、やはり国民の病理を癒すことこそが肝要です。国民が現実から目を背けずに、しっかりと考え、また判断していれば、トルーマンは原爆の量産や水爆開発を勝手に推進できなかったでしょうし、ロバート・S・マクナマラがMAD(相互確証破壊)戦略を持ち出すこともなかったでしょう。この単純な処方を私たちから遠ざけているのが「同胞意識・帰属意識」であることもまた明らかです。米国民は母国の愚行を正視できません。国と自分を一体視する心理が働くためです。退役軍人は米軍の愚行を直視できません。軍が正義や自由のために活動していないとなると、自分の行為を正当化できなくなるからです(20世紀前半にしてバトラー将軍は米軍を多国籍企業の私兵であると認めているのに)。
当時の首相チャーチルは大統領トルーマンに向って「あなたと私が聖ペテロの前に立ち、彼が『汝らは原爆投下に責任があると思う。汝らは何かいうことがあるか』と言われた瞬間に、答える準備がちゃんとできているでしょうね」と尋ねたそうです(上P266)。いつか誰もがこの世での自分の行いを裁かれる瞬間を迎えるのかもしれません(クリスチャンでないなら閻魔大王やスーパーエゴに置き換えても良いでしょう)。その時に人はアメリカ人を理由として、米軍に所属したことを理由として、特定の出自を理由として裁かれるでしょうか?聖書が明言するとおり、そして理性が教えるとおり、私たちは個人として裁かれるのです。(敢えて続ければ、クリスチャンを理由としてでもない)
米国民が同胞意識・帰属意識に引きずられて、「米国は正義の国だ、だから原爆投下は正しかった」と言うとき、それまで原爆投下とは何ら直接の関わりを持たなかった人が、初めて個人として関わりを持つのです。東京大空襲や広島・長崎の原爆投下に道を開いた重慶爆撃(また南京虐殺、従軍慰安婦等々)について、戦後世代の日本国民が事件の存在を否定したり、行為を正当化しようとするとき、あるいは事実を隠ぺい・歪曲しようとするとき、その人はその事件と関わりを持つのです。大切なのは、個人が何をしたか、何を言ったかです。
<参照>前田哲男著「戦略爆撃の思想」
冷戦が終結した今も、2万発の核弾頭が「配備」されているそうです。私たちの世界が狂っていることを私たちは直視できるでしょうか?それとも「しょうがない」と公言しておきますか?いっそカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与しますか?(ルメイの部下として戦略爆撃を立案したのがマクナマラ)。
(参考)映画「ロードオブウォー」のメッセージ1(妻は夫の仕事から目を背け、私たちは国家による武器取引の実態に知らないふりをした)
アメリカの中のヒロシマ (上)
アメリカの中のヒロシマ (下)
ヒバクシャの心の傷を追って
八月の神話―原子力と冷戦がアメリカにもたらした悲劇
戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島
アメリカ国民の大多数が広島・長崎の原爆投下を支持していることはご存じでしょう。では、その後の紛争・戦争においても国民の過半数が原爆使用に同意した場面があったことをご存じでしたか?ギャラップ社世論調査で少なくとも次の3回が確認できます。
1.1951年朝鮮戦争で中国が参戦したとき
2.1954年ベトナムでフランス軍が包囲されたとき
3.1955年台湾海峡危機が訪れたとき(1954年の誤りでは?)
朝鮮戦争でマッカーサー元帥が原爆使用を進言し、当時の大統領トルーマンに更迭されたことは有名な話です。それを私は戦場の軍人の勇み足だろうとこれまで思っていました。アメリカ国民がこれほどまでに好戦的だった(あるいは核兵器使用に対する慎みがまるでない)ことには驚かされます。
<参照>リフトン著「アメリカの中のヒロシマ」(調査結果は下P143注より)
精神医学者リフトンは、米国民のこうした心理が広島・長崎の原爆への対処に起因していると分析しました。原爆のみが戦争終結をもたらし、それゆえその後に予定されていた本土侵攻により失われたはずの多くの人命を原爆が「救った」(決して無力な敵に対する復讐などではないし、ソ連政策からでもない。原爆使用は人道的だった)―これがどうしても使用を正当化しなければならなかった米政府が編み出した公式見解(1947年スティムソン論文で確定)です。これを当時の国民は熱烈に支持します。本当のところ、国民は広島と長崎における原爆被害に強い不安を感じていました。しかし彼らは自国が不道徳な国などと考えたくはありません。そこで不安を抑圧し、政府見解に飛びついたのです。
その頼みの綱は揺さぶられます。「人命を救うために殺す」との理屈は、「どんな残虐行為も、全くどんな行為であれ、こうした理由でなら許される結果になってしまう」(ドワイト・マクドナルド/上P49)と識者から批判され、オランダ爆撃の際のヒトラーの理屈と並置されます(フルトン・シーン/上P112)。歴史家からは、日本本土侵攻作戦立案時の被害予測資料(上P253)、米戦略調査団の終戦時期に関する報告(上P114)などを根拠に、原爆が救ったという人命数や「原爆のみが戦争終結をもたらし」たとの主張に疑問が投げ掛けられます。
公式見解が史実でもなく正論でもないと疑われ兼ねない脅威にあって、国民は現実に対し堅く心を閉ざすことで防衛しようとします。一方で「原爆により救われた人数」は不安の大きさに比例して膨れ上がり、他方で被爆の現実を知ること、償いにつながる被爆者救済が拒否されました。こうした態度をリフトンは「感覚麻痺」と診断します。戦後の早い時期にアメリカ国民が集団として精神を病んだと彼は考えました。
<参照>被爆者側の「感覚麻痺」(記憶喪失、感情鈍磨)については中澤正夫著「ヒバクシャの心の傷を追って」(リフトンの「死の内の生命」は未読)
広島と長崎の原爆という過去の出来事を起因としたアメリカ国民の病理は、必然として現在と未来をも蝕み始めます。一旦原爆使用を認めてしまえば、そして不幸なことに原爆を道徳的だと断じてしまえば、必要なら今後の使用も許されるとの認識へ真っ直ぐにつながります。現実から逃避しているだけに確かな歯止めは形成されず、水爆開発も、核兵器の大量製造・保有・配備も実に安易に是認されるばかりです。その結果が冒頭の意識調査であり、その後も拡大される米ソ核武装競争の現実だったのです。
政治家・国民から核武装について真摯な考察を行う機会、冷静な判断を下す機会を奪った第一の要因が核を巡る秘密主義にあったことは確かです。原爆開発の過程では過去に例がないほどに機密保持が徹底されました(内部でも全体像を知る立場の研究者は限られていた)。原爆投下を決定したのは極少数の人たちです。跡を継いだ原子力委員会(AEC)は、都合の悪い情報を慢性的に隠匿しました(後にその悪質ぶりが露呈して解散)。ケネディ政権の閣僚スチュワート・L・ユードルが主張するとおり、諸悪の根源は秘密主義にあり、何よりも必要とされるのは「開かれた政府」に違いありません。しかし例え情報が公開されていても、国民が見ようとしなければ、好戦的な政治家が国民を地獄の淵に導くのは容易いでしょう(現に広島・長崎の被害実態は今だにスミソニアンで展示できない)。
<参照>スチュワート・L・ユードル著「八月の神話」(AECの情報隠匿の実態を知ることができます)
核の悲劇を繰り返さないためには、核の狂気から人類を救い出すためには、やはり国民の病理を癒すことこそが肝要です。国民が現実から目を背けずに、しっかりと考え、また判断していれば、トルーマンは原爆の量産や水爆開発を勝手に推進できなかったでしょうし、ロバート・S・マクナマラがMAD(相互確証破壊)戦略を持ち出すこともなかったでしょう。この単純な処方を私たちから遠ざけているのが「同胞意識・帰属意識」であることもまた明らかです。米国民は母国の愚行を正視できません。国と自分を一体視する心理が働くためです。退役軍人は米軍の愚行を直視できません。軍が正義や自由のために活動していないとなると、自分の行為を正当化できなくなるからです(20世紀前半にしてバトラー将軍は米軍を多国籍企業の私兵であると認めているのに)。
当時の首相チャーチルは大統領トルーマンに向って「あなたと私が聖ペテロの前に立ち、彼が『汝らは原爆投下に責任があると思う。汝らは何かいうことがあるか』と言われた瞬間に、答える準備がちゃんとできているでしょうね」と尋ねたそうです(上P266)。いつか誰もがこの世での自分の行いを裁かれる瞬間を迎えるのかもしれません(クリスチャンでないなら閻魔大王やスーパーエゴに置き換えても良いでしょう)。その時に人はアメリカ人を理由として、米軍に所属したことを理由として、特定の出自を理由として裁かれるでしょうか?聖書が明言するとおり、そして理性が教えるとおり、私たちは個人として裁かれるのです。(敢えて続ければ、クリスチャンを理由としてでもない)
米国民が同胞意識・帰属意識に引きずられて、「米国は正義の国だ、だから原爆投下は正しかった」と言うとき、それまで原爆投下とは何ら直接の関わりを持たなかった人が、初めて個人として関わりを持つのです。東京大空襲や広島・長崎の原爆投下に道を開いた重慶爆撃(また南京虐殺、従軍慰安婦等々)について、戦後世代の日本国民が事件の存在を否定したり、行為を正当化しようとするとき、あるいは事実を隠ぺい・歪曲しようとするとき、その人はその事件と関わりを持つのです。大切なのは、個人が何をしたか、何を言ったかです。
<参照>前田哲男著「戦略爆撃の思想」
冷戦が終結した今も、2万発の核弾頭が「配備」されているそうです。私たちの世界が狂っていることを私たちは直視できるでしょうか?それとも「しょうがない」と公言しておきますか?いっそカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与しますか?(ルメイの部下として戦略爆撃を立案したのがマクナマラ)。
(参考)映画「ロードオブウォー」のメッセージ1(妻は夫の仕事から目を背け、私たちは国家による武器取引の実態に知らないふりをした)
アメリカの中のヒロシマ (上)
アメリカの中のヒロシマ (下)
ヒバクシャの心の傷を追って八月の神話―原子力と冷戦がアメリカにもたらした悲劇
戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島監督:アンドリュー・ニコル
収録時間:122分
レンタル開始日:2006-06-09
Story
アンドリュー・ニコル監督が『ナショナル・トレジャー』のニコラス・ケイジを主演に迎えて描くサスペンスアクション。裏社会で天性の才覚を発揮した“史上最強の武器商人”と呼ばれた男、ユーリー・オルロフの実像を(詳細こちら)
2007年09月24日
メッセージ・ジャーナルから3
国際ニュース解説の田中宇氏は911事件を起点とする”テロ戦争”を「米英イスラエル中心体制の維持」を目的とする”第2冷戦”と見ています。つまり米中枢同時多発テロは米政府の主導または黙認の下に「作られた事件」であるとするのですが、氏の分析が鋭いのはネオコンとディック・チェイニーが敢えて過激に推進することでこの戦術を故意に失敗させていると看破した点にあります。ここからチェイニー側の目的を「アメリカの覇権失墜と世界の多元化」と読み、このスキームを利益とするアメリカの国際資本家を背後に見出します。この国際資本家は911事件の首謀者ではないと考えていることになります。
<参照>田中宇の国際ニュース解説「テロ戦争の意図と現実」
ハリウッド映画に仕込まれたメッセージ(公然としかも隠密に)を羅針盤に911事件を考察した私は、この事件と二つの戦争(さらに今後の事件も)を同じ資本家、具体的にはロックフェラー財閥(当主デイヴィッド)の仕業と見ています(チェイニーもネオコンもロックフェラー財閥のフェロー)。911事件は米英イスラエル体制派、つまりWASP(アングロサクソン系プロテスタント)支配層の仕業に見えるように偽装されているのです。なぜまっすぐに「多元化」に突き進まず、「二元対立」を偽装するのでしょうか?
考えてみれば「多極化(多元化)」は、一貫してロックフェラー家の基本戦略でした。ロシア革命前には秘密裡に共産主義革命家たちを育成し、第二次大戦前にはファシスト党ナチスを米国の国策に反してまで支援していたことが知られています。デイヴィッド・ロックフェラーの時代にあっても、70年代には共産中国を、続いてアラブ産油国を強力に支援しています。また世論を形成する大衆への働き掛けとして、60年代末には世界同時発生した価値多元化運動を鼓舞します。
対してWASPは伝統的に「二極(二元)対立」を作り出すことで国内並びに国際政治・経済・社会を巧妙に操作してきました。第二次大戦にあってはナチスドイツを中心とする「ファシスト同盟」対「自由主義陣営」の対立を、戦後はソヴィエトを中心とする「共産圏」対「自由主義圏」の構図を創出し、維持・強化してきました。ロックフェラー家が自らの戦略を実行しても、直後にWASPの戦略が発動され、大抵同家の努力は水泡に帰しました(敗戦後の日本統治政策においても私たちはその一端を窺うことができます。HGウェルズ提唱の人権・脱国家理念が大胆にも憲法に採用され、その後米ソ冷戦体制への移行でなし崩しにされたのです)。
60年代後半に転機が訪れます。ケネディ兄弟を始めとする要人暗殺の常態化、兄ネルソンの合法的政権奪取の挫折を通じ、現行体制に失望したデイヴィッド・ロックフェラーが政治への本格的なコミットメントを決意します(傘下企業の多国籍化が進展したことも転換の重要な要因と思われます)。60年代末にヘンリー・キッシンジャーとチェイニーをニクソン政権に、80年代にはネオコンとブッシュ・シニア(決して本流政治家ではなかった)をレーガン政権に送り込むことに成功(ベクテル閣僚もここに含めるべきかもしれません)、表向きの主張はどうあれ、彼らは結果として米ソ対立を緩和ないし解消させています(攻撃的言説で軍需産業を伸ばす一方で、現実の国際情勢は穏健化され国際貿易が進展)。
デイヴィッド・ロックフェラーの決意は、21世紀に入って完成に向かいます。WASPを打倒し、「多元化社会」を招来する時期が到来したと判断したのです。一計を案じたロックフェラーはWASPの戦略を逆手に取ることにします(手口を知悉)。ハバナ湾(米西戦争)以来のWASPの流儀に従いトリガーとなる事件を彼らに替わって起こします。911事件です。冷戦終焉に苦慮する彼らは新たな二元対立軸(イスラム対十字軍―原形は宗教対立)立ち上げの好機と見て積極的に参加してくるはずです。十分餌に食いついたところで、彼らの意図を暴けば、911事件を始めとするすべての罪(過去の主要な謀略を含む)をWASPに押しつけられます。国民の力を借りて強大な敵WASPを倒し、革命のエネルギーで一気に多元化(権力の分散、民族の融和・解体、自由主義、世俗化)を推進させようというのです。
ロックフェラー一派は相当慎重にこの作戦を遂行しています。上記の数十年に亘る準備で、政界中枢を自派の人脈で固め(直前の準備も、実行も、事後処理もすべてが円滑に進む体制を構築)、決行に際してはハイジャック、ビル爆破などの重要な局面をその道のプロに任せます。標的もリスクを最小にすべく支配下の施設を選定しています(根本的な意図は別に指摘したとおり)。このような細心さとは裏腹に事件には杜撰さが散見され、稚拙とも思える証拠が残されています。これらはブッシュやチェイニーが属すると一般に見られているWASPの関与と工作を疑わせるものばかりです。
20世紀初頭からWASPの犯罪的政治活動に協力し、60年代後半からは主導する立場ともなったロックフェラー財閥が、宿主(同じ穴の貉)のWASP支配層を駆逐する政変劇(陰のクーデター)が、911事件後の米国の異常な7年の実相であると私は考えます。
<参照>田中宇の国際ニュース解説「テロ戦争の意図と現実」
ハリウッド映画に仕込まれたメッセージ(公然としかも隠密に)を羅針盤に911事件を考察した私は、この事件と二つの戦争(さらに今後の事件も)を同じ資本家、具体的にはロックフェラー財閥(当主デイヴィッド)の仕業と見ています(チェイニーもネオコンもロックフェラー財閥のフェロー)。911事件は米英イスラエル体制派、つまりWASP(アングロサクソン系プロテスタント)支配層の仕業に見えるように偽装されているのです。なぜまっすぐに「多元化」に突き進まず、「二元対立」を偽装するのでしょうか?
考えてみれば「多極化(多元化)」は、一貫してロックフェラー家の基本戦略でした。ロシア革命前には秘密裡に共産主義革命家たちを育成し、第二次大戦前にはファシスト党ナチスを米国の国策に反してまで支援していたことが知られています。デイヴィッド・ロックフェラーの時代にあっても、70年代には共産中国を、続いてアラブ産油国を強力に支援しています。また世論を形成する大衆への働き掛けとして、60年代末には世界同時発生した価値多元化運動を鼓舞します。
対してWASPは伝統的に「二極(二元)対立」を作り出すことで国内並びに国際政治・経済・社会を巧妙に操作してきました。第二次大戦にあってはナチスドイツを中心とする「ファシスト同盟」対「自由主義陣営」の対立を、戦後はソヴィエトを中心とする「共産圏」対「自由主義圏」の構図を創出し、維持・強化してきました。ロックフェラー家が自らの戦略を実行しても、直後にWASPの戦略が発動され、大抵同家の努力は水泡に帰しました(敗戦後の日本統治政策においても私たちはその一端を窺うことができます。HGウェルズ提唱の人権・脱国家理念が大胆にも憲法に採用され、その後米ソ冷戦体制への移行でなし崩しにされたのです)。
60年代後半に転機が訪れます。ケネディ兄弟を始めとする要人暗殺の常態化、兄ネルソンの合法的政権奪取の挫折を通じ、現行体制に失望したデイヴィッド・ロックフェラーが政治への本格的なコミットメントを決意します(傘下企業の多国籍化が進展したことも転換の重要な要因と思われます)。60年代末にヘンリー・キッシンジャーとチェイニーをニクソン政権に、80年代にはネオコンとブッシュ・シニア(決して本流政治家ではなかった)をレーガン政権に送り込むことに成功(ベクテル閣僚もここに含めるべきかもしれません)、表向きの主張はどうあれ、彼らは結果として米ソ対立を緩和ないし解消させています(攻撃的言説で軍需産業を伸ばす一方で、現実の国際情勢は穏健化され国際貿易が進展)。
デイヴィッド・ロックフェラーの決意は、21世紀に入って完成に向かいます。WASPを打倒し、「多元化社会」を招来する時期が到来したと判断したのです。一計を案じたロックフェラーはWASPの戦略を逆手に取ることにします(手口を知悉)。ハバナ湾(米西戦争)以来のWASPの流儀に従いトリガーとなる事件を彼らに替わって起こします。911事件です。冷戦終焉に苦慮する彼らは新たな二元対立軸(イスラム対十字軍―原形は宗教対立)立ち上げの好機と見て積極的に参加してくるはずです。十分餌に食いついたところで、彼らの意図を暴けば、911事件を始めとするすべての罪(過去の主要な謀略を含む)をWASPに押しつけられます。国民の力を借りて強大な敵WASPを倒し、革命のエネルギーで一気に多元化(権力の分散、民族の融和・解体、自由主義、世俗化)を推進させようというのです。
ロックフェラー一派は相当慎重にこの作戦を遂行しています。上記の数十年に亘る準備で、政界中枢を自派の人脈で固め(直前の準備も、実行も、事後処理もすべてが円滑に進む体制を構築)、決行に際してはハイジャック、ビル爆破などの重要な局面をその道のプロに任せます。標的もリスクを最小にすべく支配下の施設を選定しています(根本的な意図は別に指摘したとおり)。このような細心さとは裏腹に事件には杜撰さが散見され、稚拙とも思える証拠が残されています。これらはブッシュやチェイニーが属すると一般に見られているWASPの関与と工作を疑わせるものばかりです。
20世紀初頭からWASPの犯罪的政治活動に協力し、60年代後半からは主導する立場ともなったロックフェラー財閥が、宿主(同じ穴の貉)のWASP支配層を駆逐する政変劇(陰のクーデター)が、911事件後の米国の異常な7年の実相であると私は考えます。
2007年09月11日
映画「トランスフォーマー」のメッセージ3
反連邦による破壊か連邦による保護か
私は、デイヴィッド・ロックフェラーの米国改造プロジェクトが次の3段階で計画されているとこれまで何度も書いてきました。
1.新しいパールハーバー
2.新しい南北戦争
3.新しい独立
WASP(アングロサクソン系プロテスタント)が築いた米国史を遡りつつ、WASPが築いた栄光の米国を破壊するという悪意に満ちた構想です。ご承知の911事件が上記1に当たり、年内に起こされると私が予想している事件は上記2に当たります。この事件の核心に関して、当ブログでは「米国を二分する勢力(レトロスレッドとメトロスブルー)間の衝突」と捉えてきましたが、その衝突は必ずしも武力抗争を伴うものでなく、南北戦争の本質としての「連邦制の危機」と理解するのが妥当のようです。
(参考)映画「アイランド」のメッセージ2
911事件で間髪を入れずアルカイダが犯人として名指しされたように、今度の事件では「反連邦主義者」「無政府主義者」が犯人に仕立てられ、「連邦制の危機」が声高に叫ばれるでしょう。先の中間選挙で共和党を見限った「アナルコ・キャピタリスト」がスケープゴートにされる(無実の罪を着せられる)のではないかと心配しているのですが、90年代のテロ事件と呼応する形でティモシー・マクベイのような異常な人間が再び主犯に仕立てられる(犯行の一端を担わされる)可能性も残されています。
(93年にイスラム原理主義過激派の仕業とされた世界貿易センタービル地下駐車場爆破事件、95年に連邦に対する復讐が動機とされたオクラホマシティ連邦ビル爆破事件)
この機に乗じて、ブッシュ・ジュニアは例によって単純な選択を国民に迫るでしょう―「反連邦主義者・無政府主義者のテロに脅かされ続けるか」それとも「連邦政府に権力をより集中して保護を得るか」です(映画「トランスフォーマー」のキャッチコピー「破壊か保護か"Destroy or Protect"」参照)。パニックの中で反射的に国民が選択するのはもちろん後者でしょう。息を吹き返したブッシュ政権は、国民の監視機能を強化し、自由を一層圧迫します。
(参考)映画「Vフォー・ヴェンデッタ」のメッセージ
しかしブッシュ・ジュニアの企みは早々に破たんします。パニックから覚醒した国民は何かがおかしいことに気付きます。タイミング良く、この事件に政府機関が関与している証拠がリークされます。同時に911事件がブッシュ政権の自作自演である決定的証拠までが流出します。国民の怒りはブッシュ政権、そして背後のWASPへと向けられます。誰かが(この人物にこそ私たちは注目すべきです)ブッシュ・ジュニアに対し武装蜂起します。ブッシュ政権はあっけなく自壊し、無血革命が成し遂げられます。これが上記3の出来事です。
(参考)映画「ザ・シューター」のメッセージ
情報リーク(ケネディ兄弟暗殺へのWASPの関わりも含まれると予想します)も、反乱扇動も、もちろんすべてがデイヴィッド・ロックフェラーのシナリオに初めから書かれている内容です。彼らはブッシュを見せ餌に国民をWASP排撃へと向かわせたいのです。これまで次第に権力を浸食しながらも決定的な基盤確立を阻まれてきたロックフェラー家が、大統領や主要官僚を通した権力行使よりさらに確実で安定的な政治体制を築くことになるでしょう(彼らの経済基盤が強化されることは言うまでもありません)。21世紀の最初の10年にアメリカで生じる(はずだった)のは、支配者・特権層のダイナミックな交代劇です。
デイヴィッド・ロックフェラーが招来する変革は、米国におけるキリスト教の抑圧(世俗化)、民族の平等(混淆による民族の解体=世界市民化)の実現です。国家の在り方が問われ、大統領制が見直されるでしょう。緩やかな連合を束ねる新しい行政職が新設されるのかもしれません(ローマの護民官のような市民プロテクターか?ブッシュ政権に対して反旗を翻した「誰か」が就任か?)。そしてその裏で誕生するのが「ロックフェラー・マトリックス(子宮)社会」です。そこでは自由や安全、平等がロックフェラーが許す範囲でのみ保障されます(警告映画「呪い村(Population436)」の牢獄シーン参照)。何も市民が本当の自由・平和・平等を勝ち取る訳ではないのです。
(参考)映画「マトリックス」のメッセージ2
映画「パールハーバー」の公開から911事件までは3ヶ月半でした。この伝で行くと、新しい南北戦争(連邦制の危機)の引き金となる諸事件の勃発は今年10月半ばと計算できます。10月19日を政変劇(ブッシュ暗殺)のXデーと設定した映画「大統領暗殺」と時期が重なるのは政治日程を考慮すれば必然なのでしょうか?
私は、デイヴィッド・ロックフェラーの米国改造プロジェクトが次の3段階で計画されているとこれまで何度も書いてきました。
1.新しいパールハーバー
2.新しい南北戦争
3.新しい独立
WASP(アングロサクソン系プロテスタント)が築いた米国史を遡りつつ、WASPが築いた栄光の米国を破壊するという悪意に満ちた構想です。ご承知の911事件が上記1に当たり、年内に起こされると私が予想している事件は上記2に当たります。この事件の核心に関して、当ブログでは「米国を二分する勢力(レトロスレッドとメトロスブルー)間の衝突」と捉えてきましたが、その衝突は必ずしも武力抗争を伴うものでなく、南北戦争の本質としての「連邦制の危機」と理解するのが妥当のようです。
(参考)映画「アイランド」のメッセージ2
911事件で間髪を入れずアルカイダが犯人として名指しされたように、今度の事件では「反連邦主義者」「無政府主義者」が犯人に仕立てられ、「連邦制の危機」が声高に叫ばれるでしょう。先の中間選挙で共和党を見限った「アナルコ・キャピタリスト」がスケープゴートにされる(無実の罪を着せられる)のではないかと心配しているのですが、90年代のテロ事件と呼応する形でティモシー・マクベイのような異常な人間が再び主犯に仕立てられる(犯行の一端を担わされる)可能性も残されています。
(93年にイスラム原理主義過激派の仕業とされた世界貿易センタービル地下駐車場爆破事件、95年に連邦に対する復讐が動機とされたオクラホマシティ連邦ビル爆破事件)
この機に乗じて、ブッシュ・ジュニアは例によって単純な選択を国民に迫るでしょう―「反連邦主義者・無政府主義者のテロに脅かされ続けるか」それとも「連邦政府に権力をより集中して保護を得るか」です(映画「トランスフォーマー」のキャッチコピー「破壊か保護か"Destroy or Protect"」参照)。パニックの中で反射的に国民が選択するのはもちろん後者でしょう。息を吹き返したブッシュ政権は、国民の監視機能を強化し、自由を一層圧迫します。
(参考)映画「Vフォー・ヴェンデッタ」のメッセージ
しかしブッシュ・ジュニアの企みは早々に破たんします。パニックから覚醒した国民は何かがおかしいことに気付きます。タイミング良く、この事件に政府機関が関与している証拠がリークされます。同時に911事件がブッシュ政権の自作自演である決定的証拠までが流出します。国民の怒りはブッシュ政権、そして背後のWASPへと向けられます。誰かが(この人物にこそ私たちは注目すべきです)ブッシュ・ジュニアに対し武装蜂起します。ブッシュ政権はあっけなく自壊し、無血革命が成し遂げられます。これが上記3の出来事です。
(参考)映画「ザ・シューター」のメッセージ
情報リーク(ケネディ兄弟暗殺へのWASPの関わりも含まれると予想します)も、反乱扇動も、もちろんすべてがデイヴィッド・ロックフェラーのシナリオに初めから書かれている内容です。彼らはブッシュを見せ餌に国民をWASP排撃へと向かわせたいのです。これまで次第に権力を浸食しながらも決定的な基盤確立を阻まれてきたロックフェラー家が、大統領や主要官僚を通した権力行使よりさらに確実で安定的な政治体制を築くことになるでしょう(彼らの経済基盤が強化されることは言うまでもありません)。21世紀の最初の10年にアメリカで生じる(はずだった)のは、支配者・特権層のダイナミックな交代劇です。
デイヴィッド・ロックフェラーが招来する変革は、米国におけるキリスト教の抑圧(世俗化)、民族の平等(混淆による民族の解体=世界市民化)の実現です。国家の在り方が問われ、大統領制が見直されるでしょう。緩やかな連合を束ねる新しい行政職が新設されるのかもしれません(ローマの護民官のような市民プロテクターか?ブッシュ政権に対して反旗を翻した「誰か」が就任か?)。そしてその裏で誕生するのが「ロックフェラー・マトリックス(子宮)社会」です。そこでは自由や安全、平等がロックフェラーが許す範囲でのみ保障されます(警告映画「呪い村(Population436)」の牢獄シーン参照)。何も市民が本当の自由・平和・平等を勝ち取る訳ではないのです。
(参考)映画「マトリックス」のメッセージ2
映画「パールハーバー」の公開から911事件までは3ヶ月半でした。この伝で行くと、新しい南北戦争(連邦制の危機)の引き金となる諸事件の勃発は今年10月半ばと計算できます。10月19日を政変劇(ブッシュ暗殺)のXデーと設定した映画「大統領暗殺」と時期が重なるのは政治日程を考慮すれば必然なのでしょうか?
2007年08月26日
映画「トランスフォーマー」(スピルバーグ製作)のメッセージ2
ミード湖の変異細菌
当ブログはハリウッド映画を中心とするメッセージ解読から、「アメリカで911事件に続く第二の偽テロ事件が起こされる」と予測しています。その事件の特徴としては主に次の3点を指摘してきました。
1.時期は2007年
2.細菌・生物兵器が使用される
3.ワシントンの連邦裁判所と連邦議会が標的とされる
映画や小説をこうした視点から鑑賞している私には、上記2について最近特に気に掛ることがあります。
(参考)新しい南北戦争のメッセージ集
以前の記事で取り上げた映画「Vフォーヴェンデッタ」では、ブッシュ・ジュニアを思わせる指導者が独裁権力を掌握した経緯がこう説明されます。政府の研究機関が開発した新種の細菌、つまり生物兵器を指導者が自ら「水道」に混入させ偽のテロ事件を演出したというのです。この事件で多くの国民(舞台はイギリス)が犠牲となり、指導者の思惑通り社会は混乱に陥ります。また映画「ウォーターパニック・インLA」もテロリストによって細菌を水道に流し込まれたロサンゼルス市民の混乱を描いています。
(参考)映画「Vフォーヴェンデッタ」のメッセージ
アメリカで起きている異変の首謀者たちが、なぜかSF小説家・社会思想家のHGウェルズを強く意識していることに私は気付いています。そして何と、このHGウェルズの著作の中に「テロリストが水道水に細菌を混入」させる話があるのです。「盗まれたバチルス」というタイトルの短編で、無政府主義者が細菌研究者から猛毒のバチルス菌を盗み、ロンドンの上水道の水源に投げ込もうとします。「細菌テロ」という現代的な概念を初めて世に送り出した作品です(発表年は1894年)。
(参考)小説「宇宙戦争」のメッセージ
ご承知のとおり、2001年9月には、911事件に引き続いて「炭ソ菌テロ(複数)」が起こされました。そのときは郵便物の封筒を菌で汚染させる手口が採られました。しかし上記の映画や小説は、次に起こされる細菌テロ事件では「水道混入」という手段が取られる可能性を示唆しています。そこで記憶の底から頭を擡げるのが、映画「トランスフォーマー」に登場した「フーバーダム」です。観客は水力発電所としての側面に巧みに誘導されるのですが、考えてみればこのダムによって造られた背後の巨大なミード湖は、米国南西部の2大水源のうちの一つでした。
ミード湖を水源として上水道が供給されている地域はそう広くはないかもしれません。それでも、レクリエーションエリアとして広く知られた湖が細菌に汚染され、魚などの生物が大量に死滅し(映像効果)、一部地域で水道を通して人間にも被害が及べば(プロファイルから被害エリアが限定される方が好都合)、アメリカ国民が受ける衝撃は911事件に匹敵するでしょう。政治・ビジネスに続いて「生活」までがテロリズムの脅威に晒されるのです。
ご存じでしょうか、フーバーダムを建造したベクテルグループのベクテルネヴァダは、今やテロ研究施設となった「ネヴァダテストサイト」を運営しています。研究対象には生物兵器が含まれます。既存の細菌を変異(トランスフォーム)させ毒性を高める類の技術を彼らは現実に追及しているのです(911事件でテロリストによるハイジャック対策専門機関がハイジャックを決行したことを思い出してください。彼らのキーワードは「逆用・悪用」の"abuse"です)。ミード湖との距離の近さにもご注意ください。この要素は作戦遂行を容易にするでしょう。そしてベクテルが世界有数の導水事業者である事実(水道民営化事業なら最大手)にも注意を喚起しておきたいと思います。
<参考>reviewjournal.com記事「防衛ビジネス」

こうして考えて行くと、冒頭に掲げた特徴のうち、事件の場所(3)は異なりそうです。しかし、911事件が複数態様の事件から構成されていたことから、今回も細菌テロを中核としながらも、爆弾テロが同時に起こされないとは限りません。その時には、ワシントンの地下鉄Metro、サンフランシスコのベイブリッジやBART(交通機関)、ボストンのBigDig(複合的交通システム)、ボストン〜ワシントン間のAcera(交通機関)などベクテルが手掛けたアメリカのシンボル施設・機関が標的とされる可能性があります。
当ブログはハリウッド映画を中心とするメッセージ解読から、「アメリカで911事件に続く第二の偽テロ事件が起こされる」と予測しています。その事件の特徴としては主に次の3点を指摘してきました。
1.時期は2007年
2.細菌・生物兵器が使用される
3.ワシントンの連邦裁判所と連邦議会が標的とされる
映画や小説をこうした視点から鑑賞している私には、上記2について最近特に気に掛ることがあります。
(参考)新しい南北戦争のメッセージ集
以前の記事で取り上げた映画「Vフォーヴェンデッタ」では、ブッシュ・ジュニアを思わせる指導者が独裁権力を掌握した経緯がこう説明されます。政府の研究機関が開発した新種の細菌、つまり生物兵器を指導者が自ら「水道」に混入させ偽のテロ事件を演出したというのです。この事件で多くの国民(舞台はイギリス)が犠牲となり、指導者の思惑通り社会は混乱に陥ります。また映画「ウォーターパニック・インLA」もテロリストによって細菌を水道に流し込まれたロサンゼルス市民の混乱を描いています。
(参考)映画「Vフォーヴェンデッタ」のメッセージ
アメリカで起きている異変の首謀者たちが、なぜかSF小説家・社会思想家のHGウェルズを強く意識していることに私は気付いています。そして何と、このHGウェルズの著作の中に「テロリストが水道水に細菌を混入」させる話があるのです。「盗まれたバチルス」というタイトルの短編で、無政府主義者が細菌研究者から猛毒のバチルス菌を盗み、ロンドンの上水道の水源に投げ込もうとします。「細菌テロ」という現代的な概念を初めて世に送り出した作品です(発表年は1894年)。
(参考)小説「宇宙戦争」のメッセージ
ご承知のとおり、2001年9月には、911事件に引き続いて「炭ソ菌テロ(複数)」が起こされました。そのときは郵便物の封筒を菌で汚染させる手口が採られました。しかし上記の映画や小説は、次に起こされる細菌テロ事件では「水道混入」という手段が取られる可能性を示唆しています。そこで記憶の底から頭を擡げるのが、映画「トランスフォーマー」に登場した「フーバーダム」です。観客は水力発電所としての側面に巧みに誘導されるのですが、考えてみればこのダムによって造られた背後の巨大なミード湖は、米国南西部の2大水源のうちの一つでした。
ミード湖を水源として上水道が供給されている地域はそう広くはないかもしれません。それでも、レクリエーションエリアとして広く知られた湖が細菌に汚染され、魚などの生物が大量に死滅し(映像効果)、一部地域で水道を通して人間にも被害が及べば(プロファイルから被害エリアが限定される方が好都合)、アメリカ国民が受ける衝撃は911事件に匹敵するでしょう。政治・ビジネスに続いて「生活」までがテロリズムの脅威に晒されるのです。
ご存じでしょうか、フーバーダムを建造したベクテルグループのベクテルネヴァダは、今やテロ研究施設となった「ネヴァダテストサイト」を運営しています。研究対象には生物兵器が含まれます。既存の細菌を変異(トランスフォーム)させ毒性を高める類の技術を彼らは現実に追及しているのです(911事件でテロリストによるハイジャック対策専門機関がハイジャックを決行したことを思い出してください。彼らのキーワードは「逆用・悪用」の"abuse"です)。ミード湖との距離の近さにもご注意ください。この要素は作戦遂行を容易にするでしょう。そしてベクテルが世界有数の導水事業者である事実(水道民営化事業なら最大手)にも注意を喚起しておきたいと思います。
<参考>reviewjournal.com記事「防衛ビジネス」
こうして考えて行くと、冒頭に掲げた特徴のうち、事件の場所(3)は異なりそうです。しかし、911事件が複数態様の事件から構成されていたことから、今回も細菌テロを中核としながらも、爆弾テロが同時に起こされないとは限りません。その時には、ワシントンの地下鉄Metro、サンフランシスコのベイブリッジやBART(交通機関)、ボストンのBigDig(複合的交通システム)、ボストン〜ワシントン間のAcera(交通機関)などベクテルが手掛けたアメリカのシンボル施設・機関が標的とされる可能性があります。
監督:ベン・レキー
収録時間:79分
レンタル開始日:2007-03-02
Story
『ボム・ザ・システム』の製作を担当したベン・レキーが監督・脚本を手掛けたパニックサスペンス。何者かによってダムの中に散布された生物兵器により、パニック状態に陥ったL.A.。人々は次第に狂気を露にしていき、(詳細こちら)
監督:ジェームズ・マクティーグ
収録時間:132分
レンタル開始日:2006-09-08
Story
『レオン』のナタリー・ポートマンと“エージェント・スミス”ことヒューゴ・ウィービング共演による近未来サスペンスアクション。独裁国家と化したイギリス。労働者階級の女性・イヴィーは仮面をまとった男・Vに出(詳細こちら)
2007年08月19日
映画「トランスフォーマー」(ベイ監督)のメッセージ1
ロックフェラー・ベクテル連合対WASP
当ブログが注目する二人の人物、マイケル・ベイとスティーブン・スピルバーグが初めて正式に共同製作した映画「トランスフォーマー」。特撮以外に見所のない、それでいて世界中で多くの人々に鑑賞されているこの作品から私が読み取ったのは、911事変以降進行するロックフェラーの米国改造プロジェクトにおいてベクテル社が果たしているかもしれない役割でした。
本作にはフーバーダムが特別な場所として登場します。ダムの底に米政府の宇宙人対策機関「セクター7」の秘密基地が隠されていると言うのです。ここで作品を投げ出さず、辛抱強くフーバーダムについて調べてみると、実に興味深い事実に出会えます。ニューディール政策のシンボルとされるこの一大国家事業の中核を担ったのは、同族の株式非公開会社でありながら米国最大手企業群の一角に食い込むベクテル社だったのです(ベクテルを中心とする共同事業体の名前は「6カンパニーズ」)。
<参照>L・マッカートニー著「ベクテルの秘密ファイル」
ベクテル社は、建設・エンジニアリング業界の雄で、ダムの他に、高速道路、橋、空港、地下鉄、石油パイプラインと精製プラントなど、世界中で多様多様な施設の建造に携わってきました(大戦中は船まで建造)。原子力発電施設建造分野のガリバー(シェア60%と言われる)でもあります。こうした華やかさの陰で、核拡散への関与、各国政治家・有力官僚(軍人を含む)との癒着、CIAとの密接な関係が取り沙汰される底深い会社です。
同社は、第二次大戦までに石油パイプライン・プラント建設を通してロックフェラーグループとの関係を育みました(確認できないでいますが、フーバーダム建設の運営資金をロックフェラーが提供したとの情報もあります)。その後、サウジアラビアやリビアへの進出を促し、アラブ諸国での躍進を援護(ロックフェラー&キッシンジャーの70年代中東戦略)するなど、少なからぬ肩入れをロックフェラー陣営は行っています。ロックフェラーにとって、ベクテル社が単なる取引先ではなく、経営上の無二のパートナーだったことに疑いの余地はありません。
では、ベクテル社がビジネスの関係にとどまらず、ロックフェラーのアメリカ改造プロジェクト、さらにその先の世界経営計画に深く関与しているとしたら?911事件を予告した映画「パールハーバー」と同じ作り(デジタル戦闘+モノラル恋愛)の映画「トランスフォーマー」は、ベクテル社の事業コンセプトである「エンジニアリング(工学技術)」を象徴するロボットをテーマとし、同社の歴史的業績にスポットを当てることでこのことを示唆しているように思えます。
私は以前に911事件の背後に「原爆開発」のテーマが隠されていると当ブログに記しました。航空機の軌跡(発地と衝突目標)がマンハッタンプロジェクト(原爆開発計画)の拠点移動に一致していること、WTC跡地が軍事系新聞によって爆心地を意味する「グランド(グラウンド)・ゼロ」と呼ばれるよう誘導されたこと、半年後並びに周年イベントにアラモゴードの爆発実験を想起させる仕掛け(ライトビーム)が施されたことなどがその根拠でした。
(参考)「911事件から浮かび上がるもう一つのメッセージ」1 2 3
この隠しテーマからは、911事件の首謀者が原爆開発に携わっていた可能性が浮上します。広瀬隆氏はマンハッタンプロジェクト参画企業として、ロックフェラーグループ、モルガングループ、ゼネラル・エレクトリックとデュポン(モルガン系)、ウェスティングハウス(ロックフェラー系)を挙げています。戦後まで含めた視点で見るなら、ここに同プロジェクトのハンフォード重水プラント建設を担当し、戦後はネバダ核実験場を管理・運営、さらに先頃はロスアラモス国立研究所の運営を共同受託して話題になったベクテル社を加えずにおくことはできません。
<参照>広瀬隆著「億万長者はハリウッドを殺す」
もし911事件をベクテルが仕切っていたとすれば、これほどロックフェラーにとって頼もしい味方もいなかったでしょう(一部局面においてはウジ・ダヤン率いるイスラエルのハイジャック対策組織サヤレト・マトカルが実行部隊となりました)。「たくらむ」の意味もある「エンジニアリング」をモットーとするベクテルは、複雑な要素を制御しつつプロジェクトを完遂させた経験を豊富に持ち、CIAと一体となって他国の革命を誘導した経験まであります。お誂え向きに、爆薬の扱いに慣れ、建物の構造、空港の保安や航空会社・ペンタゴンの個別事情に詳しい組織が一体他にあったでしょうか?
<参照>The Village Voice 記事(911事件の後処理まで受注しようとしていたとの記事。この結末はどうなったのでしょうか?)
彼らが遂行しつつあるプロジェクトの当面の目標は、アメリカの支配構造を転換させることです。ロックフェラーはWASPの代表格とされ、ベクテルもまたその牙城と表現されます。ロックフェラーグループはそれまではWASPの立場(偽装)を利用して成長を遂げましたが、68年頃に現在の当主デイヴィッドが方針を抜本的に見直したことが映画「レディインザウォーター」で明かされています。恐らくはその時期に、3代目就任間もないステファン・D・ベクテルJrをデイヴィッドが説得したのでしょう(ユダヤ人嫌いとされたベクテル社がこの頃から、アーマンド・ハマーと手を結び、キャスパー・ワインバーガーを重用し、ヘンリー・キッシンジャーの支援を受けるようになります)。それ以来、両グループはWASPの仮面を付けたままWASP打倒に邁進している可能性があります。70年代の強力な支援はその見返りだったとも解釈できます。
(参考)映画「レディインザウォーター」のメッセージ3 (同カテゴリー)
私は、911事件でロックフェラーが自ら建設したWTCを自らの手で破壊したのは、第一に世間の疑いの目を逸らすためと考えてきましたが、今回の考察でもっと根源的な理由があると気付かされました。ロックフェラーとベクテルは、WASPと共に築いた栄光のアメリカを自らの手で破壊しているのではないか。これが彼らなりの清算行為ではないかと。(作品は「犠牲なくして勝利なし」と、さも自分たちが尊い犠牲を捧げているような調子ですが、これは噴飯ものの偽善です)
彼らはWASP打倒後のアメリカを民族融和・世俗社会として思い描いています。一部のWASP特権層に苦しめられてきた大多数のアメリカ市民を開放するとして、自分たちを市民の「守護者(Protector)」と傲岸にも見做し、既存権力層を「(平和と平等の)破壊者(Destroyer)」と切り捨てます。それでも彼らは真の対立軸を市民に提示しません(それでは思い通りに行かないからです)。ロックフェラー・ベクテル連合対WASPの戦い(Their War)が、実態を知らない市民の生活の場を主戦場(Our World)に繰り広げられているのです。

wikipedia"Transformers(movie)" より
ベクテルの秘密ファイル―CIA・原子力・ホワイトハウス
億万長者はハリウッドを殺す〈上〉
当ブログが注目する二人の人物、マイケル・ベイとスティーブン・スピルバーグが初めて正式に共同製作した映画「トランスフォーマー」。特撮以外に見所のない、それでいて世界中で多くの人々に鑑賞されているこの作品から私が読み取ったのは、911事変以降進行するロックフェラーの米国改造プロジェクトにおいてベクテル社が果たしているかもしれない役割でした。
本作にはフーバーダムが特別な場所として登場します。ダムの底に米政府の宇宙人対策機関「セクター7」の秘密基地が隠されていると言うのです。ここで作品を投げ出さず、辛抱強くフーバーダムについて調べてみると、実に興味深い事実に出会えます。ニューディール政策のシンボルとされるこの一大国家事業の中核を担ったのは、同族の株式非公開会社でありながら米国最大手企業群の一角に食い込むベクテル社だったのです(ベクテルを中心とする共同事業体の名前は「6カンパニーズ」)。
<参照>L・マッカートニー著「ベクテルの秘密ファイル」
ベクテル社は、建設・エンジニアリング業界の雄で、ダムの他に、高速道路、橋、空港、地下鉄、石油パイプラインと精製プラントなど、世界中で多様多様な施設の建造に携わってきました(大戦中は船まで建造)。原子力発電施設建造分野のガリバー(シェア60%と言われる)でもあります。こうした華やかさの陰で、核拡散への関与、各国政治家・有力官僚(軍人を含む)との癒着、CIAとの密接な関係が取り沙汰される底深い会社です。
同社は、第二次大戦までに石油パイプライン・プラント建設を通してロックフェラーグループとの関係を育みました(確認できないでいますが、フーバーダム建設の運営資金をロックフェラーが提供したとの情報もあります)。その後、サウジアラビアやリビアへの進出を促し、アラブ諸国での躍進を援護(ロックフェラー&キッシンジャーの70年代中東戦略)するなど、少なからぬ肩入れをロックフェラー陣営は行っています。ロックフェラーにとって、ベクテル社が単なる取引先ではなく、経営上の無二のパートナーだったことに疑いの余地はありません。
では、ベクテル社がビジネスの関係にとどまらず、ロックフェラーのアメリカ改造プロジェクト、さらにその先の世界経営計画に深く関与しているとしたら?911事件を予告した映画「パールハーバー」と同じ作り(デジタル戦闘+モノラル恋愛)の映画「トランスフォーマー」は、ベクテル社の事業コンセプトである「エンジニアリング(工学技術)」を象徴するロボットをテーマとし、同社の歴史的業績にスポットを当てることでこのことを示唆しているように思えます。
私は以前に911事件の背後に「原爆開発」のテーマが隠されていると当ブログに記しました。航空機の軌跡(発地と衝突目標)がマンハッタンプロジェクト(原爆開発計画)の拠点移動に一致していること、WTC跡地が軍事系新聞によって爆心地を意味する「グランド(グラウンド)・ゼロ」と呼ばれるよう誘導されたこと、半年後並びに周年イベントにアラモゴードの爆発実験を想起させる仕掛け(ライトビーム)が施されたことなどがその根拠でした。
(参考)「911事件から浮かび上がるもう一つのメッセージ」1 2 3
この隠しテーマからは、911事件の首謀者が原爆開発に携わっていた可能性が浮上します。広瀬隆氏はマンハッタンプロジェクト参画企業として、ロックフェラーグループ、モルガングループ、ゼネラル・エレクトリックとデュポン(モルガン系)、ウェスティングハウス(ロックフェラー系)を挙げています。戦後まで含めた視点で見るなら、ここに同プロジェクトのハンフォード重水プラント建設を担当し、戦後はネバダ核実験場を管理・運営、さらに先頃はロスアラモス国立研究所の運営を共同受託して話題になったベクテル社を加えずにおくことはできません。
<参照>広瀬隆著「億万長者はハリウッドを殺す」
もし911事件をベクテルが仕切っていたとすれば、これほどロックフェラーにとって頼もしい味方もいなかったでしょう(一部局面においてはウジ・ダヤン率いるイスラエルのハイジャック対策組織サヤレト・マトカルが実行部隊となりました)。「たくらむ」の意味もある「エンジニアリング」をモットーとするベクテルは、複雑な要素を制御しつつプロジェクトを完遂させた経験を豊富に持ち、CIAと一体となって他国の革命を誘導した経験まであります。お誂え向きに、爆薬の扱いに慣れ、建物の構造、空港の保安や航空会社・ペンタゴンの個別事情に詳しい組織が一体他にあったでしょうか?
<参照>The Village Voice 記事(911事件の後処理まで受注しようとしていたとの記事。この結末はどうなったのでしょうか?)
彼らが遂行しつつあるプロジェクトの当面の目標は、アメリカの支配構造を転換させることです。ロックフェラーはWASPの代表格とされ、ベクテルもまたその牙城と表現されます。ロックフェラーグループはそれまではWASPの立場(偽装)を利用して成長を遂げましたが、68年頃に現在の当主デイヴィッドが方針を抜本的に見直したことが映画「レディインザウォーター」で明かされています。恐らくはその時期に、3代目就任間もないステファン・D・ベクテルJrをデイヴィッドが説得したのでしょう(ユダヤ人嫌いとされたベクテル社がこの頃から、アーマンド・ハマーと手を結び、キャスパー・ワインバーガーを重用し、ヘンリー・キッシンジャーの支援を受けるようになります)。それ以来、両グループはWASPの仮面を付けたままWASP打倒に邁進している可能性があります。70年代の強力な支援はその見返りだったとも解釈できます。
(参考)映画「レディインザウォーター」のメッセージ3 (同カテゴリー)
私は、911事件でロックフェラーが自ら建設したWTCを自らの手で破壊したのは、第一に世間の疑いの目を逸らすためと考えてきましたが、今回の考察でもっと根源的な理由があると気付かされました。ロックフェラーとベクテルは、WASPと共に築いた栄光のアメリカを自らの手で破壊しているのではないか。これが彼らなりの清算行為ではないかと。(作品は「犠牲なくして勝利なし」と、さも自分たちが尊い犠牲を捧げているような調子ですが、これは噴飯ものの偽善です)
彼らはWASP打倒後のアメリカを民族融和・世俗社会として思い描いています。一部のWASP特権層に苦しめられてきた大多数のアメリカ市民を開放するとして、自分たちを市民の「守護者(Protector)」と傲岸にも見做し、既存権力層を「(平和と平等の)破壊者(Destroyer)」と切り捨てます。それでも彼らは真の対立軸を市民に提示しません(それでは思い通りに行かないからです)。ロックフェラー・ベクテル連合対WASPの戦い(Their War)が、実態を知らない市民の生活の場を主戦場(Our World)に繰り広げられているのです。

wikipedia"Transformers(movie)" より
ベクテルの秘密ファイル―CIA・原子力・ホワイトハウス億万長者はハリウッドを殺す〈上〉







